教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

Repost: 教師入門⑤ ~歩き始めた先生たちへ2~

2021年1月23日、ブログ「教育逍遙」は開設から満1年を迎えました。

この間、週5回の投稿を基本に265本の記事を公開してきました。

今は幾人もの方に読んでいただいていますが、開設当初はほとんど認知されることはありませんでした。その一方で、開設に至った「思い」は初期のブログに凝縮されていました。

開設から1年を機に、初期の記事を再掲し、これから教壇に立つ方や教壇に立ってまだ日の浅い方にお届けしたいと思います。

 

 

 

学級目標は「キャッチコピー」と「具体的課題」の2段構え

 

大概の教室では、前面黒板の上の壁に学級目標が掲げられています。

 

学級に目標があること自体は必要ですし、それがよく見えるところに掲げられているというのも大事なことです。問題は、その学級目標が具体的に機能しているかどうかです。単なる壁飾りに堕しているなんてことはないでしょうか?

 

学級目標の多くは、「みんななかよく」といった集団の目標か、「強く やさしく ねばり強く」といっためざす子ども像的目標のいずれかです。私も若い頃はそうしてきました。

その後長らく学級を離れた時期があって、退職前の10数年、学級目標は「キャッチコピー」と「具体的課題」の2段構えにしました。

 

キャッチコピーに掲げるのは、集団づくりの抽象的イメージです。イメージの世界というのは感覚の世界で、ビジュアル化すれば子どもに届きやすい世界です。

 

私の集団づくりの理念は、自立した個人と協働です。詳しくは、別のところで述べます。ここでは、そのイメージが「集合花」であるタンポポだとだけ申しておきます。

私に「集合花」という言葉を教えてくれたのは、教師になって5年目に出会った教え子でした。今まで、「教師は子どもに育てられる」と思ったことがいくつもありますが、その日の日記も忘れ得ぬひとつです。

 
    ……“たんぽぽ”の花のことについて思うことがあります。“たんぽぽ”の花みたいに生きたいんです。この花は無数の小さな花の集合花です。1枚の花びらと思っているのは、完全な1個の花です。他にも“たんぽぽ”のような花があります。「みんながいっしょになっている」そんなものが大好きです。

私は、その日記にこんな返事を書きました。

「かたち」がいっしょになっているんじゃなくて、「こころ」がいっしょになっている集合体(学級集団)でありたいですね。

 

キャッチコピーを具体的に紹介します。

これは4年生でまとまりを欠いていたクラスを5年生で担任した時のものです。

 

《始業式の日の学級通信》

たんぽぽの花のように生きよう!!
      タンポポのようなクラスを作ろう!!
 きょうから5年生。
 みなさんのなかまに入れてもらうことになりました。よろしくお願いします。
 高学年のスタートです。たくさんの楽しみが待ち受けています。同時に、今までにない責任の重さも待ち受けています。
 学校がみなさんにとって楽しいところになればいいなあと思います。勉強っておもしろいなって感じてもらえたらいいなあと思います。そして、25人の一人ひとりが、自分らしさを精一杯発揮できたらいいなあと思います。--そんなクラスをみんなの力でつくりましょう。
 ところで、学級つうしん「蒲公英」(この難しい漢字は「たんぽぽ」と読みます)のことですが、このタイトルは、みなさんへの二つの思いを込めて付けました。

     たんぽぽの花のように生きよう!!
     タンポポのようなクラスを作ろう!!

 みなさんには、これが何のことだか分かるでしょうか。あれこれと想像をめぐらせてください。そして、学校の周りにたんぽぽの花が咲いたら、先生の思いをお話しします。

 

教室の前面黒板の上に壁に、「たんぽぽの花のように生きよう!! タンポポのようなクラスを作ろう!!」と書いた模造紙を掲げます。


《始業式から半月後の学級通信》
            たんぽぽの花の秘密に迫る!!
 まずは3年生理科の復習。植物は、「葉」「くき」「根」という3つの部分でできている。そして、「葉」の変形したものとして「花」がある。「花」は、「花びら」「めしべ」「おしべ」「がく」で構成されている。レンギョウを例に確かめてみよう。
 さて、タンポポの花はどうだろうか。
「花びら」「めしべ」「おしべ」「がく」はどこにあるのだろう。花びらがいっぱいあってよく見えない。そこで、花を半分に割ってみた(実際の通信にはタンポポの花を分解した写真が載っている)。そうすると、次の写真のようなものがぎっしりと並んでいる。観察してみよう。
 1枚の「花びら」だと思っていたものは、実は1個の花だったのだ。
 つまり、タンポポにはそれぞれに一人前の花がいっぱいあって、それらが集まって一つの「花」を形作っているのだ。それぞれが独立していながら、集まった姿が美しい。そんなタンポポの花を、みんなに紹介したかった。
     たんぽぽの花のように生きよう!!
 きみたちは25人の5年生の中の一人ではない。世界にたった一人のきみなのだ。上の写真の5つの花を見てごらん。みんな表情が違うだろ。かけがえのない自分を生きてほしい、かけがえのない自分をみがいてほしい、かけがえのない自分を輝かせてほしいと思う。「たんぽぽの花のように生きる」とは、オンリーワンの自分を生きるということだ。
     タンポポのようなクラスを作ろう!!
 かけがえのない一人が25人集まって、このクラスがある。上の写真の5つの花はそれぞれに表情が違うのに、まとまりとしてのタンポポは美しい。一人ひとりが独立した個人であり、個性的であってほしいと同時に、クラスという集団として輝いてほしい。それぞれのよさを生かしながら、一人ひとりを輝かせてくれるクラスを作りたい。それが、「タンポポのようなクラスを作る」ということだ。
 --そんな思いを込めて、始業式の日に「蒲公英」第1号をきみたちに手渡した。課題は大きく高い。一緒に頂上をめざそう。

 

 

思いを「連凧」に託した年もありました。


「集団」と「個」の関係は、1つの花である「たんぽぽ」にあたるのが1つの「凧」、集合花としての「タンポポ」にあたるのが「連凧」です。


保護者を巻き込んだトラブルが続き、女子の関係が困難を極めて5年生を終えました。そのクラスを6年で担任した時のものです。

 

《始業式からほぼ1カ月後の学級通信》

          私たちの課題が見えてきた
 6年生最初の1か月が過ぎました。ふわふわとした羽毛にくるまれたような、優しい時間が経過していきました。教室に流れる空気(ムードと言ってもいい)はとてもいいと思います。しかし、ムードだけではやがて物足りなさを感じる日がやってきます。ぼくが今感じている課題を示したいと思います。

                          私たちのめあて
          一人ひとりがしっかりとした「凧」になろう!
                大空にも心にも「連凧」を揚げよう!

 私たちのめあては2つです。それぞれのめあてについて、具体的に述べていきましょう。
一人ひとりがしっかりとした「凧」になるということ
 自分の五感で見聞し、自分の頭で考え、自分で判断したことを、自分の言葉と行動で表現する--そうした生き方をすることが、自分を大切にすることになるのです。ぼくが「自分」という言葉にこだわるのは、一人ひとりが人生の主人公になってほしいと願うからです。人の意見に耳を傾けることと、判断や行動を人任せにすることは全く違います。
 同じものを見聞きしても、感じ方や考え方はさまざまです。したがって、言葉や行動で表現されることも人によって違います。すべての人の顔が違うのと同様に、考え方や表現も違っていていいのです。この違いを「個性」と言います。
 一人ひとりがしっかりとした「凧」になるということは、個性(自分らしさ)を大切にするということです。静かすぎる授業はだめです。ワイワイガヤガヤが一杯の教室にしましょう。いろんな考えや答えがあるから学習が深まるのです。仕事をするときは、指示される前に動きましょう。新しいアイデアは、自分から働きかけることによって生まれるのです。
大空と心に「連凧」を揚げるということ
 「凧」を1本の糸でつなぐと「連凧」になります。しかし、それでは「連凧」の魅力を説明したことにはなりません。「連凧」は、1枚1枚の「凧」をつないで作ります。それぞれの「凧」は揚がるように作られているのですが、ちょっとかたむくものや、すぐに落ちてくるものもあります。その点では人間の「個性」と似ています。それら1枚1枚の「凧」を25枚つないだ「連凧」は、最もよく揚がっていた1枚の「凧」よりもなお勢いよく揚がるのです。人間に置き換えて言えば、25人の「個性」が集まることによって30人分も50人分ものパワーになるのです。これが「連凧」の魅力です。
 きみたちの1つ先輩は、運動会の応援団や音楽発表会、映画作り、きみたちとのバスケットボール大会などで、すてきな「連凧」ぶりを見せてくれました。きみたちはどんな「連凧」を揚げるのでしょう。大空に勢いよく舞う「連凧」をぼくは毎日思い描いています。そのためにも、まずは自分という「凧」をみがいてほしいと思います。
 人が凧と違うのは、大空だけではなく心にも「連凧」を揚げられるところにあります。心に揚がる「連凧」は、目で見ることはできません。それは、大空にいくつ目かの「連凧」が揚がったとき、ポッと姿を見せてくれるのです。それがいくつ目かは分かりません。いつごろかも分かりません。見ないままに卒業を迎えることだってあるでしょう。
 心に揚がる「連凧」のことを「なかま」と言います。「仲良し」とはまた違って、言葉で言うのは難しいのですが、ぬくもりがあってほっとできるような時間と空間が広がっています。ぼくは、きみたちと一緒にこの時間と空間を見たいと思います。

おうちの方へ
 定期の家庭訪問が終わりました。ご協力ありがとうございました。子どもたちは、多くの人の思いや生活を小さなランドセルに詰め込んで登校しているんだと改めて感じました。私やクラスに温かいまなざしを注いでいただいていることをとてもうれしく思います。
 この1か月の生活や家庭訪問を踏まえて、1年間の学級目標を立てました。「凧」と「連凧」は、「個」と「集団」の課題をシンボル化したものです。「個」については、全体的に線の細さを感じています。「しっかりとした『凧』」をめざす中で、人間の根っこの部分を太くたくましいものに鍛えたいと思います。6年生のスタートを歓迎してくれた子どもたちを、「このクラスでよかった」と言って卒業させてやることが、私の仕事だと自らに課しています。そんななかま集団を育てることが、「心に『連凧』を揚げる」ということだと考えています。
 どうか知恵と技と体力を貸してください。

 

キャッチコピーが子どもたちのなかに像を成してきたら、それに向かう具体的課題を提示します。

具体的課題は毎日の学習になかに在ることもあるし、学校行事のなかに在ることもあります。もともとあった課題を学級目標の具体的課題として関係づけることもあるし、意図的に課題となる場面を設定することもあります。