教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑧

  「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する④から紹介しています講演の続きです。

 

 

 

 

反戦反核・反差別
21世紀につなぐヒロシマからのメッセージ

 

                下 原 隆 資 さ ん(元・被爆教職員の会)

 

■育ったところの言葉で話す

 

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する④

 

■原爆の死者の数

 

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑤

 

■自分でしたことは言えなかった

 

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑥

 

 ■私には話す責任がある(1)

 

 「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑥

 

■私には話す責任がある(2)

 

 

 「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑦

 

■私のこと、8月5日


 私の話もちょっとしなくちゃいけないと思いますが、実は中学校の2年生の時に学徒動員で出ました。3年になって8月の5日、仕事が終わって帰ろうとしたら、私は島の人間ですから帰れませんから、学校の前に下宿しとったんです。同級生もおりました。その2人が先生に呼び出されたんです。2人が、「今日はなんにも悪いことしてないけん」言うたんですよ。先生が呼び出すいうたらろくなことはないんですよ。いたずらはしましたよ。そしていたずらがばれたら呼び出されるんです。「おまえらこういうことしただろう」、「はい」と正直に言います。したことによってげんこつの数が違うんです。ちょっと悪いことしたら一発ぶん殴られます。はい終わりと。かなりの事をしておったら3つ4つ殴られるんですよ。ただうそは言ってないんです。しとったのにしません言うてうそを言ったとします。そのときはこらえてくれるんですよ。ホントだったらわかります。もうこうなったら許してくれないですね。必ず学校くびになります。これじゃかなわんから正直に言います。2人が、今日はなんにもしてないけんのう言うておこられるつもりで行ったら、先生が机の上へ、封筒だと思います、これを2人の前へ出して、「おい、おまえら2人はこの封筒を学校へ持って行ってくれ」言うたもんですから、2人で大喜びしたんですよ。やったあ、あしたの朝はゆっくり行けるわ。学校は8時までに行きゃあいいんです。工場は3km離れとるのに7時半に入らにゃいけんのです。だからゆっくり行けます。


■私のこと、8月6日


 次の日の朝8時までに行かにゃいけなかったのに、私がひょっと気が付いたのは、学校は先生も生徒もおらんということです。3年以上が工場に行っとります。先生も行っとります。1年と2年が町に出て建物を壊す仕事をしとったんです。建物疎開と言います。広島中が火事で焼けんように、広島の真ん中を100mほど空き地を造ろうとして、そこにおる人をなぐりだして、1円の保障もないんですよ。「今、国の非常時だ。天皇の命令だ」言うてみな追い出したんですよ。そして建物を壊そうとしたんですよ。その壊す係が中学校の1年と2年生だったんです。ですから学校には先生はいません。事務の人たちしかいません。だったら遅れたってわかりっこないです。ええいいつでもいいわいと私が横着して寝とったんですが、友だちは、もう用意して玄関に出てどう言ったかというと、「おい5分遅れとる。早くせい」と叱ったんです。叱られるとしようがないでしょう。用意して出ました。


 私がおったところから3分ぐらいのところでした。8寺10分過ぎには学校へ着いたと思います。学校の西に門があって、ずっと入った所に大きなガラスの戸のついた玄関があって、その南側が事務室なんです。事務室に行って2人が封筒も渡して「はいご苦労さん」言われたら出とるんです。出とったら助からんわけです。ところがその日初めてなんですが、「ちょっと待っちょりなさい。先生に荷物持って行ってください」言うので、「いいです」言うて、私がおって隣に友だちがおって、ここに玄関の戸があって、外です。おったのに、友だちが暑いもんですから、実は8月の暑いときでも上着を着さされとったんです。「ぼくは外で待つ」言うから、「おう待っとけ。済んだら呼んだるわ」言うたら、外へ出て木の下へ座るのを見とったんです。座ったなと思うてこちらを向いたらすぐです。急に大きな声でどなるもんですから、そちらへぱっと振り向いたら、空を指さしながら「B29がと‥‥」まで聞いております。その瞬間にピカッと光って目の前がまず真っ赤になったんです。


 あっと思った次の瞬間にすごい音がしたと思うんです。これは学校が裂けた音だったんです。広島では一般の人はドーンいうた音を聞いとります。これは衝撃音ですね。私は学校の中におったから裂ける音です。
 音と同時にですね、目の前が真っ暗くなったんです。これは広島でもいっしょのようです。暗いのにですね、天井が落ちるのがわかったんです。ストンじゃないんですね。ふわっとした感じで迫ってくるのが。実はこれ全部本当だったようです。


 大学生のとき、「先生、天井いうたらストンと落ちるのに」言うたら、「そりゃ違うわ」。原子爆弾の場合にはものすごい風、台風の10倍ぐらいの風が吹いたんですよ。だからほとんどの木造の建築はこっちへこけたんです。ところが次の瞬間に逆の風が吹くんだそうです。ということはそこの風が爆風で出るんです。真空になったんですよ。爆心地が。だからまわりから風が吹き込んで来るんで、倒れかけた家がもう一度起き上がるんです。「じゃ先生、家がもとに戻ってええじゃない」言うたら、「何がええか。ばらばらになっとるやないか」。だから天井がストンじゃなくてふわっとみんな落ちてきたんです。「おまえほんとによう見とるな」言われたんですが、実はそのときにはっと思ったのは、自分のすぐそばに爆弾が落ちたんだな。爆弾が落ちてものが爆発するときには吹っ飛ばされて大ケガします。吹っ飛ばされん方法はうつ伏せに地面へ伏せるんがいいんですよ。これは今でも私が子どもらに話をするときにはそう言います。爆弾が爆発したときには伏せにゃならんよ。それと放射能のこわさをよく話をするんですね。放射能というのは見えんし、あたってもいとうもかゆうもないけれどこわいんじゃと。よく話をします。


 伏せようとしたのは覚えとるんです。ただ後は体が動かないし、なんにも見えんもんで死んだんか生きとるんかわからなかったです。死んどるんじゃ思うたです。


 ところが目の前が少し明るなってきて、目をこらして見るとこちらを上にして横倒しなんです。天井に押されとります。こりゃ生きとるわ。火がついとります。煙たいんですね。外へ逃げないと死にます。よし、出てやろう。簡単に考えて行こうとしたんですが、よく考えると動くわけないでしょう。天井が押しとるんじゃけ。ところがもがいたら中が動くんですよ。わっ、引っ掛かっとる。じゃ、引っ掛かっとるものを動くわけにいかないからちぎっていったんです。上着もシャツもちぎりました。ちぎっていくとよく中が動くんで、こりゃいいわ。ただ4つぐらい動きにくいんで、思いきりうつ伏せになって這って歩くのにまわしたんですよ。そのときにここを引っ張る感じがしたんですが、そんなことかまっちゃおれんのでまわしました。


 これは1週間してやっと連れて帰ってもらって、初めてお医者さんに行って、もうぐるぐる巻きに包帯もしとったんですが、そのときにここ(脇腹)に長い、えぐった傷があるのがわかりました。もちろんくっついてないですよ、白血球がほとんどないんですから、うんどりました。それをお医者さんがきれいに膿をとって、中をあろてやるわと洗ってくれたら、この腹からこんな小さな木の切れ端がいっぱい出てきたんですよ。「おまえ木がたっとったろう。それを動かしとるわ。痛かっただろう」。だったんですが、実は私は痛かった覚えはないです。今だってケガをして痛いケガはたいしたケガじゃないという信念をもっとります。大きいケガはわかりません。そのときにも顔は切っとったんですよ。全然知らないんです。


 気が付いて、這って出て、座って見たら上着もシャツもないですよ。上は裸です。その裸に血がいっぱいついとります。びっくりして右手でなぜたんですね。ところがケガはないんですね。おかしいでしょう。だから今度は回りを見回したんです。そしたらここ(肩)にね、光ったものが一つ見えたような気がしたんです。すぐ手をやりました。そしたら親指にガラスがちょっと当たったんです。あっガラスやと思って抜いたんですよ。ちょっと血が出ました。こうしたおかげでこことここ(肩)に穴みたいなのがあいとるんですよ。痛うないからいいんですよ。痛かったらようつっこみませんよ。指をつっこんだんです。その穴に。すると奥の方にガラスがあるんですね。突き刺さったんじゃ思います。上着をとるときにちぎれとんですね。で苦労したんですがなんとか2つとも抜きました。そっから血が噴き出ましたよ。ただし3つ抜いて私が思うたのは、喜んだんですよ。やったあ助かったわ。ガラスで済んだ。こんなところ(肩)にガラスが立って死んだものはおらんでしょう。助かった思うて大喜びしたんですよ。


 ただ残念ながら、ガラスはここ(肩)にいっぱいたっとったようです。上着を脱ぐときに、とるときにちぎれたやつが。これが分かったのは、全部体の傷が治ったのが4カ月半ぐらいです。初めて風呂へ入ってみたら背中の肩の骨の上に飛び出とるものがいっぱいあるんですよ。次の日にお医者さんに行って、「先生これなんかできとるわ」言うたら、「あっこれはガラスいっぱいもっとるわ」言うて、1つずつ、小さいガラスですが9つ出してくれました。そこまで気がついてないんですよ。


 次に心配になったのがこちらの血です。顔じゃいうのはわかりました。立ったら流れるんですから。ただ残念ながら顔は見るわけにいきません。で、ひょっと思い出したのが友だちです。友だちは離れとるけだいじょうぶ。よし呼んだろう思うて、おい言うてどなろう思うたら、口の中へ何かものがいっぱいあるんですよ。声が出ませんね。ものを吐き出しゃいいんですよ。吐いたつもりです。そしたら、ここ(右頬)からこっち(唇)へガラスが、すべっとります。こっちはついとるんですよ。ここの端(左顎辺)にこれぐらい(拳大)の上の口の肉が出てきたんです。ありゃ、口の中切っとるわ。なんぼじゃまになってもついとるんじゃからちぎって捨てられんでしょう。もういっぺん口の中へ入れたもんで、右手でつまんでひょいと入れたら、手がスパッとこのくらい(拳)入ったんですよ。普通は入りませんよ。口が裂けとるんです。こんどそれを入れて、口の中を探ったら、この間が開いとった思います。指が入りました。切れとるのがわかります。と同時に舌は固いんですね。あっ、これはだいじょうぶだ。とすると医者に行ったら助かるかもわからん。とたんに友だち忘れたんですよ。


 見回したら南側が明るいので逃げて行きました。南側が私の行っとる工場なんです。病院もあります。友だちもおります。すぐ病院まで連れて行って。ところが私の後から後から来る人が大やけどでしょう。耳や鼻が溶けとるような人がくるんです。治療してくれないんですね。ほっといたら死んどった思います。友だちが5人ぐらいで出て行ったと思うたら、お医者さんを無理やり連れてきて、「手当をせえ」、「いやぁ後回しじゃ」。けんかしてくれて、4針とめてもらったんです。まあそれしかできなかった思います。


■私のこと、島へ帰る


 話をとばすようになりますが、4日目にお父さんが見つけてくれました。実はお父さんは戦争に行ってケガをして帰っとったんです。足が悪かったんですが、それでもその日に大回りをして広島に入って、次の日には私の工場まで来てくれたんです。ところが残念ながら私は工場を出とったんですよ。家に帰るのに。行き違いです。お父さんは広島の町中3日間探して、持って来た食べ物がほとんどない状態で、もう一度思うて来て私を見つけてくれました。ただそのときに私が動けないんで連れて帰れませんね。私のおった町の防空壕へ預けて、ひとりで帰って船を雇うて連れに来たんです。3日目に船で連れに来てくれたんです。


 だから1週間目に家に帰れて初めてお医者さんに診てもらったんです。ところが、診てもらったのにこの(上唇)先だけずれてついとるんです。今でもずれとります。ここはうんで開いとります。こんな顔はいやですよ。「先生、こんな顔じゃ人の前へよう出んわ」言うたんです。「だいじょうぶじゃ。治ったらもう一回整形したるわ」。実は整形外科の医者だったんですよ。「わしの専門じゃまかしとけ」言いました。ただしこっから上が開いとるんです。うんどります。「先生治ってないじゃないか」言うたんですよ。「おまえ、よう見とけよ」言うて洗ってくれたんです。開いてね。ここからはこんなに小さなガラスがいっぱい出て来たんですね。「おまえくっついとったらガラスかんだまま残るよ」。そうして整形してもらうつもりだったんです。


 4カ月半で治りました。そのときにお医者さんが、整形したろか言うたんです。普通だったらしてもらいますよ。ところが1週間して船で帰ったときに、私以外に同じ島の人が7人が乗してくれ言うたから帰ったんです。8人一緒に帰ったんですよ。ケガしとるのは私ひとり。私よりひとつ年の多い子がちょっとやけどをしとりました。後はケガも何にもない。ピンピンしとるんですよ。ところがその人たちは、帰って、私も含めてですが、1週間したら髪の毛が8人とも抜けたんです。これは原爆症ですが。そうして、今度はばらばらなんですが、体中に紫色の斑点が出て来て、最初の男の子は、なんじゃろうか言うとるうちに6時間して死んどるんですよ。実はそのようにして4カ月たったときには、私以外の7人が全部死んで行ったんです。とすると、わたしも死ぬるはずです。私は2カ月目から自分の番じゃ思いました。だから朝起きたら、体中見るんです。斑点が出てないかです。いやぁ今日は生きとる。寝る前にも見ます。出てないです。あしたは生きて目が覚めるじゃろ。そうして確かめるんです。だったらもう死ぬる思うとりますから、お医者さんに、「わしはすぐああなって死ぬるじゃろう思う。どうせすぐ死ぬる人間、手術せん」言うたんです。ちょっとでも痛いじゃろう。その医者もそう思うとったようです。「ああそれでええ。無理するなよ」。実はそのときに手術をしとったら死んでおったんですよ。白血球が0なんですよ。ほかの病気で死んどっただろう。

                            (つづく)