教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

日本語探訪(その104) 慣用句「メスを入れる」

小学校3・4年生の教科書に登場する慣用句の第42回は「メスを入れる」です。

 

メスを入れる

 

「メスを入れる」の読み方

メスをいれる 

 

「メスを入れる」の意味

外科医がメスを用いて患部を切開する。転じて、隠れた実体を明るみに出す。また、禍根を除くために思い切った手段を用いる。(広辞苑

 

「メスを入れる」の使い方

政財界の癒着にメスを入れる。

 

「メスを入れる」の語源・由来

「メスを入れる」の語源は、外科医がメスを用いて患部を切開する医療行為にあります。

「手作り言葉辞典」のページから引きます。

メスを入れるとは
メスを入れるとは、外科医がメスを用いて切開することを言います。切開することによって病気の原因となっている物を除去し、回復へと導きます。このことから、根本的な解決のために非常手段をとる、事態を厳しく追及し批判する、事態解決に着手するということを言うようになりました。人間の体を切るためにメスを入れることは、病気を治すためとはいえ、非常手段であることに代わりはありません。(後略)


メスを入れる
物事の核心に迫る為の一歩を踏み出す時や、根本的解決を計るのに非常手段に出る時に使用します。メスは本来医師が手術に使用する器具で、体の悪い部分を切除する為の道具です。特に体内の臓器に疾患が見られる場合、その治療にはまず皮膚を割く所から始まります。その行為を疚しい事情を明らかにする時になぞって表現しているのが「メスを入れる」であります。例として「会社の裏帳簿にメスを入れる」や「官僚と政治家の癒着体質にメスを入れる」などがあり、ある種の告発をする時に使用される事が殆どです。医師も人・他動物の体にメスを入れる事は決して気楽な作業ではないですし、何より命を救う為の手段としてやる行為ですからその責任はとても重大でありミスは絶対に許されないのです。そして何か疚しい事を明らかにしようとする者も同じで、メスを入れるからには何かしらの物証あるいは確証を得る必要は大であり、それを得られなければその行動は只の人騒がせな迷惑行為になってしまい、逆にメスを入れた側が多大な責任を負う事になるのです。それだけのリスクを承知で踏み切る覚悟を持たない人には出来る行動ではないですし、確固たる決意と裏付けがある人にしかそのメスを持つ事は許されません。 

  

「メスを入れる」の蘊蓄

「メスを入れる」のは医者、「医者」が出てくる慣用句

医者が取るか坊主が取るか(いしゃがとるかぼうずがとるか)
生死の境にいるような重病人のこと。生きているうちは医者が金を取り、死んでしまえば僧侶が金を取るということから。また、所詮あの世に金は持っていけないと守銭奴を皮肉ることば。

医者寒からず儒者寒し(いしゃさむからずじゅしゃさむし)
医者はおおむね裕福で、学者はたいてい貧乏だということ。「儒者」は学者、「寒し」は貧しい意。

医者上手にかかり下手(いしゃじょうずにかかりべた)
物事はうまく行うためには相手を信用しなければならないというたとえ。どんな名医でも、患者が信頼して従わなければ病気を治すことは出来ないという意から。

医者と味噌は古いほどよい(いしゃとみそはふるいほどよい)
医者は経験を積んだ年寄りのほうが信頼できるし、味噌は年月が経ったもののほうがおいしいということ。

医者の薬も匙加減(いしゃのくすりもさじかげん)
何事も加減が大事だというたとえ。医者がどんなに良い薬を使っても、分量が適切でなければ効き目がないという意から。

医者の自脈効き目なし(いしゃのじみゃくききめなし)
人は専門のことでも、自分のことになると確実な処理ができないというたとえ。医者は他人の病気は治せても、自分の病気は適切な処置ができないという意から。

医者の只今(いしゃのただいま)
あてにならない約束のたとえ。往診をたのまれた医者は「只今、参ります」と返事するが、なかなか来てくれないことから。

医者の不養生(いしゃのふようじょう)
口では立派なことを言いながら、自分では実行していないことのたとえ。患者に養生を勧める医者が自分の健康に注意しない意から。

医者よ自らを癒せ(いしゃよみずからをいやせ)
他人に立派なことを言う人は自分も立派でなければならにというたとえ。患者を治療する医者は自分自身も健康に注意せよという意。

医は仁術(いはじんじゅつ)
医術は病気を治すことによって、相手に仁徳を施す術でもあるということ。

お医者様でも有馬の湯でも惚れた病は治りゃせぬ(おいしゃさまでもありまのゆでもほれたやまいはなおりゃせぬ)
恋の病は、医者の出す薬や温泉でも治せないというたとえ。 「草津」は「有馬」ともいう。

お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ(おいしゃさまでもくさつのゆでもほれたやまいはなおりゃせぬ)
恋の病は、医者の出す薬や温泉でも治せないというたとえ。 「草津」は「有馬」ともいう。

渇を医する(かつをいする)
かねてからの願いを実現させて満足すること。 水などを飲んで渇いた喉を潤す意から。 「渇を医する」とも。

葬礼帰りの医者話(そうれいがえりのいしゃばなし)
言ってもどうにもならない愚痴を言うたとえ。また、手遅れで間に合わないことのたとえ。葬式からの帰り道に、医者のよしあしなどを話すということから。

橙が赤くなれば医者の顔が青くなるだいだいがあかくなればいしゃのかおがあおくなる)
橙が色づく秋頃は過ごしやすく病人も少なくなり、仕事が減った医者の顔が青くなるということ。

腹八分に医者要らず(はらはちぶにいしゃいらず)
食事をするときは、常に満腹の八割ほどで抑えておくほうが健康でいられるということ。 「腹八分に医者要らず」「腹八分に病なし」ともいう。

百姓の泣き言と医者の手柄話(ひゃくしょうのなきごとといしゃのてがらばなし)
農民が今年は不作だと泣き言を言うのと、医者が助からぬ重病人を助けたという手柄を話すのとはお定まりのことである。どちらも、口癖のようなものだということ。

坊主捨て置け医者大事(ぼうずすておけいしゃだいじ)
急病の時は、急いで医者を呼ぶのが大事だということ。

三度肘を折って良医となる(みたびひじをおってりょういとなる)
人は多くの苦労を重ね経験を積んで、初めて円熟した人間になれるということ。医者は自分のひじを何度も折り、苦痛や治療を経験して初めて良医になることができるという意から。

藪医者の玄関(やぶいしゃのげんかん)
外見ばかり立派にして実質の伴わないことのたとえ。腕に自信のない医者ほど玄関を立派にするということから。

藪医者の手柄話(やぶいしゃのてがらばなし)
実力のない者ほど自慢話をしたがるというたとえ。

藪医者の病人選び(やぶいしゃのびょうにんえらび)
実力のない者にかぎって仕事のえり好みをするというたとえ。「藪薬師の病人選び」ともいう。

病を護りて医を忌むやまいをまもりていをいむ)
自分に欠点や過ちがあっても、人の忠告を聞こうとしないことのたとえ。 病気があるのに医者にかかるのを嫌がるとの意から。

病め医者死ね坊主(やめいしゃしねぼうず)
人の病気を治すのが医者であり、人々を苦しみから救うのが僧侶のはずなのに、医者は人が病気になるのを願い、僧侶は人の死を願っているということ。人は誰でも自分の商売繁盛を望むものだというたとえ。