安倍改革の「エンジン」①
ここに「美しい日本」号という車があります。
この車には、数々の改革シリンダーを備えた「エンジン」が積まれています。
幾人もの人が乗っています。
安倍氏が運転手の役を担った時、彼は「アクセル」を目一杯踏み込み、車を前に進めました。
私は、安倍改革というのはそういうものだと思っています。
安倍氏が運転席に着いた時に車は一気に前進しました。
安倍氏は、改革の「アクセル」の役割を果たしたわけで、この車の同乗者のなかでは秀逸なドライバーだったということになります。
一方、「美しい日本」号の「エンジン」については、これは安倍氏のオリジナルというのではありません。安倍氏は、「エンジン」を共有する同乗者の中の一人と捉えるのが最も自然だと思います。
では、「美しい日本」号の「エンジン」は何かというと、「日本会議」という団体こそがそれにあたると考えられます。
「日本会議」ーー(にっぽんかいぎ)と読みます。
「日本会議」は1997年に設立された民間団体です。
会の歴史は20年余ですが、直接の前身である「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」には、40年以上の歴史があります。
簡単に触れておきましょう。
「日本を守る会」
日本を守る会は、1974年に設立された民間団体です。
「皇室を中心とする日本民族の連帯感や愛国心が希薄になるなど、私たちが遠い祖先から受け継いだ多くの精神的遺産を失った感があ」るので、「戦後の弊風を一掃して倫理国家の再建に努め」ることを目的とする団体です。
日本を守る国民会議は、1978年に設立された憲法改正を目的とする民間団体です。
1997年、2つの会が発展的に統合して「日本会議」が発足します。
「日本会議」
日本会議がめざすものは、前身団体の流れを受け継いでいます。具体的には、上の図に示した6点です。
「日本会議が目指すもの」の4つめに、「日本の感性をはぐくむ教育の創造を」という項があります。
いじめや自殺、非行の増加や援助交際といわれる性道徳の乱れなど、いま学校教育は崩壊の危機に直面しています。また家庭秩序の混乱や物欲主義の社会風潮、低俗な風俗の流行など、青少年をとりまくこれらの精神的、物理的な社会環境の悪化は、教育荒廃を助長する大きな原因ともなっています。健全な教育環境の創造は、私たち一人ひとりの務めでもあるのです。
特に行きすぎた権利偏重の教育、わが国の歴史を悪しざまに断罪する自虐的な歴史教育、ジェンダーフリー教育の横行は、次代をになう子供達のみずみずしい感性をマヒさせ、国への誇りや責任感を奪っています。
かつて日本人には、自然を慈しみ、思いやりに富み、公共につくす意欲にあふれ、正義を尊び、勇気を重んじ、全体のために自制心や調和の心を働かせることのできるすばらしい徳性があると指摘されてきました。
長年の国民運動の甲斐もあって、平成11年には国旗国歌法が制定され、平成18年12月には59年ぶりに教育基本法が全面改正され愛国心や道徳心、公共心を大切にする教育目標が明記されました。
教育は国家百年の計といわれます。私たちは、誇りあるわが国の歴史、伝統、文化を伝える歴史教育の創造と、みずみずしい日本的徳性を取りもどす感性教育の創造とを通じて、国を愛し、公共につくす精神の育成をめざし、広く青少年教育や社会教育運動に取りくみます。
「愛国心」「道徳心」「公共心」を大切にする一方、「『自虐的』な歴史教育」「ジェンダーフリー教育」「権利『偏重』教育」を否定します。
これは、教育基本法「改正」や道徳科を貫く思想と底通するものです。
「皇室中心」「憲法改正」などとともに、安倍氏の主張と日本会議の主張は重なり合います。
日本会議には、「日本会議国会議員懇談会」という組織があります。自民党や維新の会など280人ほどの国会議員が参加しています。
安倍氏最後の内閣である第4次安倍第2次改造内閣では、20人の閣僚のうち15人が懇談会のメンバーでした。
衛藤晟一沖縄・北方領土担当大臣(前首相補佐官)・・・「懇談会」幹事長
西村康稔経済再生担当大臣・・・「懇談会」副幹事長
さらに、それ以前の安倍内閣の閣僚では、
山谷えり子(国家公安委員会委員長/首相補佐官)・・・「懇談会」政策審議会会長
有村治子(内閣府特命担当大臣)・・・「懇談会」政策審議会副会長
などがいて、いずれも「懇談会」の主要ポストに就いています。
氏名を赤字にしているのは特に重要な人で、その中でも「懇談会」幹事長の衛藤氏と事務局長の萩生田氏はキーマンです。
萩生田光一文科大臣については、前川喜平氏が東京新聞のコラム(2019.10.6)に次にように書いています。
萩生田光一文科大臣と日本会議の関係は深い。日本会議国会議員懇談会事務局長だった2007年、会議設立10周年への挨拶文で「『行き過ぎたジェンダーフリー教育、過激な性教育』対策では日本会議の識者の先生方の後押しもいただき・・・ジェンダーの暴走を食い止め」などと述べていた。
同じころ萩生田氏は「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の沖縄戦検証小委員長として、沖縄戦での「集団自決」に対する軍の命令・強制を否定するための「検証」もしていた。13年には、自民党「教科書検定の在り方特別部会」の主査として、教科書会社の社長や編集者を呼び出し、歴史教科書の記述に注文をつけたこともある。
日本会議は「皇室と国民の強い絆」や「皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識」を強調し、「行き過ぎた権利偏重の教育、わが国の歴史を悪しざまに断罪する自虐的な歴史教育、ジェンダーフリー教育」を非難して「誇りあるわが国の歴史、伝統、文化を伝える歴史教育」「日本的徳性を取りもどす感性教育」「国を愛し、公共につくす精神の育成」を主張する。個人の尊厳、両性の平等、学問の自由、軍国主義への反省といった日本国憲法の精神はどこにもない。萩生田大臣は、日本の教育をいよいよ日本会議の求める方向へと歪めていくだろう。
(現代教育行政研究会代表)
衛藤晟一氏は、2012年の安倍内閣発足で首相補佐官に就くまで名前を耳にすることもほとんどありませんでした。しかし、第2次安倍政権では一貫して重用されました。
衛藤氏を語るには、椛島有三氏のことから話し始めなくてはなりません。
椛島有三氏は、日本会議の結成から一貫して事務総長を務めている人です。
椛島氏の来歴は1967年の長崎大生時代に遡ります。この年、全日本学生自治会総連合(全学連)による左派系学生運動に対抗して、保守系の長崎大学学生協議会(長大学協)を結成します。生長の家の影響を強く受けていると言われています。
そして、翌1968年には九州学生自治体連絡協議会(九州学協)を結成しています。
長崎の運動は大分にも広がり、大分大学協の衛藤晟一氏が九州学協に結集します。これが衛藤氏と椛島氏の出会いになります。
椛島氏は、日本会議の前身である「日本を守る国民会議」(1978年から1981年までは「元号法制化実現国民会議」の名称で活動)で事務局長を務めていました。
つまり、50年間にわたって運動の牽引者であり続けているというわけです。そしてまた、椛島氏と衛藤氏は50年来の同志ということになります。
安倍氏は、その衛藤氏を重用したということです。
安倍内閣を評してしばしば「お友だち内閣」と表現されました。
「お友だち」とは、日本会議の思想を共有できる同志ということだったのです。