教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

安倍教育改革の遺したもの(その12)

安倍改革の「エンジン」②

 

安倍改革の「エンジン」は「日本会議」であると書きました。

さりとてそれは、国会議員が多数所属しているとは言え、1民間団体です。なぜそれが、それほどまでに強い影響力を持ちうるのでしょうか。

 

自然吸気のエンジンにターボ機能を付けると、エンジンの性能も馬力も増します。

日本会議にも「ターボ機能」があるのです。

 

日本会議の「ターボ機能」は、「国民運動」です。

 

日本会議の運動を牽引してきたのは椛島有三氏です。

「国民運動」という運動スタイルも椛島氏によるものです。

椛島氏の初期の代表的な成功体験は、元号法制化実現運動にあります。

日本会議のホームページに「国民運動の歩み」が紹介されています。

 

昭和

53年

1月 言論の自由を守る学者・文化人懇談会を開催
7月 各界代表集め「元号法制化実現国民会議」(石田和外議長)結成
7月 元号法制化の世論喚起にむけ全国47都道府県にキャラバン隊を派遣、各地に都道府県民会議(地方組織)の結成相次ぐ(キャラバンは以後毎年実施)
10月 元号法制化実現総決起国民大会」開催(日本武道館、1万名)
54年 1月 全国から法制化を求める国会陳情活動が実施される(~6月)
6月 元号法成立
55年 8月 北海道防衛の危機を訴えた映画『脅かされる北の守り』を製作し全国上映
8月 元号法制化運動以降の国民運動を訴え全国縦断キャラバンを実施

 

まず、運動母体「元号法制化実現国民会議」をつくります。

全国キャラバンで宣伝啓蒙活動を行い、地方組織をつくります。

地方議会(市区町村議会・都道府県議会)で陳情書を議決し、国会陳情をします。

運動に賛同する国会議員により、法案が可決成立します。

 

この運動スタイルが日本会議に受け継がれ、今日に至っています。

「国旗・国歌法案」、「教育基本法の改正」、「歴史教科書」、「道徳の教科化」、「憲法改正」など、すべて国民運動が「日本会議国会議員懇談会」メンバーの国会活動を後押ししています。

 

天晴れな運動手腕と言うしかありません。

 

この国民運動が、学校現場に大きく影響したことがこれまでにもありました。

 

日本会議には各都道府県の支部があります。

森友問題で名を馳せた籠池泰典氏は、かつて大阪府の役員だったようです。その大阪府本部には、泉州北摂津・北河内中河内南河内泉州支部堺部会・大阪市支部の6支部があります。

支部には地方議会議員、町の有力者が名を連ねます。

 

国旗及び国歌に関する法律」は、国旗と国歌を規定する4か条から成る法律です。制定までの経緯もあって、教育現場への強制の有無が国会審議で取り上げられました。それに対して小渕恵三首相(当時)は、「国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております」と答弁しています。

しかし、実際には法制定後に多くの教員が処分を受けていることは周知の事実です。

その際、教育委員会や学校長が「掲揚」「起立」「斉唱」のチェックを行ったのは言うに及ばず、儀式に出席した地方議員や町の有力者が有言・無言の重しになりました。

 

歴史認識に関しても、認識の異なる授業を「偏向教育」と教育委員会に訴えたり、特定の教科書を採択するように運動したりしたのも地方議員や町の有力者です。

 

歴史は繰り返されます。

 

道徳の授業時数を地方議会で質問した議員のことは、「道徳の教科化」で触れました。

時数調査は今や全国津々浦々で当然のように実施されています。

しかし、時数が満たされたからと言って、道徳教育が充実したとは言えません。質の問題です。

道徳の教科化は、質の充実に資することになります。ここで言う「質」とは、具体的には「畏敬の念」「愛国心」「伝統と文化」「公共の精神」を指します。

地方議会で議員がこの問題を質したとします。教育委員会は、学校現場に実施内容の報告を求めます。……あとは、火を見るより明らかです。

学校現場の萎縮は、結果的には子どもの不幸です。杞憂であることを念じつつも、学校現場は心して備えなくてはなりません。

 

安倍政権は退場しました。

「安倍改革」は終わりました。

しかし、「安倍改革」の「エンジン」は健在です。

安倍改革の遺したものは、「安倍改革」の「エンジン」とともに生き続けます。

そしていつの日か、新たな「ドライバー」が運転席に着くかもしれません。