教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

教員免許更新制廃止、そして… ⑦教員免許更新制の系譜(そして、これから)

昨年(2020年)、萩生田光一文部科学大臣が主導するかたちで「教員免許更新制」廃止に動き出したとき、アレッと思いました。

 

萩生田氏は安倍氏と思想信条が近く、安倍氏の側近と言われている人です。

その萩生田氏が、安倍氏肝いりの免許更新制を廃止する方向で見直すというのですから、びっくりです。なぜ……?

 

中央教育審議会「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会教員免許更新制小委員会に示された「『令和の日本型学校教育』を担う新たな教師の学びの姿の実現に向けて 審議まとめ(案)」(2021年8月23日)を見て、何となく「なぜ……?」の解が見えてきた気がします。

 

 

「審議まとめ(案)」については、教員免許更新制廃止、そして… ①玉虫色の「発展的解消」で詳述しました。

 

要点を復唱すると、

教員免許更新制を発展的に解消することを文部科学省において検討することが適当であると考える

解消」の理由は、

「新たな教師の学びの姿」を実現するための方策を講ずることにより、教員免許更新制が制度的に担保してきたものは総じて代替できる状況が生じること

教員免許更新制は、「新たな教師の学びの姿」を実現する上で、阻害要因となると考えざるを得ないこと

教員免許更新制の課題の解決を直ちに図ることは困難であること

というものです。

 

教員免許更新制は、無理に無理を重ねて成立させた制度です。不適格教員排除という本来の目的は、中曽根さん以来の悲願ですがそもそも法的に無理だったのです。仕方なしに(つまり安倍さんの顔を立てて)できたのが、資質向上のための更新制でした。

実際やってみると、教員の負担が重い、臨時講師が確保できないなど弊害が目立ってきました。それらの「課題の解決を直ちに図ることは困難である」ので、廃止となりました。

 

しかし、「廃止」とは言わず「発展的に解消」と言っています。

教員免許更新制は、「新たな教師の学びの姿」を実現する上で、阻害要因となると考えざるを得ないこと

更新制が邪魔になるとは…。

教師の学びは常に続けていかなければならないのに、10年に1度に制限してしまっているというのが、「阻害要因」の意味するところです。

 

要するに、「排除」路線くずれの更新制と決別して、「囲い込み」路線に徹しようというのが「新たな教師の学びの姿」の「ウラの顔」です。

詳しくは、教員免許更新制廃止、そして… ②新たな研修制度にあります。

 

新たな研修制度の柱は、

①任命権者や服務監督権者・学校管理職等が個々の教師の学びを把握し、教師の研修受講履歴を記録・管理していくこと

②教師と任命権者や服務監督権者・学校管理職等が、教員育成指標や、研修受講履歴等を手がかりとして、積極的な対話を行うとともに、任命権者や服務監督権者・学校管理職等が、キャリアアップの段階を適切に踏まえるなど、教師本人のモチベーションとなるような形で、適切な研修を奨励することが必要である

です。

 

研修受講履歴を記録・管理」に関して、7月5日に行われた第3回・教員免許更新制小委員会で、京都府大分県が先行事例紹介のプレゼンを行っています。

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京都府のプレゼン資料より

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大分県のプレゼン資料より

 

文科省教育委員会が主催する研修の受講記録が管理され、管理職や教委が閲覧します。

記録をもとに、「積極的な対話」が行われ、「適切な研修を奨励」されます。

 

これをモチベーションとなると考える人は、それでいいです。しかし、自分の受講記録が管理されることに抵抗を覚える人もあるでしょう。

また、民間の自主的研修が含まれないこともキャリアアップの観点から問題です。教員を一色に染めることが目的ならば、よくできたシステムと言えますが。

 

それでもやっぱりこんなシステムは嫌だと言う人はいるでしょう。

どうなるかと言いますと、教育委員会や管理職が「期待する水準の研修を受けているとは到底認められない」と判断すれば、「職務命令に基づき研修を受講させ」られることになります。

なんで研修受講に職務命令なんだと従わなければ、「懲戒処分」「人事上又は指導上の措置」が待っています。

 

研修履歴の管理は内面の自由を侵しかねないですし、処分をちらつかせての受講義務化は個々の主体性を損なうものです。これでは免許更新制の「発展的解消」措置ではなく、免許更新制の廃止に乗じた「発展的管理強化」措置と言わざるを得ません。

と、私は先の稿で書きました。これは空恐ろしい光景です。

 

 

原点に立ち返ります。

教員免許更新制の遠い出発点には、「お座敷をきれいにして、そしてりっぱな憲法を安置する」(中曽根康弘氏)といった政治的な背景がありました。

改憲抵抗勢力をなくす(お座敷をきれいにする)ために、総評運動の中心であった国労組合員を徹底的に排除するかたちで国鉄分割民営化が断行されました。

教員組織である日教組に対しても排除路線が試みられましたが、法的に無理がありました。用意されたのは、従順でモノ言わぬ教師作りという「囲い込み」路線です。その最初が「初任者研修制度」でした。

「初任者研修制度」のあと、「10年経験者研修制度」が創設され、いまは「中堅教諭等資質向上研修」というのもあります。

これから全国で展開されるであろう研修受講履歴管理は、これまでの官製研修制度を飛躍的に発展させるものと言えます。と同時に、飛躍的に管理が強化される制度とも言えます。意欲的に官製研修を受講しないことが、懲戒処分の根拠となるのです。

 

私は石垣りんの詩が好きで、「表札」はことのほか好きです。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない 
石垣りん
それでよい。

精神の自由が担保されない社会は息苦しいです。私の譲れない一線ですし、それを脅かすものには強い拒否感を覚えます。

 

10年後の教員社会を憂慮します。