教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「1ヶ月で勝負」したクラスの記録⑦

■「1ヶ月で勝負」したクラスの記録■その6

 

6年生のスタートから2か月を迎えた6月8日の学級通信№49。

病の根は深い。

 

満2か月のクラスを見つめて


■OI■ 私は、この日記を書く時、六年生になってからのいろいろなことを思い出した。一つは、もともとあまりまとまりのなかったクラスが、少しずつであるが変わってきているということだ。休み時間にドッジボールをしたり、バレーボールをしたり、こんなことは五年生の時には一度も見られなかった。だから私は、六年生になってから一人ひとりの何かが変わってきていると思う。


■IN■ 私たちは六年生になって学校に来た日が約二ヶ月たつ。私たちのクラスは、少しずつかわっているようにも思えるんだけど、まだ形にはなっていないと思う。クラスのふんいきがかわったからか分からないけど、私としては自分の意見を五年生の時よりしっかり言えてると思う。


■匿名■ 今の教室の居心地は前よりもいいけど、四・五年生の感じが残っているのでまだしんどいです。


■KD■ 今、学級は私にとって四月と比べてよくなっていると思います。男子と女子で遊ぶのも多くなったし、女子の友だちとも前より遊ぶようになったし、授業も楽しくなったし、明るい学級になっていると思います。もっと明るい楽しい学級にしたいです。


■匿名■ 正直なことを言うとこの学級に興味を持てません。


■TN■ 「学級の日?」私は最初そう思った。でも、よく考えると大事な日だと分かった。私は、六年生になってからのみんなはとても明るくなって良いと思う。けど私自身、やっぱりKくんに学校へ来てほしい。そして新しく来たIOくんやNGくんとも友だちになってほしい。いつからか来なくなってしまったけれど、今のクラスならKくんを迎えてもっと楽しいクラスにできるはずだと思う。一部の男子もKくんと遊んでいるみたいだし、私はみんなで卒業したい。だから学級の日までにKくんが机に座らなかったのは少し残念だ。でも、学級の日を通して、Kくんにみんなのことをもっと分かってほしい。私はずっと待っている。あの空いた席にKくんが座るのを。

■KZ■ 私が今の学級について思うことは、少しまとまりができてきているけど、まだまだばらばらだと思う。だからこれからはまとまりのある学級にしていきたいと思う。でも、他にも直していかなければいけないことがたくさんある。たとえば、もっと学級が明るくなっていかなければならないと思う。授業も静かだから、もっと私は発表などしていきたいと思う。私がもう一つ思っていることは、Kくんが学校に来て六年生二十五名がいっしょに勉強や協力し何かを作ったりなどしたいと思う。私が思うこの学級の目標の一つは明るい学級になること、二つめはまとまりのある学級になること、三つ目はKくんが学校に来て二十五名そろうこと。これが、私が思う今の学級の目標だと思う。この目標は、一人ひとりが努力しないとぜったいできないと思う。

 

 

 4月6日の学級開きから2ヶ月が過ぎた。今の私たちを見つめながら、1ヶ月後の私たちをイメージしたい。


 多くの人が、学級の雰囲気が良くなっていると書いている。空席になっているKくんの机に目が届くようになったのも、教室の空気と無関係ではないはずだ。事実、休み時間や放課後の姿が目に見えて変化した。これはすばらしいことだ。しかし、その大きな輪の中に加わっていない数人の人がいることも事実だ。その人たちが、居心地の悪さを訴えている。


 ところで、私たちがめざしているのは1枚の大凧ではない。小さな凧が1本につながって揚がる連凧だ。1枚1枚の凧は、あくまでも自立していなければならない。ぼくの言っていることは難しいだろうか。


 ある人が、こんなことを書いていた。「Aさんが、『Bさんたちもドッジボールに入れてあげてほしいね。』と言った。私は、なんで自分で言わへんねんやろうと思った。」「係の仕事をしていたので、『先に行っといて。』と言うと、『行くまで待っとくわ。』と言った。私はその時あせった。自分が早く行かなければ、友だちは遊べないというあせりだった。」


 特別な人を作ってしまう教室は、さまざまな居心地の悪さを生んでいる。遊びの場面に限らず、自分の気持ちを自分のコトバで語らないことが、この居心地の悪さの原因になっているとぼくは考えている。学級委員のKZさんが、課題を整理してくれている。一人ひとりが自分のコトバで語るようになれば、INさんが感じている「違和感」を越えられると思うし、本当の意味で明るい学級になっていくのだと思う。居心地のいい学級はだれかが作ってくれるものではない。揚がらない凧を何枚つないでも、結局は揚がらないのだ。まずは、自分がしっかりとした1枚の凧になれる努力をしよう。 

 

 

《余録》

子どもの日記に出てくる「Kくん」は、3年生の途中から不登校を続けていました。不登校のきっかけは家庭環境の変化、とりわけ母子関係にありました。これほどきっかけがはっきりしている不登校というのは稀ですが、それでも転居していくまでの5年あまり、状況は変わりませんでした。

私は足繁く家庭訪問していましたが、外でキャッチボールをする日もあれば、全く顔を見せないこともありました。卒業式は、その日の放課後に会場貸し切りで、学校長が卒業証書を手渡しました。

人の縁というのは不思議なものです。25人のなかでただ一人、Kくんからの年賀状が途切れず届きます。