「日本語探訪」が50回を迎えました。
子どもたちの豊かな言語生活は、教師の言語生活の豊かさに依拠します。
シリーズ「日本語探訪」は、故事成語・ことわざ・慣用句・四字熟語の周辺をそぞろ歩きします。
言葉を深く知り、自在に操れるようになれば、日本語の表現が豊かになります。そんな教師のコトバに日々触れる子どもは、きっと豊かな日本語の使い手になります。
シリーズ初回の「口上」で、私はそう書きました。「教師」の部分を「子どもの育ちに関わる大人」と置き換えても、その含意は同じです。
そして今、シリーズは中盤に入っています。
ここらで一息、「右と左の物語」なる連載を企画しました。5回シリーズです。
「右」と「左」の成り立ち
まずは、「右」と「左」という漢字についてみていきます。
これにつては、「教壇に立つ前に ②漢字をマスターしよう(その2)」()の中で取り上げたことがあります。再掲します。
漢字マスターとあわせてお薦めしたいのが、白川静さんの本。
白川静さんは漢字研究の第一人者で、2006年に亡くなられています。
白川さんには『字訓』『字統』など有名な著書があるのですが、お薦めは
『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい 』(小山鉄郎著、新潮文庫、2009年)。
入門書としては最適ですし、なにしろ安い(473円)。
目から鱗が落ちるという言葉がありますが、同書との出会いはまさにその言葉通りのものでした。漢字の世界観が変わります。
学校の漢字指導にそのまま使えるというわけではありません。
それでも、たとえば「左」は「一」から書き始め、「右」は「ノ」から書き始めるワケを知っていたら、漢字指導が楽しくなると思いません?
実際、高学年の子どもにも結構好評でした。
蘊蓄(うんちく)を一つ。
上の図は、「左」と「右」の篆書体の文字です。
白川さんによると…
「左」は「一」が手で「ノ」が腕、「右」は「ノ」が手で「一」が腕を表しています。
まず手を書いて、腕を手首から肩に向かって伸ばしていきます。
よって、「左」は「一」から、「右」は「ノ」から書き始めるのです。
ちなみに、「左」の「エ」は呪具を表し、「右」の「口」(これは「クチ」ではなくて「サイ」)は祝詞を入れる器を表しています。
こうした知識は持っていても荷物にはなりません。ぜひご一読を。
繰り返しになりますが、
「右」という漢字は、「ノ」が手で「一」が腕を表しています。
「左」という漢字は、「一」が手で「ノ」が腕を表しています。
ここで重要なのは、それぞれの手が果たしている役割です。
右手に持っているのは「口(サイ)」で、祝詞を入れる器を表しています。
左手に持っているのは「エ」で、呪具を表しています。
漢字は、約3200年前、中国の殷(いん)王朝が卜い(うらない)に用いた亀の甲羅の腹や牛の肩甲骨などに文字を刻した甲骨文字が始まりです。そして、約1800年前、漢の時代に現在使用している漢字にほぼ近い書体が生まれました。
殷の時代は、シャーマンの占いによって吉凶を問い、国家の大事を決定していました。「シャーマン」は、「祭祀の女神(母なる神)」あるいは「女性の祭司」を意味します。シャーマニズムでは、女性祭司は唯一な権威であり、鬼神に通じる巫女です。
祭祀の際には歌いながら踊りました。
その際、右手に持っていたのが神への祝祷である祝詞を入れる器であり、左手に持っていたのが神を呼ぶ呪術のための道具(呪具)であったのです。
ついでに、「尋」にも触れておきます。
「尋」と言う漢字の「ヨ」と「寸」は古代文字の「手」を表しています。そして「エ」と「口」は、先に述べたように神を呼ぶ呪具と祝詞を入れる器です。
右手に「口(サイ)」を持ち、左手に呪具を持って、神を祭るべき場所を「たずねる」というのが「尋」です。
さらについでながら、
両手を左右に広げた時の指先から指先までの長さを「一尋(ひとひろ)」と言いますが、「尋(ひろ)」という長さの単位は、両手を広げて神に尋ねる姿がもとになっています。
さて、今回の企画に戻ります。
右に祝祷の器を持ち、左に呪具を持っています。
右と左のどちらが上位でしょう。
明らかに右です。
これは、この時代の右尊左卑(左は右に対して、下であり卑しい、劣るという考え)の観念から出たものです。
次回は、「右上位」の言葉です。