「左上位」の世界
中国では、随(581年~)・唐(618年~)の時代になると、「右」と「左」の世界観が漢の時代とは真逆になります。
陰陽五行説の流行などによって、右優位から左優位に変わってしまったのです。
「天帝は北辰(ほくしん)に座して南面す」という思想です。
天帝は北を背にして、南向きに座ります。そして、天帝から見て太陽の登る東(左)が上位、太陽が沈む西(右)が下位という考えです。
「左上右下(さじょううげ)」、つまり「左上位」の世界です。
この思想は、遣唐使によって日本に伝えられます。
律令制度を取り入れる飛鳥時代、奈良時代以降の日本は、「左上右下」が習慣となります。
古くは、古事記にも「左」の優位性が見られます。
伊邪那美命(イザナギノミコト)の三貴子誕生の場面で、左目から天照太神(アマテラスオオカミ)が生まれ、右 の目から月読命(ツキヨミノミコト)、鼻から須佐之男命(スサノオノミコト)が生まれたという場面がありますが、これは、「左」の優位性を表れのひとつだと思われます。
皇太子を日嗣の皇子(ひつぎのみこ)と呼び、「春宮」や「東宮」と 書くのはこの現れです。)
左大臣・右大臣という昔の官位でも左上位です。
天皇から見ての左側に立つのが左大臣、同じく右側が右大臣です。
これを下座側(大臣たちの後ろ)から見れば、左大臣は右側、右大臣は左側になります。
国会議事堂も、真ん中の中央塔から見て左側に、貴族院の流れをくむ参議院を配置しています。
舞台の左側(客席から見ると右側)を「上手」、右側を「下手」と呼ぶのも、左上位に基づいています。
左上位は日常生活のしきたりにも浸透しています。
和服の着方である「右前」はその代表例で、自分から見て左襟を右襟の上にして着る作法です。
障子や襖のはめ方も「左上位」です。
2枚仕立てなら、部屋の内側から見て左が外側で右が手前(内側)にはめます。障子から見ると、左が前になります。ちなみに、障子は桟が見える方が表です。
なお、4枚仕立てなら部屋の内側から見て中央の2枚が手前(内側)になり両側戸は外側にします。
食卓の配膳もまた「左上位」です。
一汁三菜の配膳は、主食が左、汁物が右。そして、副菜と主菜が奥にきて、香の物は真ん中に置きます。
日本社会の伝統は「左上右下」(「左上位」)です。
「左遷」「座右の銘」「右に出る者はいない」などの日常語があることで混乱しがちですが、日本社会の伝統は「左上右下」(「左上位」)です。
左前(になる)
着物を着るときは、地衿や衿先をもって身体に合わせていきます。その際、着付けるときに下になる右手に持っている身頃が「下前」になり、着付けるとき上になる左手に持っている身頃が「上前」になります。
そして、地衿と衿先に続く、右手に持っている下前を先に合わせる着方が「右前」です。右手が下で、左手が上、つまり「左上右下」というわけです。
「右前」「左前」というのは、着付けの際に使われる用語で、ここでの「前」は時間的に前=「先」という意味合いになるのです。
右前(みぎまえ)
右が先 → 右手で持っている方を先に着付ける=右前
左前(ひだりまえ)
左が先 → 左手で持っている方を先に着付ける=左前
着物は、男女の別なく「右前」です。
死者の装束のときは、左右を逆にして「左前」にします。
普段に「左前」に着ると「縁起が悪い」とされ、そこから転じて「運が傾くこと。経済的に苦しくなること」を「左前」「左前になる」と言うようになりました。
次回は、「右翼」と「左翼」の話です。