教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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日本語探訪(その114) 故事成語「呉越同舟」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第36回は「呉越同舟」です。

 

呉越同舟

 

呉越同舟」の読み方

ごえつどうしゅう

 

呉越同舟」の意味

仲の悪い者どうしが同じ場所に居合わせること。また、敵味方が共通の困難や利害に対して協力すること。(広辞苑

 

※「敵(かたき)同士が同じところにいる様」の意は、日本における慣用的誤用。

 

呉越同舟」の使い方

まあ日ごろはライバル同士でいがみ合っていても、せめて山へ来たときぐらいは仲良くしようということで、呉越同舟でめしを食おうとしたところに、局長のお姿をお見かけしたのです。(森村誠一日本アルプス殺人事件』1972年)
 

呉越同舟」の語源・由来

呉越同舟」の出典は、『孫子』「九地(きゅうち)篇」です。

 

人與人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、如左右手。

【読み下し文】
夫(そ)れ呉人(ごひと)と越人(えつひと)と相悪(あいにく)むも、其(そ)の舟(ふね)を同(おな)じくして済(わた)り風(かぜ)に遇(あ)うに当(あた)りては、其(そ)の相救(あいすく)うや左右(さゆう)の手(て)の如(ごと)し。

【現代語訳】

呉人と越人はとても仲が悪いが、たまたま同じ船に乗り合わせた際に、突風にあって船が転覆しそうになったときには、まるで左右の手のように協力し、危機を乗り越えるであろう。

 

呉越同舟」の故事

「中国語スクリプト」のページより引きます。

春秋時代、呉(ご…BC585~BC473 春秋時代に存在した国。現在の蘇州周辺を支配した。紀元前478年に越王勾践によって滅ぼされた)と越(えつ…BC600~BC334 春秋時代浙江省のあたりにあった国)は実に仲が悪く戦いを繰り返していました。ある日呉と越の国境にある川の渡し船に呉人と越人が十数人乗り合わせました。双方はお互いに知らんぷりをし、船内にはなんとも重い空気が流れていました。

船がっくりと岸を離れ南岸に向かって走り出し川の中ほどに来ると、突然空が真っ暗になり、激しい風、天の底が抜けたような雨、そして巨大な波が船を襲いました。呉の子供が二人怖くてワーワーと泣き始めるわ、越の老女が船の揺れに耐えかねて転んでしまうわ、船の中は大変な騒ぎです。船頭は必死に舵を取りながら船倉に入るようみなに大声で呼びかけます。

若い水夫が二人帆柱のロープをほどき、帆を下ろそうと駆け付けます。しかし船は波風に激しく揺られどうしてもロープがほどけません。早くほどいて帆を下ろさないと船は転覆してしまうでしょう。あわやというその時、若い船客たちが呉人も越人もなく、先を争うように帆柱に駆け付け、ともに狂風や怒涛と戦ってロープをほどきました。彼らの協力ぶりは左右の手のごとく見事なものでした。

しばらくして渡し船の帆はすべて下ろされ、激しく揺れていた船は落ち着きを取り戻しました。船頭は風雨の中ともに危機を乗り越えた人々を眺めしみじみとこうつぶやいたと言われます。「呉と越がいつまでもこのように仲睦まじかったらどんなに良いことか!」

この話はやがて「呉越同舟」という故事成語になりました。

 

呉越同舟」の蘊蓄

孫子』から生まれた「呉越同舟」、「風林火山

風林火山」(ふうりんかざん)…武田信玄が用いた軍旗に記された「孫子」の句の略記、またその旗。

風林火山」の出典は、『孫子』の「軍争篇」です。

故其疾如、其徐如侵掠如不動如、難知如陰、動如雷震、掠郷分衆、廓地分利、懸權而動。

【読み下し文】

故に兵は詐(さ)を以て立ち、利を以て動き、分合(ぶんごう)を以て変を為す者なり。故に其の疾きこと(はやきこと)風の如く、其の徐かなる(しずかなる)こと林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、知り難きこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷の震うが如くにして、郷を掠むる(かすむる)には衆を分かち、地を廓むる(ひろむる)には利を分かち、権に懸けて而して(しかして)動く。迂直の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり。

【現代語訳】

戦争は詐術・詭計によって成り立ち、利益を求めて軍が動き、分散・統合を繰り返して変化を続けるものなのである。だから、軍は風のように迅速に進み、林のように静かに徐々に進み、火が燃えるように一挙に侵略し、陰(暗闇)のようにその存在を知ることができず、山のようにどっしりと構えて動かず、雷のように激しく攻撃し、郷村を掠奪する時には軍を分散し、土地を略奪して領土を拡大する時には味方に利益を配分し、利害得失を計算してから動いていく。回り道を近道に変えるような計略を知っている者が勝つのだ。これが、軍争の原則である。