「明治維新」とは何か
今回は、「明治維新」について考えます。
そもそも、「維新」とはどういう意味でしょう。
「維新」の出典は、中国の『詩経』「大雅」の「文王之什(ぶんおうのじゅう)」の一節にあります。
文王在上、於昭于天。
周雖舊邦、其命維新。
文王(ぶんおう)上(かみ)に在(あり)、於(ああ)天(てん)に昭(あらわ)る。
周(しゅう)は旧邦(きゅうほう)と雖(いえど)も、其(そ)の命(めい)維(こ)れ新(あら)たなり。
「維新」の辞書的な意味は、
「物事が改まって新しくなること。政治の体制が一新され改まること。」 (広辞苑)
です。
したがって、「明治維新」とは、明治の世になって政治の体制が一新され改まったという意味になります。辞書的解釈としてはです。
問題はそれほど単純な話ではありません。
1つ確認しておかなければならないことがあります。
それは、明治時代には「明治維新」という語は一般には使われていないということです。一部において使用例も見られますが、当時としては「御一新」という表現が一般的でした。
では、いつから「明治維新」という言葉が一般に認知されるようになるかと言いますと、昭和になってからです。
明治を理想郷のように位置づけて回帰を求める「昭和維新」と言われた運動が高まります。その結果が、二・二六事件(昭和11年)です。
この「昭和維新」の運動のなかで、「明治維新」という言葉が一般に普及していったようです。
再びそもそもの話になります。
そもそも、日本史における「維新」とはどういう意味でしょう。
広辞苑で「維新」を引くと、2つ目の意味として「明治維新のこと。」とあります。
日本史における「維新」とは「明治維新」のことであり、「昭和維新」が理想郷としたのも「明治維新」です。
明治維新の理論的支柱は、「水戸学」という学問です。
「水戸学」
江戸時代、水戸藩主徳川光圀の「大日本史」編纂に端を発し、同藩で興隆した学派。儒学思想を中心に、国学・史学・神道を結合させたもの。皇室の尊厳を説き、幕末の尊王攘夷運動に多大の影響を与えた。
(大辞泉)
徳川光圀の時代のものを「前期水戸学」と呼び、幕末のものを「後期水戸学」と呼びます。
『明治維新という過ち』を著した原田伊織氏によると、水戸学の言葉としての「維新」は「天誅」、つまりテロリズムをやって事を新たにするということを内包しているといいます。
事実、幕末には「天誅組」事件がありましたし、天誅という名の暗殺が多くありました。二・二六事件も、思想においても行動においても同じ構図です。
私たちは、いつの間にか「倒幕派・明治政府=正、徳川幕府=悪」という呪縛に取り憑かれています。いま一度、呪縛の衣を脱ぎ捨てる必要があります。
冷静に考えてみれば、尊皇攘夷志士たちの行ったことは殺人です。薩摩・長州藩の倒幕行動は、政権で主導権を握るための謀略でありテロです。
前政権を全否定して「維(こ)れ新(あら)たなり」と新政権が誕生する歴史観は、あまりに偏っています。新政権の政策のいくつかは、幕府政治の終わりにその芽を見ることができます。その連続性と非連続性を検証するなかで、「維新」の再評価が行われるべきだと思います。
「明治維新」のモヤモヤは、「大化の改新」のモヤモヤと似ています。
かつての教科書に、「建武の新政」が載っていました。後醍醐天皇、楠木正成、新田義貞が歴史上の人物として取り上げられていました。
今の教科書ではこの人たちの名が大きく取り上げられることはありませんが、「建武の新政」が小学校の歴史学習で扱われていた事情と先のモヤモヤは同じ根っこなんだろうなという気がします。
歴史学習における指導者の立ち位置というのは、難しいものです。