心柱②
法隆寺五重塔では、舎利の上、地表から約1.2mあまり下に心柱を受ける礎石(心礎=しんそ)が据えられています。
心礎の上に心柱が立つと、舎利は開封できなくなり、心柱が釈迦を象徴するものとなります。
「心柱はいちばん太い根本で3尺(約90㌢)ちかくもあり、高さは100尺(約30㍍)あまりにもなるので、八角形の2本の部材をつないでつくりました。」と、『新装版 法隆寺』(西岡常一・宮上茂隆著、草思社刊。以下、『法隆寺』と記す)にあります。
2本つなぎにした理由は、直径90㌢高さ30㍍という用材の問題と、それを垂直に立てる技術の問題によります。
2本に分割しても1本の高さは約15㍍あります。
この柱をどのようにして建てたか、『法隆寺』は次のように推測しています。
まず、滑車をてっぺんにとりつけた足場用の丸太を、心礎のある穴の外に立てます。心柱は、根本(ねもと)のほうを心礎の上において横たえます。滑車にかけておいたナワの端を心柱の上のほうにゆわえ、ナワのもういっぽうの端を引いていくと、心柱は少しずつあがっていきます。心柱があるていど斜めに立ちあがると、あとはかんたんで、心柱のてっぺんに前もってとりつけておいたなん本ものナワを、いろいろな方向から引いて、心柱を垂直に立てます。 ナワは杭にゆわえて、固定します。
『法隆寺』には穂積和夫さんによるとても丁寧なイラストが掲載されています。
なんと、滑車を使っています。
下半分の心柱を垂直に立てた後、下から2.7㍍の高さまで粘土を巻いて固定しています。
地上1.5㍍まで盛り土をし、これを基壇としました。つまり、舎利までの地下1.2㍍とあわせて2.7㍍が土に埋まっています。
このとき、心柱の上半分も下半分に縛り付けておいたようです。
そして、五層目まで組み立てた段階で、五層目の屋根の上に櫓を組んで滑車を使って引き上げました。
法隆寺式心柱の欠点は、土に埋まった部分が腐食することです。
実際、1926(大正15)年に心礎の調査が行われたとき、「心柱の下に空洞(腐食による)を発見。空洞は径約1m深さ2mで、その下に心礎があり…」と報告されています。
のちに建造された他寺の五重塔には、心柱が二層目より上だけ、上部から鎖で吊り下げられているというものもあります。