教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 6月22日

ボウリングの日

 

公益社団法人日本ボウリング場協会(Bowling Proprietors' Association of Japan:BPAJ)が1972(昭和47)年に制定しました。

1861(文久元)年6月22日付の英字新聞「ザ・ナガサキ・ショッピングリスト・アンド・アドバタイザー」に、長崎出島の外国人居留地に日本初のボウリング場開店の告知が掲載されたことにちなんだものです。
サロン内はプレーの合間に軽飲食ができるスナックバー風の造りで、外国人たちの社交場でした。
長崎市松が枝町には「ボウリング発祥の地」を記念して石碑が建立されています。

 

 

ボウリングの歴史

産経新聞HPに「中世のボウリングは悪魔退治ゲームだった!ボウリングの知られざる歴史」と題する文章が掲載されています。

中世のボウリングは悪魔退治ゲームだった!ボウリングの知られざる歴史
2016/6/25 15:00
産経WEST
ライフ


 本日6月22日が何の日であるか、皆さんはご存じだろうか? 江戸時代だった1861年のこの日、長崎で日本最初のボウリング場が開店した。江戸時代にボウリング!?とかなり衝撃であるが、公益社団法人日本ボウリング場協会はこの日を「ボウリングの日」に制定した。

 日本でのボウリング誕生がいつであるかはわかったが、そもそもボウリングはいつどこで誕生し、そして今に受け継がれているのだろう。気になったので公益財団法人全日本ボウリング協会に聞いたところ、同協会が発刊した「スポーツボウリング入門」(宮田哲郎・著)と同協会が発行する冊子「The Bowling」で様々な情報を入手することができたので、紹介しよう。

7200年前のエジプトが起源
 一体ボウリングは、いつ、どこに起源があるのだろうか。

 「7200年前のエジプト古墳から、木のボールとピン、大理石のゲートが発掘された。さらに紀元2~3世紀には、ゲルマン人の祖・チュートン人による原始的なボウリングが存在した」(「すぽーつぼうりんぐ入門」より)

 なんと起源は古代エジプトだったのだ! さらに「The Bowling」にも興味深い記述があった。


 「数千年前から南太平洋のポリネシア原住民の間で、ボウリングによく似た遊びがあった。また、イタリア北部では紀元前50年のシーザーの時代にボッチというボウリングゲームが生まれ、現代でも親しまれている」(「The Bowling」より)


 最も古いのはエジプトで行われていたゲームのようだが、世界のあちこちでも似たようなものが考え出されていたのだ。

中世のボウリングは悪魔退治ゲーム
 世界のいたるところでボウリングのようなゲームが行われていたことがわかったが、それぞれのルールや道具はどのようなものだったのだろうか。

 「4世紀以降のドイツでは、キリスト教教会の長く狭い回廊で、ピンを悪魔に見立てた異教徒を打倒すゲームに変わっていった。うまく倒した場合はそれだけ信仰心の篤い者として評価を受け、逆にミスをした場合は祈りの努力の少ない異端者と批判された。こうして教会僧の間で行われていたものが4世紀以降、一般庶民にも広まっていき今のボウリングの原型となっていく。さらに10世紀以降はイギリスでも貴族の間で親しまれていった。その頃のピンの数は2~3本から数十本で、配列や形状もルール化はされていなかった」(「The Bowling」より)

 では、いつ頃から現在のようなゲームになっていったのだろう。


 「ヨーロッパで主流になった9本のピンで行われるナイン・ピンズが、新大陸であるアメリカ大陸へ渡った移民の間で親しまれるようになり、17~18世紀には営業用のボウリング場が乱立するようになる。これが賭け事として賭博師なども横行するようになってしまった。そして清教徒系の移民の反対によりアメリカの各州で禁止令が布告され、ボウリングは下火になってしまう。そこでいくつかのボウリング・クラブが新しい組織を形成しルールを改正し、レーンの長さやピンの高さなどを統一、ピンの数も現在と同じ10ピンとなり、現在のボウリングにほど近い形となっていった」(「The Bowling」より)

 

 賭博の対象、それに対する規制、そして組織によるルール改正などを経て、19世紀に入り、ようやく現在とほぼ同様のスタイルになったのだ。

日本での歴史
 ボウリングとして確立されたゲームが、とうとう日本にも渡来することになった。

 「鎖国により西洋文明を拒んできた江戸時代だったが、ついに1861年に長崎は出島のオランダ人居留地にて、ボウリング場が開店した。つづく1864年には横浜でも開店され、明治維新の直後である1869年には神戸でも、駐在外国人の会員制ボウリング場が開店された。その頃のボールは木製で穴がなく、両手で投げていたとされている。その後大正から昭和にかけてYMCA(キリスト教青年会)などを中心にスポーツ愛好家の間へ徐々に浸透していったが、戦時色が濃くなりその芽をつまれていく」(「The Bowling」より)

 19世紀後半には、出島でオランダ人らに楽しまれていたボウリングだが、一般庶民には親しまれることなく、戦争を迎えたのだ。そして終戦後……。


 「終戦後1年足らずで、日本国内にある米軍基地内のボウリング場は、兵士やその家族により連日にぎわっていた。そこで働く日本人が、会場設備の技術や競技の運営方法の知識を身につけていき、そしてついに1952(昭和27)年、東京・青山に民間初のボウリング場がオープンした。ただしそこは一般庶民の集まる場ではなく、当時の上流階級の人々が出入りする特別な場であった。さらには高い年会費などがネックとなり、経営はすぐにうまくいかなくなってしまった」(「The Bowling」より)


 日本でも、戦後一部の上流階級で流行ったが、そのブームはすぐに去ってしまう。しかし、それでは終わらなかった。

 「1955(昭和30)年に日本ボウリング連盟が設立され、1961(昭和36)年にはボウリングの世界組織であるFIQに加盟する。そして昭和40年頃からボウリングの一大ブームとなる。そして一時はボウリング場の数も3880となり、空前のブームを支えていく。ちなみに現在の数は2012(平成24)年時点で925である。1980年代にはスポーツボウリングも発展し、海外の大会でも日本は好成績を収めるようになっていった」(「すぽーつぼうりんグ入門」より)

 現在のボウリングは、一時期よりボウリング場の数は減ったとはいえ、子どもからお年寄りまで家族が共に楽しめ、仕事の後のレクリエーションとしても根強い人気がある。世界中で似たようなゲームが行われていた事実からも、人々に親しまれやすい遊びということがいえるだろう。

 次回ボウリングをする時は、ヨーロッパのナイン・ピンズや教会の悪魔退治に思いを馳せてみてはいかがだろうか。