教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 7月16日

外国人力士の日

 

1972(昭和47)年7月16日、大相撲名古屋場所で、ハワイ出身の力士・高見山大五郎が外国人力士として初めて幕内優勝しました。

「外国人力士の日」はそれにちなんだものですが、制定の詳細は不明です。

 

高見山アメリカのハワイ州マウイ島出身。米国名は「Jesse James Wailani Kuhaulua」で、愛称は「ジェシー」。

 

 

大相撲名古屋場所の千秋楽、米ハワイ・マウイ島出身の平幕、高見山旭国を破って13勝2敗で初優勝した。外国人力士の優勝は初。写真は賜杯を手に祝福される高見山時事通信社

 

 

中日スポーツ」のHPに、元関脇高見山のインタビュー記事が掲載されています。

外国出身力士として初の優勝「日本人だから外国だからとかじゃない」元関脇高見山 1972年名古屋場所の記憶
2022年6月10日 05時00分

 

 大相撲の元関脇高見山渡辺大五郎さん(77)が、外国出身力士として初の優勝を勝ち取ったのは1972年の名古屋場所。今年で半世紀となる。優勝だけでなく、2009年の定年まで外国出身初の師匠(東関親方)として横綱曙らを育てた渡辺さんが9日、取材に応じた。

初優勝した50年前の名古屋場所を振り返る元高見山渡辺大五郎さん

 

 今でも旧名の「ジェシー」で親しまれる渡辺さんは、米ハワイ出身らしい陽気さと笑顔で迎えてくれた。入門後の苦労話は数知れずある渡辺さんだが「戻りたいねえ」としみじみ語り、「あのときは一番よかった」。50年前の7月16日。東前頭4枚目の高見山は、千秋楽に歴史的な初優勝を飾っている。


 1人横綱北の富士が休場し、大関大麒麟、関脇三重ノ海も休場。「まさか優勝するとは思わなかったから。燃えてくるとか硬くなるとか、いろいろありました」。大関清国、新鋭の北の湖らを次々と破り13勝2敗。当時のニクソン大統領から贈られた祝辞は、「部屋にあります」と大切に保管してある。


 「そうですねえ、50年になりましたね。(優勝時は)ちょうど28歳1カ月」。そして思い出したように「6月16日、あと1週間で(78歳の)誕生日です」と笑う渡辺さんは、今でも元気に午後から1時間の散歩を日課にする。


 高見山といえばオレンジ色の締め込み。優勝したときは茶色だったが、初優勝後にオレンジ色に変えた。「当時は黒か紺だったけど、最初に北の富士さんがグリーンをつけてかっこいいなと。オレンジはハワイの王様みたいな人がよく使う色だった」。カラーテレビの普及で、鮮やかな締め込みはトレードマークとなった。


 外国出身力士の道を切り開いた渡辺さん。今の相撲界にどんな思いを抱いているのか。「日本人だから、外国だからとかじゃなく、やっぱり強い人が勝つんだから頑張ってほしい。同じ土俵なんだから」。思い出の名古屋場所も、そんな温かい目で見つめる。

 

今や大相撲の世界は外国人力士の活躍が普通ですが、その先駆けが高見山関だったのです。