10月10日は目の愛護デーです。これは、「10.10」を横にすると人の顔の目と眉に見えるからというのがその由来です。
「参天製薬」のHPに掲載されている「目の愛護デー」の歴史です。
はじまりは1931年(昭和6年)、中央盲人福祉協会の提唱によって失明予防の運動としてこの日が「視力保存デー」と定められました。その後、1938年(昭和13年)に日本眼科医会の申し出によって、9月18日が「目の記念日」として改められます。
「視力保存デー」が制定された1931(昭和6)年当時、失明予防運動の中心はトラホーム予防の取り組みでした。清水勝嘉氏の論文「昭和初期の公衆衛生について」の一部を抜き出して紹介します。
「昭和初期の公衆衛生について」(清水勝嘉)
明治42年(1909)の壮丁検査の受験壮丁は総数45万5021名であり、その内トラホーム患 者実数は10万4839名に達し、22.3%の罹患率であった。
明治43年(1910)の徴兵検査では検査人員43万5000人に対しトラホーム患者は9万6885人で22.3%の罹患で、前年と同様に高率であった。
一方 、児童・生徒のトラホームの罹患率は明治45年(1912)の統計によれば、全国平均15 .05%であり。……。
明治から大正にかけ失明者の調査は部分的に行れていたが、全国的に実施されいず、正確な統計はなかった。そのため大正14年(1925)4月から翌年の3月までの1年間、全国で行れたトラホーム検診を利用して失明者の実態調査を実施した。この時の調査も全国の全失明者が含まれているわけではないが、はじめて大量観察を行った点からみて有力な参考資料となった。その調査結果は次のようであった。
失明者総数 41,669人
内、両眼失明者 17,833人
片眼 〃 23,836人
失明原因
膿漏眼(淋菌性結膜炎) 16.3(%)
初生児膿漏眼 7.1
トラホーム 15.0
外傷 10.1
角膜実質炎 8.0
角膜潰瘍 5.8
栄養不良 5.0
麻疹 3.5
脳膜炎 3.2
近視 3.1
その他 22.9
以上のような調査結果から失明者数は全国で推定9~10万人程度であったろう。そして 失明原因中、膿漏眼と初生児膿漏眼で全体の1/4弱に達していた。またトラホームは失明原因の第2位で,総失明眼の約1/7を占めていた。
昭和6年(1931)12月1日現在の全国の失明者数の調査を内務省衛生局が行った。その発表されたものをみると、失明者数は男38,303人、女37,693人で総計76,266人であった。人口1万人に対し11.67 失明率であり、この数字は当時のアメリカの4.9に比較して2倍強の高率であった。
……香川、大分、,愛媛、青森などが高率を示しており、これらの地方はトラホームの多い地方であった。これらのことをふまえてトラホームの防遏は失明防止の観点からも重要なことであった。