教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

卯年・ウサギの本…『ガラスのうさぎ』(高木敏子)

ガラスのうさぎ』(高木敏子

 

ガラスのうさぎ高木敏子著(金の星社 1977年初版)

 

Amazon 内容(「BOOK」データベースより)

1945年3月10日、東京大空襲。東京の町は、戦火につつまれた。焼け跡には、敏子の家にあった「ガラスのうさぎ」が、ぐにゃぐにゃになって、ころがっていた。うさぎは、燃えさかる炎に身を焼かれながらも、戦争の悲惨さを、みつめつづけていたのだった―。東京大空襲で母と妹をうしない、その後、機銃掃射で父をも―。戦争の中を生きぬいた著者が、平和への祈りをこめて、少女時代の体験をつづった、感動のノンフィクション。

一九四五年三月十日の東京大空襲で、十二歳の敏子は母と二人の妹を失った。焼け跡には、敏子の家にあったガラスのうさぎが、変わりはてた姿でころがっていた。うさぎは、燃えさかる炎に身を焼かれながらも、戦争の悲惨さを見つめ続けていたのだった…。戦争の中を生きぬいた著者が、平和への祈りをこめて少女時代の体験をつづった感動のノンフィクション。戦時用語など語句の解説を増やした待望の新版。小学校高学年・中学校向き。

 

Wikipediaガラスのうさぎ」より

概略
太平洋戦争末期、東京を標的としたアメリカ軍による大規模な無差別爆撃が繰り返し行われたが、本作品では1945年(昭和20年)3月10日(3月9日深夜過ぎての3月10日未明)の東京大空襲ミーティングハウス2号作戦が扱われている。

主人公である敏子の母と妹二人を奪った空襲の焼跡には、ガラス工場を営んでいた敏子の父が作ってくれたガラス細工のウサギが歪んだ形でありながら残っていた。そして、その父も疎開途中の神奈川県二宮町アメリカ陸軍航空軍のP51ムスタングの機銃掃射に遭い、敏子の目の前で命を落としてしまった。

1977年(昭和52年)、敏子の両親と妹たちの33回忌に寄せて自費出版した「私の戦争体験」が編集者の目にとまり、子供向けに加筆して『ガラスのうさぎ』のタイトルで金の星社から出版された。

1978年、第20回厚生省児童福祉文化奨励賞を受賞[2]。1979年、日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。1978年度の第24回青少年読書感想文全国コンクール課題図書に選ばれた。

2000年(平成12年)には、若い読者向けに注釈を加えた新版を刊行。

2005年(平成17年)、敏子はこの作品および後の平和活動を評価されエイボン女性大賞を受賞した。2018年時点で発行部数は約240万部である。

 

1『ガラスのうさぎ武部本一郎:画、金の星社、1977年12月
2『ガラスのうさぎ武部本一郎:画、金の星社フォア文庫、1979年10月
3『新版 ガラスのうさぎ武部本一郎:画、金の星社、2000年2月
4『新版 ガラスのうさぎ武部本一郎:画、金の星社フォア文庫、2005年6月

現在、3と4が入手可能です。

なお、「Wikipedia」には2の発行年が「1980年10月」とありますが、正しくは「1979年10月」です。(私の手もとに80年5月の7刷版があります)

 

 

この本にはウサギが登場しますが、タイトルにもあるようにガラス製です。

父の作ったガラスの置物がウサギであったことは、単なる偶然であったかもしれません。しかし、ウサギであったことが、戦争と平和を考える上で強いインパクトになっているように思います。

戦後77年が過ぎ、戦争の時代を知る人がほとんどいなくなってきました。だからこそ、読み継がれてほしい1冊です。