教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 8月2日

学制発布記念日

 

1872(明治5)年8月2日、太政官布告で「学制」が発布され、近代的な教育制度が確立しました。
当時は下等小学4年間、高等小学4年間の4・4制でした。

 

Wikipedia」より引用します。

学制(がくせい、明治5年8月2日太政官第214号)は、明治5年8月2日(1872年9月4日)に太政官より発された、日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令である。109章からなり、「大中小学区ノ事」「学校ノ事」「教員ノ事」「生徒及試業ノ事」「海外留学生規則ノ事」「学費ノ事」の6項目を規定した。全国を学区に分け、それぞれに大学校・中学校・小学校を設置することを計画し、身分・性別に区別なく国民皆学を目指した。教育令(明治12年太政官布告第40号)の公布により、1879年(明治12年)9月29日に廃止された。

 

国立公文書館」のHPより引用します。

明治政府は教育の整備を進めるため、明治5年(1872)8月2日に学制を発布しました。

前年の12月頃から、フランスへの留学経験がある箕作麟祥(みつくりりんしょう)や河津祐之(かわづすけゆき)など12名が「学制取調掛」として草案作成に着手しました。西洋諸国の教育制度を参酌し、最終的にフランスの制度を手本として学制が制定されました。学制の序文では、身分や男女の別なく全員が教育を受けること等が示されました。資料は、学制の序文です。

「学制発行ノ儀伺」の画像を「国立公文書館」のHPより、読みを「桐生市立教育研究所」のHPより紹介します。

 

学制で示された大学区について、

学制では、学校制度を実施するための学区制についても定められました。全国を8大学区とし、大学区・中学区・小学区に分け、これを地方教育行政の単位としました。明治6年(1873)には、大学区を7区と改めました。

資料は、明治7年に文部省から太政官に送付された大学区の区割りを示す図です。学制では全国に大学校8校、中学校256校、小学校53,760校の設置を構想しました。