教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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きょうは何の日 2月2日

交番設置記念日 

 

1881(明治14)年2月2日、1つの警察署の管内に7つの「交番」を設置することが定められました。

 

「雑学ネタ帳」より引用します。

町の中に交番の建物を置き、そこを中心に制服の警察官が活動するという交番の制度は、1874年(明治7年)に東京警視庁が設置した「交番所」(交番舎)が世界初のものだった。当初は、建物はなく、街中の交差点などに警察署から警察官が出向いていたが、1881年より常設の建物を建てて警官が常駐する現在のような制度になった。

1888年明治21年)10月に全国で「派出所」(警察官の詰め所)、「駐在所」(外勤警察官が居住する施設)という名称に統一されたが、「交番」という呼び名が定着し、国際的にも通用する言葉になっているということから、1994年(平成6年)11月1日に「交番」(KOBAN)を正式名称とすることになった。

 

関連記事が「6月17日 おまわりさんの日」にあります。

yosh-k.hatenablog.com

おまわりさんの日

 

おまわりさんの日」は、1874(明治7)年6月17日に日本で初めて巡査制度が導入されたのと同時に、警察官(おまわりさん)という職業が生まれたことに由来しています。同年、交番制度もはじまりました。

 

「巡査」の語源について、「Wikipedia」には次のようにあります。

元は邏卒(らそつ:“巡邏の兵卒”の略)と称した。明治の頃、patrolに対する適切な日本語訳が存在せず、「察」(じゅんらささつ)を当て嵌めその省略形としたことが呼称の起こりである。

デジタル大辞泉によると、「巡邏」は、

1 見回って警戒すること。見回り。「暮れの町を巡邏する」
2 江戸末期、江戸市中を巡回警備した役人。邏卒

「査察」は、

状況を視察すること。物事が規定どおり行われているかどうかを調べること。

とあります。

警察官は市中を「巡邏する人」であり、それが「お巡りさん」「おまわりさん」という呼び方の起こりになったようです。

 

巡査制度」について「日本大百科全書(ニッポニカ) 」より引用します。

警察官の階級の一つ。巡査部長の下位にあり、全警察官定員の3割を占める。巡査の名称が最初に用いられたのは、1872年(明治5)の警保寮職制(太政官(だじょうかん)布告)においてであるが、当時の巡査は一等から三等までの3階級に分かれており、現在の巡査と異なったものであった。現在、警察官は、原則として巡査の階級で採用され、警視庁警察学校または道府県警察学校に入校、半年か10か月の教育訓練で第一線に配属される。なお、巡査長の制度が1967年(昭和42)から設けられているが、階級ではなく、巡査の実務の指導にあたる者の職名である。


警察庁HPより引用します。

交番・駐在所の歴史

 我が国に交番・駐在所が誕生したのは、明治時代である。
 明治4年、明治政府は、東京で3,000人の羅卒(らそつ)(現在の警察官)を採用し、屯所(とんしょ)(現在の警察署)を中心にパトロール等を行わせることとした。
 その後、東京警視庁が設置された7年には、羅卒(らそつ)を巡査と改称するとともに、巡査を東京の各「交番所」に配置した。ここでいう「交番所」には、当初は、現在の交番のような施設は置かれておらず、巡査が活動する場所として指定がなされているだけであった。巡査は、交代で屯所(とんしょ)から「交番所」まで行き、そこで立番等の活動を行った。
 同年8月、東京警視庁がこの「交番所」に施設を設置することを決定し、そこを拠点に周辺地域のパトロール等を行うこととなった。以降、施設の置かれた「交番所」が増えていき、14年には、「交番所」は「派出所」と改称された。
 「派出所」が全国に設置されるようになったのは21年のことであり、同時に、「駐在所」も設置された。「派出所」の施設を拠点に交替制勤務を行う警察官と、「駐在所」の施設に居住しながら勤務する警察官が、地域社会の安全の確保に当たるという、交番・駐在所を中核とする現在の地域警察の原型がここに生まれた。
 それから100年以上の月日を経て、平成16年4月1日現在、全国に交番は6,509か所、駐在所は7,592か所設置されている。この数は、全国の市町村数の約5倍であり、正に全国津々浦々に交番・駐在所が設置され、地域住民の生活に密着した警察活動の拠点となっている。

 

警視庁HPより引用します。

 交番と駐在所はどこが違うのですか。
A 交番や駐在所は、地域住民の身近な所にあり、警察官が勤務して、地域住民の皆さんのくらしの安全を守る活動をする拠点となっています。
交番は、主として都市部に置かれ、警察官が交替で警戒活動を行っています。
駐在所は、原則として1人の警察官が家族とともに地域に居住し、地域の安全を守る活動を行っています。

Q 交番制度が生まれた国はどこですか。
A 街の中に交番を置き、そこを中心に制服の警察官が活動するという制度は、明治7年に日本(東京)で生まれました。
当初は、建物はなく、街なかの交差点などに警察署から出向いて街を守っていましたが、雨の日や風の日など大変だったので、明治14年から交番の建物が建てられ、今のような制度で活動することになりました。

Q 「交番」という名前の由来はなんですか。
A 明治7年に東京警視庁に「交番所」が初めて設けられましたが、当時は、警察官が警察署から特定の場所に出向いて交替で立番する形をとっていました。
「交番所」の名前の由来は、「交替で番をする所」ということから「交番所」といったものと思われます。
この交番所はその後、建物を建てて、そこで仕事をする現在の形に変わり、明治14年3月に派出所と改称され、明治21年10月には「派出所」、「駐在所」という名前で全国統一されましたが、警視庁創設当時の「交番所」という名称がそのまま「交番」という呼び名で残りました。
なお、「交番」という名称が市民の間に定着し、国際語としてもそのまま通用するほどになっていることから、平成6年7月に正式名称を「派出所」から「交番」に改めると同時に近年、来日する外国人の増加に伴い、「交番」とかかわるケースも多くなってきていることから、外国人にも分かりやすいようにローマ字で「KOBAN」と書いたシンボルマーク入り案内表示板を設置しています。

Q 交番のシンボルである「赤灯」はいつごろからはじまったのですか。
A 明治7年8月に小区巡査屯所(現在の警察署)の目印として掲げたのがはじまりです。当時の東京警視庁は、管下を6大区、96小区に分け羅卒屯所(後に巡査派出所と改称)が設置されていました。明治14年4月に巡査派出所は、「紅ガラス」4枚、「白ガラス」2枚の六角形でした。
そして、大正15年2月に警察署、交番、駐在所に名称変更になった際に、赤色円形を目印として掲げました。
現在は、赤色円形のものは、ほとんどなくなっていますが、今も「赤灯」は地域の人々の安全・安心の灯として交番のシンボルとなっています。

Q なぜ、「KOBAN]と書くのですか。
A ある国の国有の文化などを類似のない外国に紹介するときは、無理に訳さないで発音のまま紹介しています。日本では、「相撲(SUMO)」「歌舞伎(KABUKI)」などがあります。
日本独自の制度である交番制度は、「KOBAN]システムとして、米国の大学教授D・H・ベイリー氏によって紹介されたり、英語文献にもKOBANの表記が見られ、次第に国際語として市民権を得るようになりました。