退職して10年が過ぎた。
仕事を辞めると、当然のことながら家にいる時間が増える。
10年は長いようで、過ぎてみると案外早かった。そして、時間を持て余すこともなかった。
退職によって収入は大きく減る。年金受給が始まっても、現役時代の金額には遠く及ばない。現役時代と同じ生活水準を維持することは「ないものねだり」。求められているのは、暮らしの価値観の転換だ。この点については、10年経っても道半ばといったところだ。
金はなくても、時間はある。
それは、とても贅沢なものだ。これは、正直な実感。
金銭的なことを差し引いても、退職後、老後のくらしはじつにいい。
私は、現在の居住地で生まれ、ほとんどの期間ここに住んできた。
それでも、仕事をしている間は春分の日の日の出の位置も、夏至の日の出の位置も、秋分の日の日の出の位置も、冬至の日の出の位置も、漠然としか知らずにいた。日の入りもまた、しかりだった。今なら、窓から見える山並みの正確な位置を指さすことができる。
家の敷地で10年間に撮りためた写真は、2万枚になろうとしている。
先日も、ホトケノザを幾枚も撮った。仕事をしている間は見向きもしなかった足元の野草が、何と可憐で愛おしいのだろう。
季節の花たちも、朝靄も、紅葉も、霜や雪景色も、何もかもが観光地のガイドブックに載っているものに劣らずいい。そして、それらがもっとも輝いて見える時間に撮れる贅沢。
ダイアリーのメモ欄には、ウグイスの初音、ツバメの初飛来、カエルの初鳴きといった写真には写らない記録が10年分たまった。
毎日のくらしは、10年前よりも豊かになった。財布が満たされる幸せよりも、心が満たされる幸せ。仙人のような心持ちにはなれないけれど、いまがいい。