教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

退職後を生きる(その15) 野あそび(写真)

野あそび(写真)

 

無趣味だった私にとって、唯一若い頃から続いていたのが写真を撮ることでした。

 

10代の頃から今日まで手にしたカメラは10指に余ります。

撮りためたネガやスライドはすべて保管しています。とは言っても、フィルム代や現像代の問題がありましたから、量的にはしれたものです。

 

金銭的にちょっと余裕ができた頃、念願のフルサイズ1眼レフカメラとF値2.8の大口径ズームレンズ2本を買いました。もちろんリバーサルフィルムで撮影しました。

その時代の影響でしょう。デジタルカメラになった今も、費用を気にしなくていいのにシャッターを切る頻度はと少ないままです。

 

被写体は自然の風景がほとんどすべてです。人物を撮ることは滅多にありません。

 

2000年ごろからデジタルカメラも使うようになりました。ホームページを作って写真をアップするようになったのは、2002年のことでした。

 

 

仕事を辞めてから、状況が一変します。

 

被写体が特別なものから日常に移行します。

つまり、現役時代は、どこかに出かけた時に写真を撮る、あるいは写真を撮るためにどこかに出かけるというのが通常でした。

いまは、家にいる日常の1コマを撮ることが主になっています。

それは家にいることが生活の中心になったという物理的なこともありますが、決してそれだけではありません。仕事や時間に縛られずに暮らし始めると、それまで見えていなかったものが見えるようになったのです。見えてきたものに愛おしさを感じるようになったのです。愛おしさを感じるものには、自然とレンズを向けることになります。

時間の流れ方が変わる。目に映る風景が変わる。ーー仕事を辞めるというのは、そういうことなのです。

 

開設から20年になるホームページも、在宅写真が中心の構成になりました。

年ごと、月ごとのページを作って、そこにわが家から見える風景、わが家に咲く花などをアップしています。公開している写真は縮小した少数のものですが、実際には撮影枚数の少ない私でも年間2、3千枚程度は撮っています。

 

歳時記のようなページが7シーズンにもなると、またまたおもしろいものが見えてきます。たとえばサクラの花をアップした日を繰ってみると、開花日や見ごろの時期の比較ができます。いくつかの花をみていくと、その年の気候までもが見えてきます。

そう言えば花の時期以外の木など見たことがありませんでした。たとえば屋敷内のシモクレンの大樹があるのですが、秋に赤い実ができていることなどまったく知りませんでした。冬芽、花、実、落葉と1つの木の四季を物語として紡げるようになりました。

 

シャクナゲは朝日の逆光がきれいで、ツツジは夕日の逆光が映えると私は感じています。もっとも輝いて見える光の時間、雨上がりの水滴の輝き、朝もやに光差す瞬間……。どれもこれも、時間を自由に使えるからこそ撮れる1枚です。これほどの贅沢はありません。

 

歳時記には写真に写せないものもあります。

ウグイスの初音の日、ツバメの初飛来の日、カエルの初鳴きの日。この3つは、いつしか紙のダイアリーに記録するようになりました。心のどこかに春を待つ気持ちがあるのでしょう。

 

ある年、風流を求めて「二十四節気、七十二候」を撮る試みをしました。

次にあるのは、二十四節気啓蟄」の初候・七十二候の「蟄虫啓戸」(3月5日)、次候「桃始笑」(3月10日)、末候「菜虫化蝶」(3月15日)の写真です。

啓蟄 (けいちつ)大地が温まって、冬ごもりから目覚めた虫が、穴をひらいて顔を出す頃。「啓」はひらく、「蟄」は土の中にとじこもっていた虫(蛙や蛇)という意味です。ひと雨ごとに暖かくなり、日差しも春めいて、生き物が再び活動し始めます。
3月5日 初候 蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく) 戸を啓いて顔を出すかのように、冬ごもりをしていた生きものが姿を表す頃。

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3月5日

3月下旬から4月はじめの陽気が3日続いています。啓蟄の今日、絵柄に出てくるようなカエルは見かけませんでしたが、体長数ミリのクモたちが数多、畦草の間を忙しなく行き来していました。
3月10日 次候 桃始笑(ももはじめてさく) 桃の花が咲き始める頃。花が咲くことを「笑う」と表現、「山笑う」は春の季語です。

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3月31日

ハナモモの最初の一輪がやっと開花しました。
3月15日 末候 菜虫化蝶(なむしちょうとなる) 青虫が紋白蝶になる頃。「菜虫」は菜を食べる青虫のこと。菜の花が咲いてまさに春本番

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4月6日

その瞬間(とき)というのは、突然やってくるようです。今朝までは全く見かけなかったモンシロチョウが、昼過ぎから家の周りのそこかしこで舞っているではありませんか

 

撮影してみて分かったことがあります。

曆どおりの写真は撮れないということです。つまり、暦どおりの風流を肌に感じて暮らすなどできないのです。

そもそも「二十四節気、七十二候」なるものの起源は古代中国にあります。6世紀ごろに日本に伝わりました。江戸時代に暦学者の渋川春海が日本の気候風土に合わせて改訂したものが、今日に伝わります。

当時のこよみは旧暦です。新暦とは1カ月程度のズレがあります。さらに地球温暖化など気象の変化もあります。

さらに、わが家のある地域では撮影不可能というものもありました。それらはネット上に公開された写真で埋めるしかありませんでした。

たのしい試みではあったのですが、江戸は遠くなりにけりと実感した1年でもありました。

 

 

いま現役のカメラは3台。

メインは24㍉から2400㍉までカバーする上質のコンデジです。手ぶれ補正機能を使って、画面一杯の月を手持ち撮影することが可能です。登山など、出かける時はこれ1台です。

1眼レフの1台は、100㍉マクロレンズを常時装着しています。主として花の撮影に使っています。

もう1台の1眼レフは予備的存在ですが、普段は魚眼レンズを装着しています。出番は年に数回程度ですが。最近、360°カメラを導入しました。まだ試し撮り程度で、手懐けるところまで至っていません。視界以上の世界を切り取りたいと考えています。

 

 

デジタル化のおかげで、機材以外の費用の心配が不要になりました。年金生活世代にとって、これはとてもありがたいことです。

リタイアによって長くなる在宅時間を、カメラが豊かなものにしてくれます。機材への投資によって得られる心の幸福度を思うと、コスパは極めて高いと言えます。

 

歳時記10年を機に、デジタル写真集「(仮称)草庵の四季風彩」を作ろうかと思案中です。