教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

日本語探訪(その73) ことわざ「所変われば品変わる」

小学校3・4年生の教科書に登場することわざの第20回は「所変われば品変わる」です。教科書の表記は、「所かわれば品かわる」となっています。

 

所変われば品変わる

 

「所変われば品変わる」の読み方

 ところかわればしなかわる

 

「所変われば品変わる」の意味

土地がちがえば風俗習慣がちがう。(広辞苑

 

「所変われば品変わる」の使い方

おいしいものじゃないかもしれませんが、ところ変われば品変わるで……ご主人は純日本料理がお好きなんですか。(平岩弓枝『結婚のとき』1976年) 

 

「所変われば品変わる」の語源・由来

「所変われば品変わる」の語源・由来については不明です。

江戸時代の浮世草子『新小夜嵐(しんさよあらし)』(1715年)に、「咲た桜になぜ駒つなぐとこそ小歌にも歌ひつれ、所かはればしなかはる、珍しきつなぎ物と」とあります。

 

「所変われば品変わる」の蘊蓄

「所変われば品変わる」の類義語

品川海苔は伊豆の磯餅
所変われば木の葉も変わる
所変われば水変わる
難波の葦は伊勢の浜荻

 

「所変われば品変わる」の対義語

伊予に吹く風は讃岐にも吹く
何処の烏も黒さは変わらぬ

 

「所変われば品変わる」の類義語にも対義語にも、「品川」「伊豆」「難波」「伊勢」「伊予」「讃岐」など、明治以前の地域の呼び名が出てきます。

今では全国津々浦々のチェーン店に同じ品物が並び、津々浦々で同じ歌を口ずさみ…。

端々に江戸の名残はあるものの、基本的には「所変われど品変わらず」の現代日本社会です。

「所変われば品変わる」は郷愁を伴いつつ、「死語」になっていくのかもしれません。

日本語探訪(その72) ことわざ「毒を食らわば皿まで」

小学校3・4年生の教科書に登場することわざの第19回は「毒を食らわば皿まで」です。教科書の表記は、「毒をくらわば皿まで」となっています。

 

毒を食らわば皿まで

 

「毒を食らわば皿まで」の読み方

 どくをくらわばさらまで

 

「毒を食らわば皿まで」の意味

いったん罪を犯した以上、もはや後戻りはできないから、ためらうことなく悪に徹せよ、というたとえ。(ことわざを知る辞典)

 

「毒を食らわば皿まで」の使い方

今になって、急にみね代を避けはじめるなど、あまりに私がわがまますぎるようだ。宗珠はうしろめたい気持ちになる。と言って、毒くわば皿までという図太い心になりきることは出来なかった。(丹羽文雄菩提樹』1955年) 

 

「毒を食らわば皿まで」の語源・由来

「毒を食らわば皿まで」の語源・由来については不明です。

江戸時代には、「毒食わば皿舐(ね)ぶれ」などの形で出てきます。

松江重頼『毛吹草(けふきぐさ)』(1638年)
「どくくはゞさらねぶれ」

曲亭馬琴南総里見八犬伝』(1814年~1842年)

「世の諺を引くにあらねど、毒を喰はゞ皿を舐れ」

 

「毒を食らわば皿まで」の蘊蓄

「毒を食らわば皿まで」の類義語

尾を踏まば頭まで
濡れぬ先こそ露をも厭え」(ぬれぬさきこそつゆをもいとえ)…濡れる前は露をさえ厭うが、いったん濡れてしまうと、いくら濡れてもかまわなくなる。一度過ちを犯すと、もっとひどい過ちを平気で犯すようになることのたとえ。

 

日本語探訪(その71) 故事成語「一字千金」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第20回は「一字千金」です。

 

一字千金

 

「一字千金」の読み方

いちじせんきん 

 

「一字千金」の意味

①きわめて価値ある立派な文字や文章。
②厚い恩恵のたとえ。(広辞苑

 

「一字千金」の使い方

10年ぶりに会った恩師からかけてもらった言葉は、一獲千金の重みがあった。 

 

「一字千金」の語源・由来

「一字千金」の出典は、『史記』の「呂不韋伝(りょふいでん)」です。

 

 呂不韋は、『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』という自然科学に関する書物を書きました。そして、「この文章の内容をたった1文字でも添削できる者がいれば、その人物に千金の賞金を与える」と宣言しました。(つまり、「文句をつける余地がないほどに優れた書物である」という自信を持っていたわけです)

 

以爲備天地萬物古今之事。號曰呂氏春秋。布咸陽市門、懸千金其上、延諸侯游士賓客、有能增損一字者予千金

【読み下し文】

以為(おも)えらく、天地万物古今の事を備うと。号して呂氏春秋と曰(い)う。咸陽(かんよう)の市門(しもん)に布(し)き、千金を其の上に懸(か)け、諸侯の游士(ゆうし)賓客(ひんかく)を延(ひ)く、能(よ)く一字を増損(ぞうそん)する者有らば、千金を予(あた)えん、と。

 

「一字千金」の蘊蓄

一字違いで大違い、「一攫千金」

「一攫千金」(いっかくせんきん)

ちょっとした仕事で労せずに一時に巨大な利を得ること。(広辞苑

「一字千金」を見て連想ゲーム的に浮かんだのが「一攫千金」です。四字熟語としては一字違いですが、その意味するところは大違いです。

ところが、何ということでしょう。

「一攫千金」を調べてみたら、語源は「一字千金」と同じ「呂不韋伝」だと書いている人が何人もいるのです。

「この文章の内容をたった1文字でも添削できる者がいれば、その人物に千金の賞金を与える」という呂不韋の触れを聞いて、たった1字で千金が攫(つか)めるとは「まさにアメリカンドリームだ」(時代的にはまだ「アメリカ」はないですが)と感じたのが語源だというのです。

ことの真偽は、私には確認できていません。

しかし、1つの触れをめぐって、発信者と受け手の立場の違いが全く意味の異なる2語を歴史に刻んだとしたら…。歴史って奥が深く、楽しいですね。

日本語探訪(その70) 故事成語「一衣帯水」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第19回は「一衣帯水」です。

 

一衣帯水

 

「一衣帯水」の読み方

いちいたいすい 

 

「一衣帯水」の意味

一筋の帯のような狭い川・海。その狭い川や海峡をへだてて近接していることをいう。(広辞苑

 

「一衣帯水」の使い方

一衣帯水をなしているその対岸の島には、岡の麓に民家が一軒もなかった。(井伏鱒二『さざなみ軍記』1938年) 

 

「一衣帯水」の語源・由来

「一衣帯水」の出典は、李大師・李延寿によって成立した、中国南北朝時代南朝の歴史書・南史の『陳後主紀(ちんこうしゅき)』です。

 

南朝・陳の第5代皇帝である陳後主は悪政を行い、贅沢三昧に耽る愚かな皇帝であった為、国力が衰えて庶民は飢えと寒さに苦しんでいました。北朝・隋の文帝は荒廃する南朝の様子を見て、陳に攻め入り民衆達を救おうと決心して言いました。

 

我為百姓父母、豈可限一衣帯水、不拯之乎


【読み下し文】

我、百姓の父母たるに、豈(あ)に一衣帯水を限り、之を拯(すく)はざるべけんや。


【現代語訳】

私は、民衆の親の立場にあって、どうしてあんな細い川(揚子江)で隔てられているからと言って、その民を救わないでいられようか。

意訳しますと、「私は民衆の親の立場にある。隋と陳は長江に遮られているが、そんなものは一本の帯のように細いものだ。その川に遮られているからといって南朝の民を救わないでよいのだろうか。いや、そんな事はない。救わねばならない。」

 

「一衣帯水」の蘊蓄

「一衣帯水」=「一」+「衣帯」+「水」

「一」は一筋の意。「衣帯」は帯。細長い川や海峡を一筋の帯に見立てた表現。「水」は川や海などのこと。

 

「一衣帯水」の類義語

「衣帯一江」(いたいいっこう)
「衣帯之水」(いたいのみず)

※「一衣帯水」と同じ意味です。

 

「一牛吼地」(いちぎゅうこうち)
「一牛鳴地」(いちぎゅうめいち)

※牛の鳴き声が聞こえるほどの距離のことで、「一衣帯水」と意味は同じです。ただし、田園風景という点が異なります。

日本語探訪(その69) 慣用句「骨が折れる」

小学校3・4年生の教科書に登場する慣用句の第27回は「骨が折れる」です。教科書の表記は、「ほねがおれる」となっています。

  

骨が折れる

 

「骨が折れる」の読み方

ほねがおれる 

 

「骨が折れる」の意味

苦労である。面倒である。(広辞苑

 

「骨が折れる」の使い方

内容を理解するのに骨が折れる。 

 

「骨が折れる」の語源・由来

「骨が折れる」の語源は、言葉どおりの骨折にあります。

実際に骨が折れるには、かなりの負荷がかけられなければなりません。同様に精神的・肉体的にかなりの負荷がかかる様子を「骨が折れる」と表現したものです。

 

「骨が折れる」の蘊蓄

「骨が折れる」と「骨を折る」

まず、「折れる」と「折る」を検討します。

「折れる」は自動詞であり、「折る」は他動詞です。

「折る」というのは、「長いものを曲げて折れた状態にする」ことです。この「棒状の細長いものが真っ二つに破損した時の表現」が、「折れる」であり「折る」です。

語感としては、他動詞の「折る」には能動的な関与がある分だけポジティブです。

さらに、「折れる」には、「挫折する」という意味もあります。「心が折れる」などのように使います。「心を折る」とは普通は言いません。

 

それでは、「骨が折れる」と「骨を折る」の検討に移ります。

 

「骨が折れる」

苦労である。面倒である。(広辞苑

「骨を折る」

精出して働く。物事をなしとげるために苦労する。(広辞苑

広辞苑の意味の違いは、動詞の語感の違いをそのまま反映しています。

ともに「苦労である」ことは共通しています。

「骨が折れる」は、「苦労である」という状態を言っているに過ぎません。

一方、「骨を折る」には、「苦労である」が事を為すという営みがあります。決して悲観してはいませんし、「心が折れる」こともありません。

「粉骨砕身」は、「骨を折る」の類義語でありますが、「骨が折れる」の類義語ではありません。

 

日本語探訪(その68) 慣用句「火花を散らす」

小学校3・4年生の教科書に登場する慣用句の第26回は「火花を散らす」です。

  

火花を散らす

 

「火花を散らす」の読み方

 ひばなをちらす

 

「火花を散らす」の意味

互いに激しく太刀を交えて切り合う。転じて、互いに激しく争う。(広辞苑

 

「火花を散らす」の使い方

 両者とも負けじと火花を散らして決勝戦を戦った。

 

「火花を散らす」の語源・由来

 「火花を散らす」の語源は、刀剣のぶつかり合いにあります。

「火花」とは、金属や石が強くぶつかり合ったときに発生する火のことで、そこから、刀剣同士が激しく切り結ぶことを、「火花を散らす」と言うようになりました。転じて、相手と激しく争ったり、ぶつかったりすることを意味しています。 

 

「火花を散らす」の蘊蓄

「日本刀由来の言葉」

明治以降、生活の場からは刀剣は消えたのですが、刀剣由来の言葉は今なお現役です。これもそうだったのか、あれもそうだったのかと驚くほどに…。

刀剣・日本刀の専門サイト「刀剣ワールド」掲載のコラムより紹介します。

刀剣一般

 

助太刀

「助太刀」とは、武士の時代にできた言葉で、加勢をしたり、援護をしたりする人、すなわち「助っ人」を指す言葉。果し合いや敵討ちなどで、武士が太刀を持って加勢することから生まれた言葉です。

もともとは室町時代頃から使われはじめたと言われますが、現在のように広く使われるようになったのは、江戸時代の後期からだったと言います。

時代劇などで、敵討ちに行く人に向かって「助太刀いたす」と言うことがありますが、江戸時代には、敵討ちをするのにも、助太刀をするのにも、奉行所の許可が必要でした。

 

伝家の宝刀
「伝家の宝刀」は、家宝として代々伝えられた名刀を意味しており、大切な家宝を使わざるを得ないほど、追い詰められた状況でのみ使われる物。

転じて、いよいよという場面で取り出したり、使われたりするとっておきの手段、切り札という意味があります。

 

土壇場
現在、日常的に使う言葉として、直近の予定をキャンセルすることを「ドタキャン」と言いますが、実はこれも日本刀由来の言葉。

ドタキャンとは、「土壇場でキャンセルする」ことの略語で、この「土壇場」が、日本刀に深くかかわっている言葉なのです。

土壇場とは、江戸時代、罪人の処刑や、首のない胴体を使って、刀剣の試し切りをした場所(土壇)のこと。転じて、現在では土壇に上げられたような絶体絶命の状況にあること、もうあとがないことを指す言葉として使われるようになりました。

 

諸刃の剣
「諸刃の剣」(もろはのつるぎ)とは、刀身の両側に刃がある刀剣のこと。

諸刃の剣は、相手に刃を向けて切ろうとすると、自分にも刃が向いているため、同じように自分自身も傷付けてしまう可能性があります。

そのため、諸刃の剣は、両刃の刀剣を指す言葉でもあると同時に、非常に役立つものが、一方では大きな損害を与え得る危険を孕んでいるということを、意味しているのです。

 

刀剣の部位

 

鎬を削る
鎬(しのぎ)とは、刀身の刃と棟の間にある、山になった筋の部分のこと。刀剣同士で激しく戦った際、薄く作られている刃の部分で切り結ぶ(刀を打ち合わせて切り合うこと)と、すぐに欠けてしまいます。そのため、切り結ぶ際は、分厚い鎬筋を合わせて戦いましたが、激しい打ち合いでは鎬が削れてしまうため、激しく戦うことを、「鎬を削る」と言うようになりました。

 

切羽詰る
切羽(せっぱ)とは、刀身と鍔を、柄に安定させる役割を持った刀装具のひとつ。

この切羽が詰まると、刀身が鞘から抜けなくなってしまうことから、「切羽詰まる」とは、物事が差し迫って、どうにもならない状況や、余裕がなくなった状態を表す言葉として使われているのです。

 

そりが合わない
刀剣の「反り」は1振ごとに違っているため、鞘もその刀剣の反りに合わせて作られます。

「そりが合わない」とは、反りが合っていない刀身が、鞘にうまく収まらないように、考え方や性格の違いなどにより、気が合わないこと、相性が合わないことを指す言葉として用いられるようになりました。

 

鍔競合い
「鍔競合い」(つばぜりあい)は「鍔迫り合い」とも書き、刀剣の刀装具である鍔をぶつけ合い、戦いの決着がつかなくなった様子を指しています。

転じて、互いの実力が拮抗し、膠着状態に陥ること、同じような力量の者同士が、張り合って争うことを指す言葉となりました。

 

目貫通り
「目貫通り」は「目抜き通り」とも書き、街の中心で賑わいのある華やかな大通りを指す言葉。

「目貫」とは、刀身の茎(なかご)を、柄に固定するための重要な金具で、装飾品としての働きもあります。本来は刀身が柄から抜けないように固定する、目釘(めくぎ)を装飾する物でしたが、のちに拵を装飾する物となりました。

江戸時代には、目貫を「目立つもの」という意味の言葉として使うようになり、現在使われている、目貫通りの語源となったのです。

 

剣術

 

太刀打ちできない
「太刀打ちできない」とは、相手の力が強すぎるために、まともに張り合って立ち向かうことができないという意味。

本来「太刀打ち」とは、刀剣の太刀を使って戦うことを意味しており、転じて、太刀打ちできないとは力量の違う相手と、互角に戦うことができないという意味の言葉となりました。

 

抜き打ち
学校などで使われる言葉で、予告なく行なわれるテストのことを「抜き打ちテスト」と言いますが、これも日本刀由来の言葉。

本来「抜き打ち」とは、「居合」のように、どのような状態からでも、突然刀剣を鞘から抜いて斬りかかることを指します。

現在では、予告なく行なわれる物事に対して、抜き打ちと呼ぶようになったのです。

 

火花を散らす
「火花」とは、金属や石が強くぶつかり合ったときに発生する火のことで、そこから、刀剣同士が激しく切り結ぶことを、「火花を散らす」と言うようになりました。転じて、相手と激しく争ったり、ぶつかったりすることを意味しています。

 

横槍を入れる
「横槍」とは、戦場で、対戦中に別の部隊が、横から槍で攻撃を加える戦法を表す言葉。そこから、関係のない人が横から入り込んで口出しをし、話などを妨げることを意味する言葉となりました。

本来の横槍が攻撃的な意味を持つため、似たような言葉の「口をはさむ」などよりも、話を妨害するなどの意図があります。

 

制作工程

 

相槌を打つ
誰もが使ったことのある「相槌を打つ」という言葉は、話し手の調子に合わせて頷いたり、返事をしたりすること。

これも日本刀由来の言葉で、「相槌」とは、刀工が刀剣を鍛造するときに、師が槌で打つのに合わせて、タイミングよく弟子がもうひとつの槌で打つことを言います。この交互に刀剣を鍛える相槌が、現在では相手の話にタイミングよく反応することを指すようになったのです。

 

付け焼き刃
「付け焼き刃」とは本来、質の悪い刀剣の地鉄に、あとから刃金(はがね)を焼き付けた物のことを言います。

しかし、そうした付け焼き刃は、すぐにはがれてしまい、切れ味が悪くなることから、現在では、その場しのぎでにわかに身に付けた技術や知識という意味で、使われる言葉になりました。

 

とんちんかん
「とんちんかん」は、漢字で「頓珍漢」と書きますが、これは後世で付けられた当て字。

「とんちんかん」の語源は、刀剣を鍛造する際に、鉄を打つ音から来ています。師の刀工が槌を打つ合間に弟子が相槌を入れます。その相槌のタイミングが悪いと「トンチンカン」とずれた音がすることから、物事のつじつまが合わないことや、間が抜けた言動を指す言葉となりました。

 

焼きを入れる
「焼きを入れる」とは、刀剣を制作する過程のひとつである、「焼き入れ」が語源となっています。この焼き入れは、高温にした刀身を水に入れ、瞬時に冷却する作業。これは、強度を増したり、刃文や反りを生じさせたりする大変大切な工程です。

この作業から、やる気のない者に活を入れて気を引き締めさせること、転じて、制裁や拷問の意味で使われるようになりました。なお、「焼きが回った」という言葉も、同じく焼き入れの工程を由来とする言葉。

焼き入れをしすぎると切れ味が悪くなるため、歳を重ねて、能力が落ちることを意味する言葉となったのです。

 

鑑定

 

折紙つき
「折紙つき」とは、物の品質や人の実力などが確実に保証されていることを表す言葉。実はこれも日本刀由来の言葉で、折紙つきの「折紙」とは、「刀剣極所」(とうけんきわめどころ)によって発行された、刀剣鑑定書のことを指します。

この制度は1596年(慶長元年)に作られてから明治時代まで続き、代々「本阿弥家」(ほんあみけ)という、刀剣の鑑定を生業にする一族によって発行されました。この折紙が付いた刀剣は信用され、安定した相場が付けられたことから、現在の意味で使われるようになったのです。

 

極め付き
「極め付き」も、折紙つきと同じく、「極め書き」と呼ばれる鑑定書が付いた刀剣を指して使われた言葉。しかし、この極め書きは刀剣だけでなく、書画や古美術に付けられた物で、真偽を判定する基準として、この極め書きが使用されました。

極め付きの刀剣や古美術は価値が高く、信用されたことから、現在では確かな品質や実力を持っていることや、他よりも優れているという意味を持つ言葉となったのです。

 

日本語探訪(その67) 慣用句「喉から手が出る」

小学校3・4年生の教科書に登場する慣用句の第25回は「喉から手が出る」です。教科書の表記は、「のどから手が出る」となっています。

  

喉から手が出る

 

「喉から手が出る」の読み方

 のどからてがでる

 

「喉から手が出る」の意味

欲しくてたまらないたとえ。(広辞苑

 

「喉から手が出る」の使い方

 喉から手が出るほど欲しい。

 

「喉から手が出る」の語源・由来

「喉から手が出る」の由来は、明確な出所はありません。

元々は、飢餓や空腹で食べ物や飲み物が欲しくてたまらない時に、喉の奥から手が出てきて食べ物を掴んでしまいそうなほど食べ物や飲み物が欲しい様子を表現したことばと言われています。 

 

「喉から手が出る」の蘊蓄

「喉から手が出る」の類義語

「垂涎」

「垂涎」の読み方

すいぜん

(慣用読み)すいえん

※慣用読みとは、「誤読」などにより本来とは異なる読み方が、広く用いられ定着した読み方のことです。間違いではありません。

「垂涎」の意味

①食物を欲しがってよだれをたらすこと。
②あるものを非常に強くほしがること。(広辞苑

①は、まさに「喉から手が出る」の元々の意味です。

「垂涎」の使い方

①の意味で

「葛粉団子(くずこだんご)と山芋汁は、其名既に山村美食家の垂涎を曳きぬ」(宮崎湖処子『帰省』1890年)

②の意味で

「人形の着物にばかり眼をつけてさっきからしきりに垂涎している」(谷崎潤一郎『蓼喰ふ虫』1928~29年)