教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 1月10日

110番の日

 

110番の日」は、110番の適切な使用を推進しようと、1985(昭和60)年12月警察庁が定めました。
日付自体は語呂合わせで、緊急通報制度の興り(1948年10月1日)とは全く関係ありません。

 

「雑学ネタ帳」によると、110番の歴史は次のとおりです。

110番は戦後の連合国軍最高司令部(GHQ)の勧告で1948年(昭和23年)10月1日に、東京などの8大都市で始められた。東京では最初から110番だったが、大阪・京都・神戸では1110番、名古屋では118番など地域によって番号が異なっており、全国で110番に統一されたのは1954年(昭和29年)のことである。

 

警察庁の資料によると、「令和元年中の110番通報受理件数は、約910万件であり、約3.5秒に1回、国民約14人に1人から通報を受理したことになる。また、携帯電話等の移動電話からの110番通報が74.0%を占め、過去最高を記録した。」とあります。
また、各県警の統計資料を見ると、110番通報受理件数の2~3割がいたずら、無言、間違いの不要通報と要望・相談、各種照会等の不急通報です。
不要不急通報が緊急通報の妨げになっていることも多いようです。
110番の日」は、110番の正しい利用の推進と相談ダイヤル「#9110」の周知などを目的としています。

 

日本では緊急通報は「110」、救急車は「119」ですが、海外ではどうなっているのでしょう。

お隣の韓国は、警察は112、救急は119。

中国は、警察は110、救急は120または999。

以下は、「成功する留学」HPより転載します。

北米
アメリカ(全土共通)

警察,救急車,消防:TEL 911

カナダ(全土共通)

警察,救急車,消防:TEL 911

オセアニア
オーストラリア(全土共通)

警察,救急車,消防:TEL 000

ニュージーランド(全土共通)

警察,救急車,消防:TEL 111

ヨーロッパ
イギリス(全土共通)

警察,救急車,消防:TEL 999

アイルランド(全土共通)

警察,救急車,消防:TEL 999 または 112

マルタ(全土共通)

救急:TEL 196 (警察:TEL 191/消防:TEL 199)

フランス(全土共通)

救急:TEL 15 (警察:TEL 17/消防:TEL 18)

イタリア(全土共通)

救急:TEL 118,112 (国家警察:TEL 113/軍警察:TEL 112/消防:TEL 115,112)

*国家警察・軍警察の番号で救急車要請も可能

スペイン(全土共通)

警察,救急車,消防:TEL 112

ドイツ(全土共通)

救急・消防:TEL 112 (警察:TEL 110)

オーストリア(全土共通)

救急車:TEL 144,112 (警察:TEL 133,112/消防署:TEL 122,112)

アジア
フィリピン(全土共通)

警察,救急車,消防:TEL 117

救急(フィリピン赤十字):TEL 143

マレーシア クアラルンプール

警察・救急車:TEL 999 (消防:TEL 994)

 

卯年・ウサギの本…『兎の眼』(灰谷健次郎)②

兎の眼』のなかに、「みなこ当番」という見出しの章があります。

重い障害のある「みな子」をめぐるクラスの話し合いは、前章の「くもりのち晴れ」に出てきます。「当番」云々の提案は、一緒にずっといることでみな子ちゃんのことを理解できるし好きにもなるという子どもの思いから出てきます。

 

兎の眼』の「みなこ当番」が、教師になって10年目の私のクラスで再現します。

 

1987年の人権教育レポートの一部です。

(3)「なっちゃん当番」のこと

  クラスの動きに合わせて、ぼくはなおみちゃんの問題を通して“ともに生きる”ということを子どもに投げかけていった。非日常の部分では光って見える集団も、日常の部分では決してうまくいっているわけではなかった。


   みんなに考えてほしいこと
  少なくとも5月に入ってから、ゆきみさんが帰りあまり元気ないと思います。だって雨の日もいつでもなっちゃんと2人で帰っています。なっちゃんもしーんとしていて2人ともさみしそうです。わたしも時たまなっちゃんと帰ります。そして、教室出て門のとこらへんから元気がありません。……みんなや先生も、今のゆきみさんとなっちゃんの気持ちがわからないと思います。わたしもです。ふたりは、みんなに気持ちが言えないと思います。みんなや先生、自分、なっちゃんとゆきみさんをどう思っていますか。-以下略-(かずこ)


時々一緒に帰っているという自分を含めて厳しくあり様を問うかずこさんの姿が、激しくぼくを打った。一方、ゆきみさんはというと、ぼくの心配をはるかに超えたところで生きていた。


   このごろのなっちゃんのこと
  ……。天気のいい日になっちゃんわらっていた時はてをつないだりできたけど、雨の日だったら手をつなげないし、水たまりがたくさんあるので、なっちゃんもぴしゃぴしゃとしてくつがぬれているのでかわいそうだし、わたしだってぬれたらいやだし、わたしがとてもいやだというときは、なっちゃんあまりできないからわたしよりももっといやだなあと思っているんだなあ、やれるものだけやらしてあげようと、きのうはたくさん思いました。-以下略-(ゆきみ)


 ぼくは、2人の文章を前にして、彼女らの足元にも及ばない自らの姿を語るしかなかった。話の後、のぶかず君はこう書いた。

 
 さっきから■■先生の話を聞いていたら、『兎の眼』とダックス先生の本(註:灰谷健次郎著『きみはダックス先生がきらいか』)のことが頭にくらいついてはなれへんね。……ゆきみさんはどうしてか兎の眼のじゅん一みたいでした。-以下略-(のぶかず)


さらに何日か後の日記に彼は、うちの学級でも「みな子当番」をしようと書いてきた。なおみちゃんを特別扱いするのはおかしいと思うけど、今のままだったらなおみちゃんにはわずかな友だちしかできないと思うので、それなら“当番”を決めてした方がいいと思うということが書かれていた。


 子どもたちの意識がなかまに向かっていっているのを確かめつつ、ぼくは『兎の眼』を読み聞かせ、「みなこ当番」の問題を出していった。そうするとクラスの大部分の子が「なっちゃん当番」をつくることに賛成し、わずか4人だけが反対した。


 わたしは、なっちゃん当番があったら自分がほかのこと遊びたかってもなっちゃんをほっとけないから、わたしは反対しました。わたしはぜったい反対です。-以下略-(ゆきこ)


 わたしはやっぱり反対です。なぜかというと、自分が遊びたいばかり、なっちゃんのことわすれると思うから。だって今はやるといってだんだんやらなくなってくると思うし、なっちゃんをあまやかす感じするから。(かずこ)


 わたしはなっちゃん当番反対です。なぜかというと、なっちゃんに本を読んであげようと思っても、なっちゃん当番の人がやってしまう。そうなったら決まった人しかできない。そしたらなっちゃんは毎日2人しか遊んでくれないし、みんなも毎日本を読んであげようとしたら、「あんた、なっちゃん当番か。」と言われたらどんな気持ちかなあと思います。なっちゃんも2人しかかまってもらわなかったらいらん気持ちになると思います。-以下略-(りょうこ)


 わたしはなっちゃん当番を作るのは反対です。その理由は休み時間に遊びたいなあと思ったときにあそべなくていやな思いになって、今度当番になった時いやでもういらんなあと思ったりします。だから反対です。みんな当番を作ったらいいというけどそんなんやったらなっちゃんだけをむししといて、当番の人だけむししていないので作っても同じと思います。なっちゃんでもたくさんの人と遊びたいと思うので……-以下略-(ゆきみ)


 ところが、反対意見を読んだ途端に今度は「当番」反対が22人に増え、賛成は7人になってしまった。もとより数の問題ではなく、自分のあり様を問うていくことが目的である。6月11日、自主公開授業での討論会となった。その時間はいつも以上に迫力のある話し合いになった。双方が譲らす激論になっている時、ゆきみさんが静かに言った。「なぜなっちゃんと遊ぼうという気持ちにならないのですか」と。結局、みんなの思いは「当番」の是非ではなく、どうすればあたり前のつき合いができるようになるかを考え合っているのだということを確認して、授業は終わった。その後も話し合いを続け、最終的には、「当番」は作らないことになった。「当番」の提案者のぶかず君は、「ゆきみさんに勝てないのなら、ゆきみさんに近づこう」と書いた。そして、自分にできるところから1歩を踏み出そうということを確かめ合った。


 しかし、口で言うほどたやすく身体は動かない。のぶかず君の6月23日の日記…「ぜんぜん変わってへんし、やろうと言ったぼくも変わってへん」。29日の日記…「なっちゃんとのつき合い、どうかえよ。口でええことばっかしいってるけど、ほんまはそう思ってへんで。……もう1度なっちゃん当番の話し合いをして。」。

(中略)

 

 1学期未にのぶかず君が書き残した文章。


 ぼくがてい案したなっちゃん当番どうなったん。みんなさいしょだけで終わってしもた。なんやったんやろ。……じゅぎょう中なっちゃんのために水入れに行ったるゆきみさんがうらやましかって、ぼくもそのやさしさを分けてほしいなと思ってたけど、それは自分で作るものやと分かってん。ぼくは、ほかにやさしいゆみさんとかのやさしさはなんかほんとのやさしさじゃないような気がしてきた。ぼくが前のやさしさはゆみさんとかのにせのやさしさをめざしてたかもしれへん。ある人にやさしく、ちがう人にきびしくというやさしさをもとめていたのが分かった。だからこんどは本当のやさしさをもとめてんね。さいわい近くのせきにいるから、少ない1学期で本当のやさしさをとろうと思ってんね。いいことばっかり言ってました。でも、はじめのもう一度なっちゃん当番の話をしてほしいのは本心です。どうせ話し合ってもそうよくならないかもしれへんけど、少しずつちがっていくと思います。(のぶかず)


 のぶかず君の姿は、ある意味ではクラスを映す鏡である。苦悩しながら、それでも確実になおみちゃんの方に目が向いていっている。しかし、思いほどに体が動かないのも事実だ。意識の高まりの中で「やさしさ」の質が問われ出してきた。それはぼくも気になっていた部分だ。だが、どんな正論よりも、差しのべられてくる手を必要としているなおみちゃんにすれば、例え“にせもの”だと言われても、その「やさしさ」の方が大事だという現実がある。きれいごとではすまされない。

 

同じ文章の別の箇所に次のくだりがあります。

 

 痛快な話を1つ。「なっちゃん当番」をめぐる“真剣な”話し合いが続いていた時のできごと。話に行き詰まってくるとなおみちゃんに判断を仰ぎに行く子がいる。「なっちゃん、当番するのとしないのとどっちがいい?」「しないの。」「当番しないのとするのとどっちがいい?」「するの。」何のことはない。大抵の場合、後で言った方を答えるのだ。時には、「どっちがいい。」などという返事が返ってきたりする。すかさず声が飛ぶ。「大体なっちゃんに当番という言葉の意味がわかるの。」そう言われて、それもそうやなあ、本人に聞いてもしゃあないなあということになって、また話し合いが続いていく。ところが、なおみちゃんはちゃんと話し合いに参加していて意見も言ってるんだよね。ぼくのクラスでは、男の子と女の子が机を並べて座っている。なおみちゃんの隣りは、当然のことながらいつも男の子。隣りに座っている子が気に入りだとわりとじっと座っているのだけど、そうでない時にはしばしば椅子を持って好きな女の子の所へ引っ越しをしていく。あいつまたふられよったなどと思いながらぼくなんかは見ているんだけど、これが「当番」に対する彼女の意思表示なんですね。彼女、みんなのようにしゃべれたら、こう言うんでしょうね。「自分が付き合う人ぐらい自分で決めるから、そんなことまで構わんといて。」周りが真剣にやってるだけに痛快ですね。でも、ぼくは笑ってられないんです。なおみちゃんの声を聞き取れなかった1人だから。

 

この年のある研究会で、私はレポート発表をしました。

「ともに生きる」ということの内実を問う内容だったのですが、他県のある人たちから立ち上がれないほどの集中口撃を受けてしまいました。そのときは何が何だかよく分からなかったのですが、どうやら『兎の眼』が良くなかったようなのです。

灰谷健次郎さんは、作家になる前の17年間、教職に就いていました。ある人たちというのはその時代を知る人たちで、なんだか人権教育(あるいは障害児教育)をめぐるセクト的なものがあるようです。

私を知る同県の人たちは「あいつはこれで終わった(潰された)」と思ったと、話していたそうです。もっとも実際の私は、2年後の別の研究会で人権教育の実践レポートを報告しました。

 

そんなこともありましたが、私の中の『兎の眼』の位置が変わるものではありません。『兎の眼』も『太陽の子』も、何度か読み聞かせに使わせてもらいました。

卯年・ウサギの本…『兎の眼』(灰谷健次郎)

兎の眼』(灰谷健次郎

 

兎の眼灰谷健次郎著(理論社 1974年初版)

 

Amazon 内容(「BOOK」データベースより)

大学を出たばかりの新任教師・小谷芙美先生が受け持ったのは、学校では一言も口をきこうとしない一年生・鉄三。決して心を開かない鉄三に打ちのめされる小谷先生だったが、鉄三の祖父・バクじいさんや同僚の「教員ヤクザ」足立先生、そして学校の子どもたちとのふれ合いの中で、苦しみながらも鉄三と向き合おうと決意する。そして小谷先生は次第に、鉄三の中に隠された可能性の豊かさに気付いていくのだった…。学校と家庭の荒廃が叫ばれる現在、真の教育の意味を改めて問いかける。すべての人の魂に、生涯消えない圧倒的な感動を刻みつける、灰谷健次郎の代表作。

 

Wikipedia兎の眼」より

ゴミ焼却場のある町の小学校を舞台に、大学を卒業したばかりの若い女性教師が直面する出来事や出逢いを通して、児童たちと共に成長する姿を描いた作品。

22歳の新任教師である小谷(こたに)先生が受け持った1年生のクラスには、石のように押し黙ってしゃべらない「処理所の子」鉄三がいた。「教員ヤクザ」のあだ名を持つ同僚の足立先生は、小谷先生が鉄三のタカラモノを見落としているかもしれないと示唆するのだが…。

ハエの生態に詳しい鉄三を始めとする個性的な小学生たち、壮絶な過去を持つバクじいさんなど、様々な子供や大人達の姿が、教師経験を持つ灰谷の筆によって鮮やかに描かれている。

 

じつは、『兎の眼』にはウサギが登場しません。

にもかかわらず、なぜタイトルが『兎』なのかというと…

(『兎の眼』1979年4月版 86ページ~89ページより抜粋引用)

 つぎの日は日曜日だった。夫は日曜出勤だった。 送り出してから、小谷先生は出かけるしたくをした。奈良へいくつもりだった。
(中略)
 鶴橋から私鉄にのりかえて、西大寺駅でおりた。駅前に大きなビルが建っている。
(中略)
 西大寺は竹がいいと小谷先生は思う。 お寺の中に竹におおわれた細い道がある。そこにはまだ白壁が残っていて竹の青によくにあうのだった。その場所で深呼吸をすると爪の先まで青くそまった。
 本堂の中は夏でもひんやりしている。 ここは素足にかぎる。 小谷先生はソックスをぬいで、その冷気にふれた。そして、まっすぐに堂の左手の方に歩いていった。 そこに善財童子という彫像がある。
「こんにちは」-- と小谷先生は呼びかけた。
「ちゃんとまっていてくれましたね」
 小谷先生はほほえんだ。
 あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより、兎の眼だった。それはいのりをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。
 小谷先生は小さなため息をついた。
 長い時間、善財童子を見つめていた小谷先生は、ほっとつぶやいた。
「きてよかったわ」
 本堂の廊下は涼しくて広い。 ときどき、ここでぼんやり考えごとをしている人がある。 小谷先生もそこにすわりこんだ。きょうはだれもいない。五重塔あとや正門が緑にかこまれて涼しそうだ。
「どうしてあんなに美しいのでしょう」
 小谷先生の眼のおくに、まだ善財童子の姿がやきついてはなれない。
「美しすぎるわ、どうしてあんなに……」
 どうしてだろうと小谷先生は思った。
(中略)
 善財童子になぜあなたはそんなに美しいのと問いかけた、それと同じ問いができるのだ。わたしはなぜ美しくないの、きのうの子どもたちはなぜ美しくなかったの、と。
 処理所の子どもたちのやさしさを思った。ハエを飼っている鉄三の意志のつよさを思った。パンをってかえる諭のしんけんさを思った。
 わたしは……
 小谷先生は青ざめて立ちあがった。その背にセミのなき声がむざんにつきささった。

 

兎の眼」の正体は、直接的には西大寺善財童子の眼です。そしてその眼は、主人公・小谷先生の教師としてのあり方・生き方を象徴するものです。

 

 

私は、1978年3月に大学を卒業して、4月に教職に就きました。

翌79年の春先だったと思いますが、友人に教えられて『兎の眼』と出会います。手もとにある本が1979年4月刷であるのはそのためです。

担任教師になって1年。人権教育を学び始めたばかりの私にとって、「小谷先生」は映し鏡のようでした。一気に読み切り、小谷先生のように生きたいと強く思ったものです。そして、いつかは「足立先生」のような教師になりたいとも思いました。

兎の眼」は、駆け出し教師の私にとって、めざす生き方の象徴であったのです。

兎の眼』は、その後の長い教員生活にとって、特別に意味のある1冊となりました。

きょうは何の日 1月7日

爪切りの日

 

1月7日は、爪切りの日です。

その由来は、新年で初めて爪を切る日は「七草爪(ななくさづめ)」と言われ、春の七草を浸した水、または七草をゆでた汁に爪につけて、爪を柔らかくしてから爪を切ると、その年は一年間病気にかからないと言われているからです。

 

「NEWSCAST」に掲載された記事「なぜ1月7日は爪切りの日?知っておくべき七草粥と爪切りの意外な関係」より紹介します。

1月7日に秘められた特別な意味

1月7日と聞いて最も良く知られているのは、七草粥を食べる日でしょう。爪切りの日である1月7日は、人日の節句(じんじつのせっく)と言い、昔から七草粥が食べられてきました。

七草爪は、七草粥と深い関係があります。先程説明した「春の七草を浸した水、または七草をゆでた汁に爪をつけた」理由は、日本古来の7種類の食材や、若菜を摘んで食べる風習が邪気を払うとされ、七草粥を食べる慣習の中で行われてきました。


1月7日は、人を大切にする「人日の節句

節句は、中国から伝わった暦の上での風習。それを稲作を中心とする日本の暮らしに合わせて取り入れたものです。今に伝えられているものは、江戸時代に幕府が公的な行事として定めたもので、次の五節句が有名です。

1月7日 人日(じんじつ)の節句
3月3日 上巳(じょうみ)の節句
5月5日 端午(たんご)の節句
7月7日 七夕(たなばた)
9月9日 重陽(ちょうよう)

奇数が重なる日になっているのは、奇数=「陽数」が重なり「陰」になることを避ける中国の思想からきています。3月3日のひなまつり、5月5日の子どもの日など、人に関わる行事が多いことが分かります。

1月だけゾロ目でなく、7日なのは不思議ですよね?でも、そこにも中国古来の風習がありました。昔、中国では元日から6日までの各日に、獣畜をあてはめて占いを行っていたのです。
1日は鶏、2日は狗(いぬ)、3日は羊、4日は猪、5日は牛、6日は馬のように占っていき、それぞれの日に占いの対象となる獣畜を大切に扱いました。そして新年7日目は、人を占う日に当てて、人を大切にする「人日の節句」にされました。

また1月7日は、7種類の若菜を入れた温かい汁物を食べ、一年間の無病息災を祈る日とされたのです。

 

七草粥と七草爪の1月7日の過ごし方

それでは、昔より日本では、1月7日をどのように過ごしてきたのでしょう。七草粥と七草爪に沿った1月7日の過ごし方を紹介します。

七草粥をつくり、残った七草を茶碗などに入れ水に浸します。
家族全員がこの七草が浸った汁に指を入れ、爪をしばらく浸します。
爪が水分を含み少し柔らかくなったきた後、新年最初の爪切りをします。
以上で邪気を払い、病気や風邪を引かず健康に過ごせるようになります。
また新年の七草爪をしたら、その後は一年中、爪切りをしても良いとされています。

 

七草爪に見る正しい爪切りのやり方

七草爪では、春の七草を浸した汁に爪を入れていました。これは爪に水分を含ませ、爪を少し柔らかくすることで爪切りしやすくしています。

風呂に入った後は、爪が柔らかくなっている経験はありませんか?これは爪が水分を吸っているからです。こうして水分を含ませた爪は、とても柔軟性があり、爪切りの刃で切っても乾いた「パチン」という音がしません。

甲高い「パチン」という音がした時は、乾燥した爪に刃が鋭く入り、爪に負担がかかります。その結果、二枚爪や爪が欠けてしまうことも。

昔から爪に負担をかけない切り方がされていたとは、興味深いですね。

また爪切りをする時は、ニッパー型の爪切りで爪の端から少しずつ切ることで爪の負担をより軽減できます。もしお持ちでなくて、一般的な家庭用爪切り(クリップ型)を使う場合でも爪切りの角を使って、少しずつ切り進めてください。

最後に爪切りに付いているクリップ型の爪切りについている爪やすりを使って、爪に尖りや引っ掛かりがなくなるようになだらかに整えると、引っ掻いてしまうなどの思わぬ怪我の予防にもつながりますのでぜひやってみてください。

 

 

きょうは何の日 1月4日

世界点字デー

 

世界点字デー( World Braille Day)は、世界盲人連合によって定められた記念日です。

 

「雑学ネタ帳」より紹介します。

視覚障害者の権利を守る目的で設立させた世界盲人連合(World Blind Union)が制定。国際デーの一つ。

英語表記は「World Braille Day」。日本語では「国際点字デー」「世界点字の日」などとも表記される。

2000年(平成12年)11月に開催された世界盲人連合総会にて議題に登り採択された。その後、2018年(平成30年)12月の国連総会において承認された。コミュニケーション手段としての点字の重要性に対する認識を高めることが目的。

 

記念日の日付は点字表記を完成させたフランス人のルイ・ブライユ(Louis Braille、1809~1852年)の誕生日にちなむ。英語とフランス語で点字は「braille」と呼ぶが、これは彼の名前に由来する。

ブライユは5歳の時に両目とも失明し、10歳でパリの王立盲学校に入学した。点字を発明したのはわずか15歳頃であり、視覚障害者に新たな希望を与えた。以降、ブライユはその改良に務めた。ブライユは肺結核のため43歳で亡くなったが、フランス政府に認められ、ブライユの点字は採用され世界に広まった。

 

「Little Artists League」のfacebookに掲載されている記事です。

5歳で両目とも失明したルイ・ブライユは盲学校に通い点字に出会います。当時は12個の点を使って文字を表わしていたところ、ルイ・ブライユは6個の点で文字(アルファベット)を表す「新しい点字」をつくりました。難しさを半分にして今の「点字」を作った人、ルイ・ブライユの誕生日が1月4日です。

 

日本の点字は石川倉治(いしかわくらじ)(1859~1944)によって翻案されました。
日本では日本語の点字が制定された11月1日を日本点字制定の日としています。

 

日本語の点字
日本語の点字構成(一般に使われている6点式点字

① ④
② ⑤
③ ⑥
左側を上から1の点、2の点、3の点、右側を上から4の点、5の点、6の点、として点に番号を記し、点のある場所を●、ない場所を○とします。

以下の画像は「名古屋点訳ネットワーク」のHPより引用させていただきました。

清音・濁音・半濁音

あ行からは行と濁音と半濁音の画像

撥音・促音・長音

ん、っ、ーの画像

拗音・拗濁音・拗半濁音

きゃ行からりゃ行とぎゃ行からぴゃ行までの画像

特殊音

いぇ、ヴぃ、でゅなどの特殊音の画像

数字

1234567890の画像

句読符・数符・囲みの記号

句点、疑問符、感嘆符、読点、中点、数符、かぎ、かっこの画像

英字

aからzの画像

英字符号

外字符、大文字符、二重大文字符、ピリオド、コンマ、疑問符、感嘆符の画像

 

 

教員の「心の病」が深刻だ(その3)

前回の記事の流れです。

 

「心の病で休職の公立校教員が過去最多 背景に長時間労働など」

毎日新聞」の見出しです。

「心の病」の背景に、「長時間労働」の問題があります。

   …

   …

   …

それにしても、と考えます。

長時間労働、多忙ということでいえば、民間にはもっと大変なところがいくらでもある。

そんな反論が聞こえてきそうです。

忙しさ比べをするつもりはありません。「民間にはもっと大変なところがいくらでもある」ことも事実だと思います。

では、教員の「心の病」が突出して多いのは何故(なにゆえ)でしょう?

 

 

さて、今回は「何故(なにゆえ)」について考察することになります。

 

どうも統計には表れない「闇」があるようです。

そしてその「闇」が、教員の「心の病」の突出した多さに関係していると私は考えています。

 

とりわけ小学校では、学級内で起こる諸問題の責任が担任教師個人に直接的に被(かぶ)さってきます。

これは、小学校教育の制度的あるいは構造的なあり方の当然の帰結だと思います。

そして、公務員制度において、いや民間企業を含めても、これほど問題の責任を個人が問われる職場は稀有だと思います。

さらにその責任の重さは、学級担任であればベテラン教員であっても、新採教員であっても、臨時採用の講師であっても、同等です。

 

「学級内で起こる諸問題」というのは、じつに多様です。

それが「教える」ということに関するものであれば、プロですから甘受しなければならない、乗り越えなければならないことも多いです。

問題は子どもに関することで、それも教師が直接関与していない「諸問題」です。

たとえば子ども同士のトラブル。

加害児童と被害児童の双方から話を聞き、家庭訪問をして保護者の理解を得て一応の解決。さらりと書くは易し、実際の心労は相当なものです。ましてや経験年数の浅い教師にとっては…。

しかし、子どもの関係はそれほど単純なものではなく、トラブルが繰り返されることも少なくありません。そうなれば保護者対応のハードルも当然高くなります。

こうなってくると、問題事案に至らない日常の些事に振り回され、神経をすり減らすようになります。いつしか心が折れ、心が潰れ……。

 

どれほど職員室の風通しが良くても、集団指導体制が整っていても、微妙な学級経営の機微(「問題事案に至らない日常の些事」というのもここに含まれる)は担任教師の領域です。

ここがしんどい。

私が職に就いた頃は、いろいろ問題はあっても若い教師を育てようという空気が保護者にもあったように感じます。そんな社会の寛容さは、いまや昔話です。

非常に厳しく責任を問われる保護者は、昔もありました。しかし、振り上げた拳の落とし所は、たいていは「子どもをしっかり見てや」というものでした。ときには校長が出張って「私に免じて…」と頭を下げれば収まったといったこともありました。

そう言えば、上のような校長は、「思い切ってやれ。失敗したらオレが責任を取ってやるから」とよく口にしていたものです。1980年代の後半あたりからでしょうか。「問題を起こすな」と訓示する校長が増えてきました。言外に「問題の責任を取るのはお前だ」との含みを込めて。

2000年代になると、小さくまとまってしまった教師の頭上に、落とし所を持たない保護者の声が降り注ぐ事案が増えます。

 

統計には表れない「闇」というのは大凡そうした類いのもので、担任教師の多くは心理的プレッシャーの中で働き続けているのだと思います。「心の病」として表面化しているのは、そのごく一部に過ぎないでしょう。

 

とにもかくにも、学級内で起こる諸問題について担任教師個人が直接責任を被る状況が変わらない限り、「心の病」の多さは改善しないというのが私の肌感覚です。

 

複数担任制や当番担任制など、新たな試みのプランがあるやに聞きます。そうしたものがこの問題に有用かどうか、私にはよく分かりません。

その一方で、これらのプランは今までの小学校学級担任の醍醐味を削ぐことは想像できます。しかし、一定程度のマイナスはあるとしても、何らかの制度的改革を伴わなければ現状を変えることはできません。

 

きょうは何の日 1月1日

元日 太陽暦施行の日

 

1月1日は「元日」であり、「太陽暦施行の日」です。

 

「元日」については、「日本文化いろは事典」より紹介します。

元日
読み方:がんじつ
同義語:元旦〔がんたん〕・歳旦〔さいたん〕・元朝〔がんちょう〕

古来より1年の最初の日である1月1日「元日」は、全てのものに命を与えてくれる"歳神〔としがみ〕様"をおまつりするための特別な行事が行われていました。
1948年に「年のはじめを祝う日」として法律で国民の祝日と制定されました。

い 意味・目的一年の始まりの日
「元日」は1月1日のこと、そして「元旦」というのは1月1日の朝の事です。「元」という字には「一番初め」という意味があり「旦」という字には「あした(朝)」「夜明け」という意味があります。
古来から行われてきた元日の風習は、現在でも受け継がれています。今でも私達は歳神様をお迎えするために門松を門の前に飾ったり、鏡餅を備えたり、前日に準備したおせち料理を食べたりしています。また、子供は親や親戚からお年玉をもらいます。

ろ 起源・歴史元日の行事の移り変わり
古来大晦日の夜は、歳神様を迎えるために寝ていては失礼だということで、人々は一晩中起きている事が多かったようです。そのため、翌日(元日)はほとんどの家庭が「寝正月」で過ごしました。
江戸時代に入ると、正月休みの規定が領主ごとに設けられるようになりました。庶民はそれまで正月(1月1日)・お盆・祭礼の日しか休みがありませんでしたが、この頃から1月1日から3日までの3日間、休みが取れるようになりました。これが今で言う「三が日〔さんがにち〕」です。
また、元旦(正月の朝)一番に井戸から汲んだ水を「若水〔わかみず〕」といい、歳神様から頂いた大切な水として頂く習慣がありましたが、水道の普及と供にその習慣は衰退していきました。
現在も正月の風習は受け継がれていますが、プラスチック製の門松や鏡餅を使用したり、おせちをデパートで購入するなど簡略化される傾向が強まってきています。

は 行事元日の夜の楽しみ「初夢」
元日から2日にかけてみる夢のことを「初夢」といいます。最もよい夢は、「一富士二鷹三茄子〔いちふじにたかさんなすび〕」である、と駿河〔するが〕(現在の静岡県辺)の国のことわざにあります。富士山は日本で一番高い山、鷹は足高山(愛鷹山)のことで、これは駿河で二番目に高い山です。また、茄子は正月になると驚くほどの高値で売られていました。これら3つに共通して言えるのは、全て「高い」という言葉が入っていることです。この言葉は縁起が良いとされていました。
その他にも、縁起の良い夢をみるためには「宝船」の絵を枕の下にいれて寝ると良いなどと言われています。 ぜひ実践してみてはいかがでしょうか。

 

太陽暦施行の日」は、太陽暦(いま使われている暦)が使われ始めた記念日です。

「雑学ネタ帳」より引用します。

太陽暦(solar calendar)が採用された日にちなむ。

1872年(明治5年)12月3日を1873年明治6年)年1月1日として、この日から「太陰暦」を廃止して「太陽暦」を用いるようになった。

太陽暦とは、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして作られた暦である。ユリウス暦や、現在、世界の多くの地域で使用されているグレゴリオ暦は、太陽暦の1種である。

 

改暦の太政官布告は次のとおりです。

明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)
今般改暦ノ儀別紙 詔書ノ通被 仰出候条此旨相達候事
(別紙)
詔書
朕惟フニ我邦通行ノ暦タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ終ニ推歩ノ差ヲ生スルニ至ル殊ニ中下段ニ掲ル所ノ如キハ率子妄誕無稽ニ属シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス盖シ太陽暦ハ太陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス之ヲ太陰暦ニ比スレハ最モ精密ニシテ其便不便モ固リ論ヲ俟タサルナリ依テ自今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ斯旨ヲ体セヨ
   明治五年壬申十一月九日
      ○
一 今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦御頒行相成候ニ付来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事 但新暦鏤板出来次第頒布候事
一 一ケ年三百六十五日十二ケ月ニ分チ四年毎ニ一日ノ閏ヲ置候事
一 時刻ノ儀是迄昼夜長短ニ随ヒ十二時ニ相分チ候処今後改テ時辰儀時刻昼夜平分二十四時ニ定メ子刻ヨリ午刻迄ヲ十二時ニ分チ午前幾時ト称シ午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ午後幾時ト称候事
一 時鐘ノ儀来ル一月一日ヨリ右時刻ニ可改事 但是迄時辰儀時刻ヲ何字ト唱来候処以後何時ト可称事
一 諸祭典等旧暦月日ヲ新暦月日ニ相当シ施行可致事
(以下略)

右之通被定候事