教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

君ひとの子の師であれば

    ーー君ひとの子の師であれば
    とっくに それは ごぞんじだ
    あなたが 前に行くときに
    子どもも 前を向いて行く。
    ひとあし ひとあし 前へ行く。

 

あまりにも有名な、故・国分一太郎さんの1951年の著書『君ひとの子の師であれば』の巻頭のことばです。若い頃にこの本に出会って、最初のフレーズは何かの拍子に今も口を突いて出てきます。

しかし如何せん古い本だしなあと思っていたら、2012年に復刻版が出ていました。(初版は1951年に東洋書館から出て、1959年に新評論の新書になりました。私が持っているのは500円の新書です。いずれも絶版になっていましたが、2012年に新評論から復刻版が出ました。2420円といささか高価です。)

まあ今も需要があるようです。ならば、その本の中から「誕生日」という一文を紹介したいと思います。

 

  誕生日
……4月になったら、新しい受け持ちになった子どもたちの誕生日を、忘れずに記録しましょう。日記やポケット・ダイアリーの、それぞれの日付のところに、「だれそれ生まる」とかきこむのです。4月12日、佐藤健太郎生まる、5月3日、進藤ヒデ子生まる、5月25日、山田一郎、鈴木春子生まる、というように。妻や子どもや、きょうだいのあるひとは、それもいっしょに。
 そうして、どうするというのでしょうか。
 4月12日の朝、教室にはいる前に、かならず、その豆手帖をひらきましょう。
「おお!あのはずかしがりやの佐藤健太郎生まるか!」
 教室にはいって、朝のあいさつが終ったら、
「きょうは、佐藤健太郎君が、この世のなかに生まれた日ですね。佐藤健太郎君のいのちのはじまりの日ですね。みんなでお祝いしてあげましょう。さあ、おめでとう。手をうって。」
と、パチパチ、でこぼこ顔で、はずかしがりや、まともにこっちもむかれない、その佐藤健太郎を祝福してあげましょう。
 たとい、そのクラスでは、その月誕生の人びとのため、まとめて祝ってやる誕生会といったものが、自主的におこなわれていたとしても、その日はその日で、教師のまごころを、簡単に示してやりましょう。1、2年ぐらいなら、かねて用意の造花でも、その日生まれの子どもの胸には、その日いちにちさしてあげてもよいでしょう。
……
……これは、ひとりひとりのいのちを、かけがえのないものとしてだいじにする、わたくしたちの人間教育からいっても、たいせつなことだと思われます。日本国の象徴である天皇の誕生日を祝うことよりも、もっともっと、みぢかなことだと思われます。
 あなたはお気づきになっていませんか。
 4月はじめは、なんど、子どもの生年月日を、帳簿やカードや紙片にかきつけることでしょうか、……。
 ひとのいのちを、ことのほか大切にするわたくしたちは、こんな生年月日の数字をも、たんなる数字ではないとりあつかいをしたいと思います。
 まして、その子が、ガリレオやマダム・キュリーと同じ日の生まれだというようなときには、ガリレオキュリー夫人のお話をして、うんとはげましてやりましょう。

 

1951年と言えば、戦後すぐのころです。今とは何もかもが違いますが、子どもを育てるという営み、教師のありようなど本質的なことは不変です。「不易」と「流行」で言えばまさに「不易」中の「不易」の部分です。時代を超えた若い教師へのメッセージです。ご一読を。

 

普段持ち歩いている諸控えのノートでもいいです、スマホのカレンダーアプリでもいいです。新しく受け持つクラスが決まったら、一人ひとりの子どもの誕生日を書き込みましょう。

偉大な先輩に「まねぶ」(「真似ぶ」は「まなぶ」の語源とも)には、まず「真似る」ことから始めるのがいちばんです。