教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

教室は「ジム」か「ホーム」か

子どもにとって教室は「ジム」でしょうか? 「ホーム」でしょうか?

 

「ジム」というのは“鍛える所”、「ホーム」というのは“ホッとできる所”という意味です。

 

教育の場では、学校を「ジム」に、そして家庭を「ホーム」に例えて、両者の役割や連携を語られることが多いです。

 

教室が「ジム」か「ホーム」かなんて自明の理、にも拘わらずかくの如き表題に至ったのにはワケがあります。

結論から言うと、現在の私は、子どもにとって教室は「ジム」であると同時に「ホーム」でもあると考えています。


いつの頃からか、家庭が子どもにとって必ずしもホッとできる場所ではなくなってきました。

親の前でいい子を演じる一方、学校で崩れてしまう子がいます。塾や習い事に追われ、学校が休憩場所になっている子がいます。さらには、親になりきれない親もいます。

最初は稀であったものが、今や珍しい事例ではなくなりました。

家庭と学校の役割と言うは易いが、親の価値観は学校第一で揃っているわけではありません。そうした時代の教室は、「ジム」と「ホーム」の両面を持つしかありません。

 

教室の「ジム」機能については述べるまでもありません。ここでは、「ホーム」としての教室を考えます。

 

「ホーム」としての教室を意識するようになって、私は、出勤するとできるだけ早く教室に行くようになりました。そして、夏場は窓を開けて涼しい空気を入れ、冬場は暖房を入れ電気を点けて子どもの登校を待ちます。教師用机のイスに座って本など読んでいるのが通常のパターンで、教室に入ってきた子どもに「おはよう」と声を掛け迎えます。…心がけて続けたのは、ただそれだけです。


子どもの頃、家に帰った時に明かりが灯っていた安心感、「ただいま」と言った時に「おかえり」と声が帰ってきた安心感を味わったことはないでしょうか。

私は、「おはよう」に「今日もよく来たな。おかえり」という気持ちを込めています。そこで何げない会話などで暫くの時間を過ごしながら、「ジム」に向かう態勢を整えているのです。

 

具体的なやり方は教師の数だけあってしかるべき。要は「ジム」だけの教室は子どもを追い込みかねないという問題意識を共有できるかどうかです。