教育実践を「現在形」で語るというのは、厳密に言えば物理的に不可能です。
つい終えたばかりの実践であっても、語る時点では「過去形」です。
本稿のタイトルは、「『現在形』で語る教育」です。
この稿における「現在形」には、もう少し幅があります。
現在担当している子どもたちを対象として語る実践を、「『現在形』で語る教育」と称しています。
すでに対象のクラスは終わったが、別のクラスでリトライが可能な位置にいて語る実践も、「『現在形』で語る教育」と称しています。
私はこうした実践を聞くのが好きで、そこから多くのことを学んできました。
担当している子どもたちの話には、躍動する息づかいを感じます。
担当を終えた子たちの話であっても、現職の教師の話には、さらに高みをめざす心意気を感じます。
それが現職であった私の琴線に触れ、共振したのだと思います。
かつて素敵な実践の数々を語ってくれたある先生が、やがて大学の教員に転職されました。
転職後に先生の講演を聴く機会がありました。しかし、残念ながらかつてのようなほとばしるほどの生命力は感じられませんでした。
私は、「『現在形』で語る教育」にエネルギーをもらうと同時に、そこから最前線の教育を吸収してきました。
というのも、「『現在形』で語る教育」には最新の教育理論や知見が詰まっていることが多くありました。そうした実践は大学の研究室と繋がっていることが多く、実践とそれを支える理論をいっときに学ぶことができました。
いまの私は完全にリタイアしていますし、それも5年余が経過しています。完璧なほどの「過去形」の教育です。
「『現在形』で語る教育」を糧としてきたと言いつつ「過去形」の教育を発信しているというのも、妙なものです。
ただ、活字の場合は、執筆時点で現職であれば「現在形」のまま残ります。
私の稿にもそうした文章がいくつも含まれています。
世の教育書の多くがそうです。
この場合、その著作がときを超えて価値あるものか、陳腐な遺物であるかの境はどこにあるのでしょう。
そこに「不易」のものがあるかどうかにかかっていると、私は考えています。
たとえば斎藤喜博さんの著作や国分一太郎さんの著作が今なお古びていないと感じるのは、その理論や実践が「不易」に支えられているからです。
私の発信は……いささか心許ないです。
過去の「不易」を土壌とし、「『現在形』で語る教育」の作物を育てるというのが私の流儀です。「『現在形』で語る教育」は「流行」の部分も多く、実践のなかでやがて淘汰され、残ったものが「不易」の土になっていきます。
教育実践を語るというのは、そろそろ潮時かもしれません。