教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

保護者とは子育て協働の関係でありたい⑥

2010年から2014年までの5年間に保護者に届けたメッセージを各年1つずつ紹介します。

この5年間が私の最後の勤務校となりました。 

 

 

おうちの方へ特集号 2010.7.12


夏休みを自律と自立の機会に


■打たれ強い子どもに育てたい


 間もなく1学期が終わります。振り返ってみますと、実に充実した3ヶ月余であったと思います。子どもたちは、まじめで素直、よく学び、よく働きます。みんな仲良く、これといったトラブルもなく過ごしてきました。


 そんなクラスの弱点を敢えて挙げるならば、打たれ弱いことでしょうか。今の、穏やかでほのぼのとした環境が、いつまでも続くわけではありません。人波に揉まれ、逆境に身を置いた時、何とかして生き抜いていく力を育てたい。この数年、この学校に勤めるようになってから、考え続けている課題です。


 脳を鍛えることで、「幹」を育てたい。教科書の進度に直接関係のない宿題は、およそそうした意図で出しています。最近クラスのブームになっている算数パズルもその1つです。ある子は紙が透けて見えるほど試行錯誤を繰り返し、ある子は数時間悩み続け、それでも挑戦をやめようとはしません。行き詰まりのイライラを自己消化する姿は、頼もしい成長の証です。解けるまでの時間こそが勉強なんだと、つくづく感じます。先日、ある子がパズルをしていた時、「見直しをすればいいんだ」と、大発見をしました。これまでも耳にタコができるほど言われ続けてきたでしょうに、その時初めて腑に落ちたようです。


 打たれ強さの中身はいくつもあります。簡単には諦めない、いくつもの方策を試してみる、問いを自分の中で持ち続ける、などなど。夏休みも、そんな力を育てる機会になればいいですね。


■お駄賃はあとで


 夏休みの宿題は、決して難しくはないのですが、量的には多いと思います。計算ができるとか、漢字が書けるとか、それも目的の1つです。1番の目的は、セルフコントロール力を育てることです。7月14日から49日という長期間です。出かける日も、体調の悪い日も、やる気にならない日もあるでしょう。自分自身を管理し、調整し、修正する力が必要です。それをやり切らせたいのです。


 1つお願いしたいポイントがあります。子どもに力を付けるためには、後方から見守っていただきたいのですが、「お駄賃はあとで」の原則を守らせてください。たとえば、旅行の予定があれば、その日の分は旅行前に済ませるのです。これは、毎日の生活の中で宿題とゲームの順番を決める時なんかも同じです。


■子どもに存在の場を


 夏休みは、大いに子どもの力をあてにしましょう。まず、子どもに任せられそうな家事をいくつか提案してください。そして、子どもに選択させてください。「お手伝い」ではなく、家族の一員としての「仕事」をさせたいのです。それは、子どもが家族の役に立って生きていると実感できる、存在の場を与えることなのです。


 ここでも1つポイントがあります。子どもに仕事をさせて「ごめんね」とは言わないようにしましょう。「ありがとう」「あなたのおかげで助かるよ」という言葉が、子どもに生きる場を与え、「幹」が育つ土壌を作るのです。


■夏休みを自律と自立の機会に


 家庭と学校は、「ホーム」と「ジム」の関係です。ホームは自分を解放し緩める所であり、ジムは自分を緊張させ鍛える所です。フワフワとしたホームの大きさが、ジムでの頑張りを支える力になります。


 長い休みの先に、2学期の学校生活が待っています。それは、6年生や中学校へとつながる、飛躍の学期です。エネルギーの充電を十分にさせてやってください。そして、セルフコントロール(自律)と自立(自分の足で立っていると感じられる生活)によって、「幹」を1周り太くした子どもと9月の教室で会えることを楽しみにしています。

 

 

 

おうちの方へ特集号 2011.6.9


今、教科書が変わり教育が変わる


 この春、子どもたちの使っている教科書が新しくなりました。と同時に、教科書の厚みが増しました。この30年間、教育内容は少しずつ削減されてきたのですが、「学力低下」論を受けて180度の方向転換です。


 教科書が厚くなった分、ほぼ30年前の水準まで中身も増えました。でも、今回の学習指導要領は、教科書の「量的変化」と同時に「質的変化」を求めてきました。単に昔に戻ったのではありません。


 教育改革というのは、その時その時の社会情勢を反映して行われているのですが、今その底流にあるのは「PISA型学力」です。詳しいことは右ページの新聞記事を読んでください。大事なのは「正解」ではなく、「問題解決能力」(課題にどのようにアプローチして解に至ったのかという過程が問われるのです)だと言うのです。


 子どもの教科書を覗き見てください。教科書の書きっぷりが変わっています。国語では、「作者が言いたかったこと(主題)は何でしょう」と問うていたのが、「作品があなたに最も強く語りかけてきたことはどんなことでしょう」と変わりました。正解は一つではなく、自分の考えを根拠を示しながら交流することがねらいです。算数では、既習事項を使って自力解決の一人学習を交流させたり、単元のまとめを言葉で書いたりする活動が多くあります。他の教科も然りで、自分でなんとかする力、考えを的確にまとめ分かりやすく伝える力といっことがカギになりそうです。やがてその先には様変わりした入学試験が待っているはずです。頭の片隅に留めおかれては…。

 

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おうちの方へ特集号 2012.9.26


学力の基礎は習慣づけにある!


 読書の秋にちなんで、清水宏吉さん(大阪大学)の『学力を育てる』の一節を紹介します。生活習慣・学習習慣の確立を目指して取り組んでいます「がんばりカード」と深く関わる著述です。ご一読ください。なお、興味がある方は、岩波新書で刊行されていますのでお探しください。

第3章 学力の基礎はどう形づくられるか

 

  4 意欲か、習慣か


 習慣づけこそが鍵


 学習意欲の問題について、一言ふれておさたい。近年の論調では、「子どもたちの学習意欲の低下こそが最大の問題である」と語られることが多い。「子どもたちの意欲を高める働きかけこそが、教師が考えなければならないポイントである」と主張されることも多い。しかしながら私は、こうした意見には反対である。学力問題の核心は、「子どもたちの意欲をどう高めるか」という「意識」の問題では決してなく、「子どもたちの習慣づけをどう図るか」という「行動」レベルの問題であると考えるからである。もともと勉強がきらいだという子がいないのと同様に、生まれつき学習意欲が低いという子どももおそらく存在しない。逆に、世の中のすべての事柄に対して意欲をもっている人間というのも考えにくい。「意欲」というものは個人に内在するものなのではなくて、環境との関わりで生じるものである。


 また、食べ物の例を出そう。たとえば、目の前に「いなごの佃煮」が出てきたときに、それを食べ慣れた人であれば、「あっ、おいしそうないなごだ。早く食べたい!」と思うだろうが、いなごを食べるものではないと思っている人は、「えっ、気持ち悪い」とそっぽを向き、決して箸をつけようとはしないだろう。「食習慣」が「食欲」を生むのであり、その習慣をもたない人にとっては、「おいしいいなご」はただの「気持ち悪い虫の死骸」にすぎない。あるいは、むずかしい数学の問題も、それと格闘し、答えにたどりついたときの喜びを知っている中・高校生にとっては意欲の対象となるが、数学が大嫌いになってしまっている中・高校生にとっては、忌避の対象であるにすぎない。


 そう考えるなら、重要なのは、「意欲」に直接働きかけることではなく、「習慣」づけを通して新たな「意欲」をかきたてるということになるだろう。食わず嫌いはもったいない。「いなごの佃煮」は重要なタンパク源となる珍味だし、「むずかしい数学の問題」は頭を鍛えるにはちょうどよい課題である。もう一点付け加えれば、「意欲」なるものは、個人のなかからわきあがってくる場合もあるだろうが、多くの場合他者との関わりのなかで育ってくるということである。食べ慣れない食べ物に手をつけるのは、親や仲間がそれをおいしそうに食べるからである。むずかしい問題にチャレンジしようとするのは、先生がほめてくれたり、競い合うライバルが存在したりするからである。


 結論的に言うなら、適切な家庭環境のもとで、子どもたちのたしかな学習習慣が形成され、豊富な学習意欲が引きだされ、そして、着実な学力の基礎が築かれる。学校の役割は、その基盤の上に成立するものである。  

 

 

■ おうちの方へ特集号■2013.7.11


ノーテレビデーで子育て親育ち!


 3年生の夏に「夏休み!ノーテレビ・ノーゲームデーチャレンジ大作戦 」の取り組みをする意味を、私なりに整理してみました。


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 子どもの発達や教育の場面で、「9歳のカベ」という言葉が使われます。京都大学大学院教授の子安さんのお話を引きましょう。


「9歳になると子ども自身の世界、秘密の世界や、それから悪意というか、意地悪な気持ちというものも非常に強く生まれてくる。そういった心の理解の発達過程を私たちが知っていく必要がある。」


「9歳ごろになると分数や小数といった抽象的な考え方が入ってくるし、それから子どもの作文の質が変わってくる。つまり、きのうどこどこへ行って何々をしましたという、いわゆる身辺雑記、身の回りのことを何となくつづっていくという書き方だけではなくて、例えば友達って何かとか、平和って何かとか、そういう抽象的なテーマでもって作文を書くことができるというふうに、大きく変わっていく。」


 9歳・10歳頃は人の成長・発達の中でも特に大きい発達の変化期に当たります。それが「カベ」です。今、子どもたちはそういう時期を迎えているということを、まず押さえておきましょう。


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 算数では、3年生の2学期以降、小数や分数といった抽象的な数の世界の学習が出てきます。国語では、国語辞典を引かないと意味の分からない抽象的な言葉が多くなってきています。学習内容が具体から抽象へと向かうのが3年生なのです。


 「3年になって勉強がわからなくなった」「テストの点数が低くなった」というのは、抽象の世界にうまく入れていないことが大きな原因と考えられます。家庭学習に費やす時間も、2年生の頃よりも当然増えないと対応できません。


 「ノーテレビ・ノーゲームデー」は、落ち着いて学習に向き合う時間を作ってくれます。この時期にそうした時間を設定することは、高学年に向けてのいい学習環境作りになります。


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 学習面以上に私が注目したいのは、子どもの発達という側面です。


 子どもたちは幼児期を経て、やがて思春期の入り口に立ちます。自我が芽生えてくる時期です。「自我の萌芽」には、自分で考えて自分で解決できるようになる「自立」という面と、親の言うことを聞かなくなる「反抗」的な面を併せ持っています。


 私は高学年を担任することが多かったのですが、しばしば「主」と「従」の関係が逆転した家庭を目にしてきました。中学年の子どもでも、わがまま粘り勝ちといった話はよくあります。子どもの顔色を見ながら、子どもに従属してしまう親子関係は、6年生ぐらいになると修復が難しいようです。


 「ノーテレビ・ノーゲームデー」の取り組み方について、親子でていねいに時間をかけて話し合ってください。主張が食い違う時は、子どもの言い分に耳を傾けながらも親として大人の分別を通してください。そして、話し合って決めたことは守らせてください。--親がリードしながら話し合って決める。決めたことはやり通させる。今回のことで、課題に向き合う親子のルールの礎ができることを願っています。子どもにとっては「ノーテレビ・ノーゲームデー」の取り組みそのものが目的ですが、親にとっては取り組みを通して培う親子関係こそが主眼です。

 

 

 

おうちの方へ特集号 2014.11.4


「中1ギャップ」を考える

 

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 先日の新聞に、義務教育の「6・3制」が変更されるという、いささかセンセーショナルな記事が載りました。小さいお子さんのおられる家庭にとっては、大ニュースです。では、6年生にとっては余所事かというと、それがそうではないのです。


 「6・3制」そのものについては、何の影響もなく中学卒業までいきそうです。ですが、そもそもなぜこうした制度変更に至ったかというと、「中1ギャップ」問題が主因の1つになっています。


 「中1ギャップ」とは、小学校から中学校に進学したときに、学習内容や生活リズムの変化になじむことができず、いじめが増加したり不登校になったりする現象です。小学校までに築いた人間関係が失われる、リーダーの立場にあった子どもが先輩・後輩の上下関係の中で自分の居場所をなくす、学習内容のレベルが上がるなどの要因が考えられます。


 今回の制度変更は、小学校を卒業した子どもが中学校生活にスムーズに移行できることをねらいにしています。これは、市が来年度から導入する小中一貫教育と同じ趣旨のものです。


 さて、学級通信にこの問題を取り上げたのは、「中1ギャップ」を乗り越えるために今できることを考えたいからです。


 6年生も折り返し点を過ぎ、残りの日々の方が少なくなりました。2学期になって、リーダーとしての育ちには目を見張るものがあります。学習に向かう姿勢も少しずつ良くなっています。先ごろ、7日間連続で9時間の国語授業を先生たちに見てもらいました。教師にとっても子どもにとっても負担ではありますが、確かな手応えを感じる充実した授業になりました。実りの秋です。


 それでも敢えて申しますと、子どもたちの家庭学習の時間と質(集中度)が不足しています。漢字を写すだけなのに、繰り返し同じ間違いをするし、間違い直しもしない。復習プリントなのに、空欄のままで提出する。どうも足が地に着いていないように感じます。授業後の単元テストはいい点をとるのに、長期間のテストになるとガクンと落ちるというのは、中学校では通用しません。中学校で学習内容のレベルが上がるのは避けられない事実です。だからこそ、小学校の確かな基礎が大事なのです。どうか、厳しい目配りをお願いします。