2019年9月、採用3年目の男性教員(25)が心身の不調を訴えて欠勤したことをきっかけに、神戸市立東須磨小学校の30~40代の教員4人が職場の後輩に暴力や暴言を繰り返していたことが発覚しました。
2020年2月21日、神戸市教育委員会の外部調査委員会はこの問題に係る調査報告書を市教育長に提出しました。
■調査報告書の骨子
◆暴力・暴言など125項目のハラスメント行為を認定
◆規範意識の低さなど加害教諭の個人的資質に加え、管理職の言動によってハラスメント行為を容認・助長する空気が学校にあった
◆若手が多いいびつな教員構成や教員間の確執、業務過多などで、周囲がハラスメントに気づかないか、構う余裕がなかった
◆市教委に実効的な相談窓口がなく、行政部局などに設けられた通報窓口も周知されず、機能していなかった
神戸・教員間暴力問題はマスコミでも大きく取り上げられ、衝撃的な出来事として報じられました。
しかしながら、言葉の暴力を含めた教員間のパワー・ハラスメント事案は、残念ながら枚挙に暇がありません。
私が知る限りでも複数の案件があります。そして、いずれも被害者の泣き寝入りに終わってしまっています。教育委員会の関与があった事案でも、事態の解決には至りませんでした。
今回認定された125項目の暴力やハラスメントについては、「規範意識の低さなど加害教諭の個人的資質」(調査報告書)の問題として懲戒免職も視野に処分が出る予定です。
神戸の事案が衝撃だったのは、加害者が「個人的資質」に起因する特定の一人ではなく、集団であったことにあります。そこに「個人的資質」の問題として片付けられない今回の問題の本質があります。
■教員がバラバラにされていないか
調査報告書の次の指摘は、今回の問題の背景を示していると思います。
◆若手が多いいびつな教員構成や教員間の確執、業務過多などで、周囲がハラスメントに気づかないか、構う余裕がなかった
●若手が多いいびつな教員構成
若手が多いいびつな教員構成は、私が就職した1970年代後半もそうでした。職員室の半数近くが20代ということも珍しくありませんでした。それでも、あの時代に今回のような話を耳にした記憶はありません。
いびつな教員構成は、大きな社会背景としてはあるでしょう。しかし、それが暴力問題にどれほど影響しているかというと、いささか疑問に感じます。
●教員間の確執
教員間の確執というのは、言い換えると教員仲間を信頼できない、もっと言えば疑心暗鬼に陥っていたということです。
これは、当該校の特異事情でしょうか。
程度の差こそあれ、信頼関係が希薄になっているのはいずこも同じではないかと思います。結果として、教員個々がバラバラになっているのです。
では、どうしてバラバラになっているのでしょう。
それには諸事情あるでしょうが、私の実感としては、2000年代に入って一斉に導入された教員の自己評価システムが大きな原因になっているように思います。
もともと教員の世界は職階の少ない横社会でした。それが自己評価シートで目標と成果を数値化し、優秀(?)教員を表彰するようなことが行われだしてから、教員のバラバラ化が一気に進んだように感じます。
最近「チーム学校」のようなスローガンをよく目にしますが、そんな標語を掲げなければならないほどバラバラにさせられているのです。
●業務過多などで構う余裕がなかった
教員のバラバラ化に拍車をかけているのが、多忙さです。(横道にそれますが、今般の働き方改革の方策で教員の多忙が解消するとは思えませんが…)
報告書は、仲間に「構う余裕がなかった」ことの主因を「業務過多」(つまり多忙)に求めています。私は、自己評価システムの「成果」と多忙が複合的に作用した結果とみるのが妥当だと思います。
■教室のいじめの構造そのもの
報告書は、認定した加害行為の詳細を次のように記しています。
調査委は被害者の男性教諭に対し、「くず」「死ね」などの日常的な暴言▽体当たりやひざ蹴りなどの日常的な暴力▽激辛カレーを顔に塗りつけ、無理やり食べさせる▽プールに放り投げる▽自家用車を汚すー-などの行為があったと認定した。昨春に転任した前校長も恫喝的な言動等で懇親会への出席を強要していたなどと指摘した。
列挙された行為は、教室で起こる子どものいじめ行為とまったく同じレベル。
教室は社会の縮図と言います。ですから、逆に教室で起こるいじめ行為が大人社会で起こっても不思議ではありません。しかしその大人社会が職員室となると…。
加害教員にも生活があるので一律に懲戒免職とは言わないけれど、子どもの前に立つことだけはご遠慮願いたいものです。
加害教員4人の縦型の関係については週刊誌などでも取り上げられました。加えて、報告書は管理職についても言及しています。
報告書は、歴代の管理職の責任にも言及し、前校長は「言動が威圧的で、被害教員らが相談しにくい環境だった」とした。主因は加害側教諭の規範意識やハラスメント意識の低さにあるとしつつ「前校長の振る舞いは加害行為を違和感なく生じさせる素地となり、「間接的とはいえ原因の一端となった」と述べた。
これに「気づかないか、構う余裕がなかった」という周りの教員を加えれば、教室のいじめ構造そのものではありませんか。とんでもない「後ろ姿の教育」をしてくれたものです。
さらに、報告書は興味深い指摘をしています。
現校長は威圧的言動はなかったが、逆に加害教諭らをコントロールできないと受け止められ、職員室の風紀が緩み、ハラスメントを助長したという。
この指摘は、学級担任という立場で読めば、反面教師として教訓的です。
担任がいじめを助長したというニュースは時々目にします。前校長がそれに該当します。
現校長は「威圧的言動はなかった」のですから、自らの行為によっていじめを助長したというのではありません。しかし「加害教諭らをコントロールできないと受け止められ、職員室の風紀が緩み、ハラスメントを助長した」というのです。
教室の問題に置き換えれば、担任がいじめの中心にいる子どもを適切に指導しなかったことが、結果としていじめを助長したというのです。無為は加害と同等の責任を負うということです。
毅然として態度でと言うは易くですが、子どもの前に立つ者として襟を正さねばなりません。