教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

アクティブ・ラーニングに至る道⑤ アクティブ・ラーニングへ

2007年に学校教育法が一部改正され、学力が定義づけられます。

 

前項の場合においては、生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うこと、特に意を用いなければならない。

                    「学校教育法」第30条2項

 

この規定を受けて、2008年改訂の学習指導要領(2011年完全実施)は「学力の三要素」として次のように整理しています。

 

ここ(「学校教育法」第30条2項)には,学力の重要な3つの要素が示されている。
1)基礎的・基本的な知識・技能
(2)知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等
(3)主体的に学習に取り組む態度

 

この「学力の三要素」がすなわち「確かな学力」ということになります。

授業時数が増加し、外国語活動が始まります。その一方で、高学年の「総合」の時間は105時間から70時間に削減されました。

 

「生きる力」は、言葉としてなお健在です。

 

生きる力を構成する3つの柱として、「確かな学力」、「豊かな人間性」、「健康・体力」が提示されます。

「豊かな人間性」は道徳教育の充実を指し、2015年の道徳の「特別の教科」化につながります。

 

98年指導要領で「生きる力」の中心を担った「総合」はどうなったのでしょう。

「確かな学力」育成という枠組みにおいて、「総合」を核とした指導が「課題発見・解決能力、論理的思考力、コミュニケーション能力等の向上に資する」という位置づけをしています。

 

私はこの指導要領のもとで数年過ごしましたが、現場の実感としては「総合」は風前のともしびでした。

 

 

そして、2017年に学習指導要領が改訂され、2020年度から完全実施です。

 今次改訂で授業時数は89年改訂時のレベルまで増加しました。道徳は「教科」となっており、英語も正式に教科になりました。プログラミング教育も始まります。

そうした中で、アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)をスタートさせることになります。

 

ゆとりでも詰め込みでもなく、知識、道徳、体力のバランスとれた力である生きる力の育成を実現するという2008年指導要領の「崇高な」理念は、2017年指導要領にも生きています。

世間では、2008年指導要領を「脱ゆとり教育」と評しています。文科省の公式アナウンスとは明らかに乖離があります。現場の感覚は、「世論」に近いです。

 

学校現場がもっとも困るのが、文科省の「崇高な」ところです。

大門未知子の「失敗しないので」とは真逆の意味で、文科省は「失敗しないので」。まあ、「失敗した」と認めれば子どもが失敗の教育を受けたことになるので、「失敗した」とは公言できない事情は理解します。

しかし、総括も反省もない改革は何をもたらしているでしょう。

木に竹を接ぎ、竹に木を接ぎ、…。「木」と「竹」がともに正義の顔をして肥大化しているというのが実態ではないでしょうか。

 

 

2005年、中央教育審議会の「我が国の高等教育の将来像」において、21世紀が「新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す、いわゆる『知識基盤社会(Knowledge-based-society)の時代』である」との見解が示されました。

 

2009年8月、文科省が科学技術・学術審議会の人材委員会に示した「知識基盤社会を牽引する人材の育成と活躍の促進に向けて(案)」と題する資料に次の一節があります。

 

我が国が科学技術創造立国の実現に向けて世界をリードし、成長し続けるためには、イノベーションを絶え間なく創造できる人材の育成が求められている。
「知」を巡る国際競争の激化や知識基盤社会の進展等により、産業構造の変化も急速に進んでいる現代においては、多種多様な個々人が力を最大限発揮でき、それらが結集されるチーム力が必要とされている。

 

つまり、知識基盤社会に対応した人材を育成するとは、日本が「世界をリード」し「国際競争」を勝ち抜くために必要な人材を育てるということです。
産業構造が変化すると、社会が必要とする人材が大きく変化します。教育の変化の背景には、「知識基盤社会」「産業構造の変化」があるというわけです。

 

これらは、1980年代の臨教審や90年代の「新時代の『日本的経営』」のころの「新しい学力観」(「新学力観」)と底通するものです。今次改訂の「アクティブ・ラーニング」も同軸上にあります。

 

問題は、「着ぶくれ」にあります。「着ぶくれ」の原因は「PISAショック」にありますが、PISA学力は授業時間や内容の増加でアップするものではありません。文科省はそうと知りつつ「学力低下」批判の世論に迎合したのです。自らの保身のために。その結果、学校現場は「着ぶくれ」部分の対応にエネルギーを割かれています。

 

こうした状況下で「アクティブ・ラーニング」が始まります。

「こんなに忙しいのに、まだその上に『アクティブ・ラーニング』だなんて…」

学校現場の悲鳴が聞こえてきそうです。 

 

「木を見て森を見ず」の教育にならなければいいのですが…。