教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「就学前教育」か「幼児教育」か

2歳になった孫が4月から保育園に入ります。

 

「就学前教育」という幼稚園や保育園の保育・教育を指す言葉があります。

なぜ「就学前」教育なのでしょう。

 

「就学」……学に就くというのは、小学生になるという意味です。つまり、学びのスタートは小学校入学にあるわけです。小学校入学前に行う健診を「就学時健康診断」と言います。

 

「就学前」は、誕生から小学校に入学する春までの期間を指します。

その期間に行われる保育・教育が就学前教育です。

 

1872年8月に学制が公布され、近代的学校制度がスタートします。その後の数年間に全国津々浦々に小学校が作られていますので、小学校には150年近い歴史があります。

それに比べると、幼保が一般的になるのはずっと後のことです。

学校教育のカリキュラムがまずあって、その後に「就学」までの教育をつくったので「就学前教育」というのは歴史用語として理解できます。

 

そうは言っても、幼稚園・保育所が一般的なものになって半世紀以上が経ちます。

なぜ未だに「就学前」教育という言い方をするのでしょう。

 

小学校入学時にこういう力がついていると望ましいーーひらがなが読める、名前が書ける、45分間座っていられる、等々ーーという視点で幼保を見てはいないでしょうか。

つまり、「学び」のスタートラインが小学校入学時にあって、そのスタートラインに並び立つための保育・教育機関として幼保を位置づけていないでしょうか。

「就学前」教育という言葉には、そんなにおいがあります。

 

子どもは0歳から育っていきます。0歳児・1歳児の乳幼児保育は、個々の子どもの育ちをまるごと受け止めることからスタートします。

0歳にはじまり5歳児に至るまでの育ちがあり、その育ちの先に小学校があります。

小学校入学時の「スタートライン」は、子ども一人ひとり違っていて当たり前なのです。

幼児教育(もしくは幼年教育)という言葉には、子どもの育ちに寄り添うやさしいにおいを感じます。

 

言葉の使い方の問題を言っているのではありません。

言葉が無意識下に内包する小学校教育のあり方の問題であり、幼稚園・保育所と小学校のいわゆる保幼小連携の視点の置き方の問題です。

 

変わるべきは小学校だと、私は思います。

小学校が変われば、物理的に重いランドセルを背負って登校する1年生の「心の荷物」がいくらか軽くなると思うのですが…。