教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

生活を綴る②

■生活綴り方の伝統に学ぶ■②

 

生活綴り方の伝統

 

前回の続編になります。

次に紹介する文章は、国分一太郎さんの著作と思われるのですが、出典の記載を漏らしていて確認できていません。

 

生活綴り方教育の実践者が伝統的に大事にしてきたこと


 生活綴り方の実践者たちはひとりひとりの子どもたちを固有名詞で生き生きとしてとらえてきた。学校・学級や家庭・地域の子どもについて語る時、生活綴り方の実践者たちは、子ども一般としてではなく、だれそれはいつこうだった、だれさんはこういうふうにしてものを語りかけてきたと、いつも、ひとりひとりの固有名詞を出して、子どもについて語ってきた。それは、ある日ある時のひとりひとりの子どもたちの動きやすがたを、その心のなかのことまでふくめて、しっかりととらえ、教師の心のなかに深く刻みつけているためである。子どもをとらえるというとき、ある日ある時、あるところで、ある状況のなかで、どの子どもがどうしたかということを具体的なかたちでつかみとることなしには、本当に子どもをとらえることはできないという、教育におけるリアリズムの精神をしっかりと身につけているからである。

 

② 生活綴り方の実践者たちは、ひとりひとりの子どもたちを国や地域の現実・環境のなかの存在としてとらえてきた。子どもたちもまた社会的、歴史的な存在としての人間であるからには、ひとりひとりのすがたや動きのは何らかのかたちで周囲の影響をうけて生きている。だから、子どもたちのすがたや動きのなかにはそのときどきの国や地域の政治・経済・社会・文化などの影響がさまざまな形で反映されてきている。子どもたちの書く綴り方をとおして、それをたしかにつかみとるこみとを生活綴り方のよき伝統のなかから正しくうけついできたのである。国と地域や子どもたちの人間関係について語る時にも、それを子どもたちの具体的な動きやすがたをとおしてつかみとることもできるのである。子どもを総体としてつかむことはまさしく生活綴り方の実践者たちが実践のなかで自分たちのものにしてきたことであるといってよい。

 

③ 生活綴り方の実践者たちは、ひとりひとりの子どもたちを、子ども集団のなかの個人としてとらえてきた。子どもたちを生き生きととらえるということは、子どもをとりまく環境のなかでとらえることであるとすれば、直接子どもたちが仲間入りしている子ども集団のなかのひとりとしてしっかりとらえることはいっそう大切なことである。学級集団、学校集団、地域での子ども集団のなかでどういう存在なのか、どんな影響を、どういうかたちでうけているのかをつかむことが、より子どもを理解するのにつながることだということを、実践のなかで知っているからである。また、そのことは、子ども集団がどういう質の集団であるかをもしっかりとらえることをぬきにできないことも知っている。

 

④ 生活綴り方の実践者たちは、ひとりひとりの子どもを生活者、学習者として日に日に自己を発達させていくものとしてとらえてきた。子どもたちは自然や社会や文化のなかで生活者としても、学習者としても、生きている。そのなかでさまざまな働きかけをしたり、働きかけをうけながら発達していくものである。程度の差はあれ、みずからの主体をはたらかせ自己発達をとげていくものである。そのため、わたしたちは、「あそび」のなかで、「労働」のなかで、「文化的欲求」をみたそうとするなかで、「学習」のなかで、自己を発達させようとしているものとして、子ども・青年をとらえてきた。今日のような子どもをめぐる自然や社会や文化の状況のゆがみがきわだっているときにも、われわれ生活綴り方の実践者たちは、子どもの発達可能性に期待をかけて子どもたちをとらえていこうとする。状況への悲観的思いをつのらせながらも、子どもたちは日に日に自己を発達させていく主体として子どもをとらえていくことにいささかのためらいも抱きはしない。

 

⑤ 生活綴り方の実践者たちは、ひとりひとりの子どもの感性、感情の内面にまでくいこんでとらえてきた。文章表現という行為は、子どもたちの意識や感情の働きと無関係なところでおこなわれるものではない。そのため、生活綴り方をとおしてひとりひとりの子どもたちの感性、感情の内面の動きについてたえず敏感に感じとりながら、その内面の深くにしみこむような働きかけをしてきた。そのことが、子どもたちの豊かな表現を導きだすきめ手だとも考えられてきた。したがって、生活綴り方の実践者たちは、たえず、ひとりひとりの子どもたちの感性、感情の内面まで深くくいこむような働きかけに心をくだいてきた。そこから「心の琴線にふれる」とか、「心のひだにくいこむ」などという生活綴り方特有の指導語までを生むにいたった。子どもを生き生きとつかむということは、子どもたちのうわべのすがたや動きだけでなく、その内面にまでくいこむようなこまやかなとらえ方をもふくめてのことであることを、われわれ生活綴り方の実践者たちはよく知っていたのである。

 

 

生活綴り方の伝統は、「日本作文の会」という民間教育団体に受け継がれ、発展していきました。当然、その中心に国文一太郎さんがいたことは言うまでもありません。