教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その2・地域の戦争を記録する⑤

2011年度6年生の記録

地域の戦争体験 〈1〉

 

2011年度の6年生は、校区の戦争体験について調べ、「戦争と■■(伏せ字部分には校区名が入ります)」と題するDVDにまとめました。

 

実践記録の「はじめに」の一節です。

ヒロシマは大事な学びではあるが、生活レベルでの距離感は埋めがたい。地域の戦争体験を学習できないものか。ふと考えた。戦後66年、戦争中の記憶を留める人の数は確実に減っている。今が最後のチャンスかもしれない。
 地域の戦争体験というのは、いわゆる戦場における体験とは違う。「銃後の暮らし」とでも言おうか、出征後に遺された家族の暮らしぶりや、戦争中の学校生活を記録したいと思う。遺族会と老人会の会長さんにその旨を話し、アンケートを実施させていただいた。

 

「戦争と■■」は、2つの取り組みに分かれます。

 

1つは、戦死者の記録です。15年戦争の期間中に戦死された方が、校区に37人おられました。この人たちについて調べ、記録します。

これには校区遺族会の皆さんのご協力をいただきました。

 

もう1つは、戦争中のいわゆる「銃後の暮らし」を調べ、記録します。

これには校区老人会の皆さんのご協力をいただきました。

 

まず、事前に両会の会長さんにお会いし、趣旨をお話しして、会としての協力をお願いしました。そして、それぞれの対象者にアンケート用紙を配っていただきました。

なお老人会に関しては、「■■尋常小学校(国民学校)に昭和10年入学~昭和20年に在籍の方」に限定して回答いただきました。

 

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アンケート用紙は、集落の会の役員さんを通じて届けてくださった方が多かったのですが、何人かの方が学校へ持参してくだいました。

ある老婆は、新築から20年経つ校舎に初めて入ったと、戸惑いながらも少女のように話してくださいました。戦争中の写真をとお願いしたら、わざわざアルバムからはずして大事な写真を貸してくださった方もありました。

 

学校を開く、地域に開かれた学校という表現があります。「いつでも学校へどうぞ」みたいな漠然としたイメージがありますが、ちょっと違うようです。学校を開くというのは学校が地域に出向くこと、学校が地域にアプローチすることだと強く感じるできことでした。

 

 

アンケートは「一次資料」です。

次回から、この「一次資料」をまとめた記録を紹介していくことになります。

 

アンケートをお願いしたときの文書に、「なお、まとめていく過程で、子どもたちが再度お話を伺いにあがることもあるかと思いますが、それにつきましても併せてご協力をお願いいたします。」と書き添えています。

「忙しかった」は言い訳になりますが、本来やりたかったところまで辿り着かずに1年が終わってしまいました。

しかしこれまた弁解じみていますが、「一次資料」があれば、特定の個人を取材して深める足ががりになるはずです。そういう「種蒔く人」もいいじゃないかと思います。