教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する③

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する②で紹介している「ヒロシマのこえが聞こえますか」の第2章「2.ビデオ「ヒロシマのこえがきこえますか」」の続きです。

 

  

 

ヒロシマのこえが聞こえますか

 

  2.ビデオ「ヒロシマのこえがきこえますか」

 

 最後に残されたのが編集の仕事。つまり、ビデオ撮りした絵と、せりふを入れた録音テープと、効果音楽を、別のビデオテープにまとめてつなげていくのだ。ぼく自身が機械については全くの素人だし、一諸にやるのが子どもだし、これは正直不安だった。学級全体でやれる仕事でもないので希望者に残ってもらうことにした。予想外にと言うか、男女を問わず多くの子が残りたがった。夜も遅くなるだろうということで、男子5人が残った。2月21日のことである。実際にやってみると大変な作業だった。録音の言の大きさが一定でないのでビデオに編集していくと聞き取れない部分があってやり直したり、1か所せりふをとばしていたことに気付いてやり直したり……。それでなくても、それぞれの機械の作動する時間のズレを計算しながら同時に4台の機械を動かすのだから、子どももぼくも緊張の連続であった。途中でクラスの女の子が、それまで決して仲が良かったわけでもないのに、おやつの差し入れを持って釆てくれたのがうれしかった。そのおやつで空腹をしのぎながら、やっと完成したのは8時半を過ぎたころである。「夜おそくまで残ったときはとても緊張しました。8時半ぐらいにビデオが出来上がった時はとてもうれしかったです。」(子どもの感想から)完成のあとみんなで食べに行った屋台のラーメンのおいしかったこと。


 完成してみると作品の長さは23.5分であった。2月25日、作品のあとに子どもたちの声を添えた。合計36分。


 2月28日は最後の授業参観の日であった。その日、子どもたちは画面に食い入るようにして自分たちの作ったビデオを見た。数多く来て下さったお母さんたちもまた……。


 以下、子どもの感想をいくつか紹介しておきたいと思う。


「自分達で作った。だからこそしんけんに考えながら見たんだと思う。その結果、戦争がどんなにおそろしいものかわかったような気がします。」


「下原さんが私たちに言いたかったことが、ビデオをつくったことによって分かったような気がする。」


「原爆にあって逃げる人の絵をかきました。かきながら本当にあんなのだったのかと思うととてもこわいです。」


「お父さんは『死ぬまで足が不自由』だってテレビから声が聞こえてくると、とっても悲しかったです。悲しいどころか、原爆に対していかりがこみあがってきました。」


「ビデオを作っていて、前、修学旅行で聞いたとき覚えてなかったことや、言っていた時の下原先生の気持ちももう一度考えなおせたと思います。」


「自分たちの作ったビデオを見ていると、本当に原爆はこわいと思いと思いました。人を殺してしまったり、傷つけたり、心をぼろぼろにしたりすることが、下原先生の体験からわかりました。だから私も原爆は絶対いやです。」


「みんなががんばってつくったこのビデオは、下原さんが最後に言った言葉と一緒に大切にしたいと思います。」


「私はお母さんがぐったりたおれているところに赤ちゃんが泣いている所の絵をかいた。自分は背中が黒こげになってとてもいたいのに、赤ちゃんのためにあおむけになって寝ている……。自分はどうなっても子どもを助けたいという親の気持ちがよくわかった。」


「ビデオを作っている時、修学旅行では教えてもらえなかったことを教えてもらったと思います。そして絵を書いている時は、本当に40年前にこんなことがあったとは信じられません。だから私はもうあんな絵は書きたくないし、あんな絵のもとになるようなことはいつの時代になってもあってほしくないと思いました。」


「私はこのビデオづくりをして本当によかったなあと思いました。はじめ、むずかしそうだなあと思ってうまくいくかなあと思って心配だったけど、わりとうまくできていてうれしかったです。……原爆は人間を人間でなくしてしまうおそろしいものだということがわかりました。……私は絶対にあんなめにあうのはいやです。だから戦争は2度と起こってはしくありません。そして原爆も2度とどこにも落としてはいけないと思いました。世界の大きい国々は核実験とか言って島や砂漠に落としているけど、それもやめてほしいなあと思います。」


「みんなで楽しくやれたことがうれしくてたまりませんでした。」


 ぼく自身、このビデオづくりをやってよかったと思う。ぼくの思いのかなりの部分は達成できたと思う。それ以上にうれしかったのは、なかまをつないでくれたことだ。2年間とりわけ6年生の1年間、女子の間がうまくいっていなかった。そんな中で3学期に入試があり、中学進学を迎えるのである。そうした状況下でのビデオづくりの日々。完成が近付くにつれてみんなで1つの目標に向かうことができた。それがうれしかった。


 タイトルに触れておきたい。ビデオのタイトル「ヒロシマのこえがきこえますか」は、第一義的にはビデオを見る人への投げかけである。しかし、本当はそれ以上にビデオづくりに取り組んでいる子ら自身への問いかけなのだ。