2023年8月6日。
広島に原爆が投下されてから78年目のきょう8月6日、朝日新聞「天声人語」の書き出し部分です。
それは格闘だったという。妻の俊が人物を描くと、夫の位里が「リアルすぎる」と上から墨をぶちまける。俊が描き直す。丸木夫妻が「原爆の図」第1部・幽霊を仕上げたのは1950年だった▼「まるで地獄じゃ、ゆうれいの行列じゃ、火の海じゃ。鬼の姿が見えぬから、この世の事とは思うたが」。同じ年にそう書いている。原爆の数日後に夫妻は広島を訪れていた
「原爆の図」は全部で15部あります。
第1部 幽霊 1950年
第2部 火 1950年
第3部 水 1950年
第4部 虹 1951年
第5部 少年少女 1951年
第6部 原子野 1952年
第7部 竹やぶ 1954年
第8部 救出 1954年
第9部 焼津 1955年
第10部 署名 1955年
第11部 母子像 1959年
第12部 とうろう流し 1969年
第13部 米兵捕虜の死 1971年
第14部 からす 1972年
第15部 長崎 1982年
第1部から第14部までは、「原爆の図 丸木美術館」(埼玉県東松山市)に展示されています。(第15部は長崎原爆資料館にあります)
私が初めて丸木美術館を訪れたのは、今から40年前、1983年7月上旬のことでした。絵の大きさと迫力に圧倒されたのですが、私には忘れられない思い出があります。
このとき、丸木位里さん(1901.6.20-1995.10.19)は82歳、丸木俊さん(1912.2.11-2000.1.13)は71歳でした。
どの部屋だったのでしょうか。位里さんが一段高い場所に立って、法螺貝を吹いてくださいました。位里さんの立ち姿は大きく、それはなんとも心に沁みる音色でした。
おもてに出ると、俊さんが蒸かしたジャガイモをふるまってくださいました。平和であることを噛みしめた27歳の夏でした。
美術館に行かずに作品に触れるには、書籍という選択肢があります。
第1部から第14部までの絵と、丸木俊さんの「幽霊に憑かれて」という文章が収録されています。
また、俊さんには子ども向けの絵本もあります。おすすめの1冊です。
『ひろしまのピカ』 (小峰書店 1980.6.1 1650円)
人間というのは、変わろうと思えばいくつになっても変われるんだと、丸木夫妻をみて思います。
「原爆の図」第1部は1950年の作です。そのとき位里さんは49歳、俊さんは38歳です。
位里さんは日本画家として、俊さんは洋画家として、それぞれに「自分の居場所」を持っておられました。「原爆の図」は、そうした「居場所」とは別世界の作品です。
ヒロシマでの体験がきっかけであることは相違ありません。
しかし、それだけではないと、私は思います。
「南京大虐殺の図」(1975年)
「アウシュビッツの図」(1977年)
「水俣の図」(1980年)
「沖縄戦の図」(1983年~1987年)
一連の作品に底通しているのは、反戦、反差別・人権という視点であり、思想です。
ひとは、強い思いさえあれば、いくつになっても変われるーー。あらためてそう自分に語りかける67歳の夏です。