教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

音楽で人権教育を考える④

3003年に行った講演では、「部落問題」「在日朝鮮人問題」とともに「平和問題」を取り上げました。

具体的には「沖縄」の問題に焦点を当て、「島唄」を紹介しました。(「さとうきび畑」も用意していましたが、時間の都合で聴いていただくことはできませんでした)

 

 

島唄

  作詞・作曲:宮沢和史 歌:THE BOOM

  1992年:アルバム「思春期」に収録

  1993年:シングル「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」

 

THE BOOM宮沢和史さんは、「朝日新聞」の「宮沢和史の旅する音楽」(2005年8月22日)で「島唄」の創作秘話を語っています。

 

島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。
そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、
本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で
大勢の住民が犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。
極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。
このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。
この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。
「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。
島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。
2人は本土の犠牲になったのだから。 

 

THE BOOMの「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」は150万枚以上を売り上げる全国的な大ヒット曲になりました。そのころ、沖縄県では「沖縄の人間でない人間が沖縄民謡の真似事をするなんてとんでもない」「本土の人間に『島唄』の名を安易に使ってもらいたくない」といった批判的な声が多くありました。

批判はまさに「本土」の人間の問題です。「沖縄」問題の本質は、ここにあります。

 

 

 

さとうきび畑

  作詞・作曲:寺島尚彦
  歌:森山良子 ほか

  初演は1967年、森山良子のシングルCDは2001年

 

寺島尚彦さんは2004年3月23日に亡くなられ、4月13日の「朝日新聞」に「惜別」記事が載りました。

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2003年9月28日、TBSテレビで明石家さんまさん主演のドラマ「さとうきび畑の唄」が放送されました。寺島尚彦さんの「さとうきび畑」をモチーフに作られたものです。これも秀作でした。(DVDになっているようです)

 

 

島唄」から間もなく30年。

 

沖縄出身のBEGIN に、「島人ぬ宝(シマンチュヌタカラ)」という曲があります。

この曲は、比嘉栄昇さんが、石垣市立石垣中学校の担任(作詞当時)であったかつての同級生に依頼して生徒たちに島への思いを書いてもらい、それを参考にして作詞したものです。

私のなかでは、「島唄」と「島人ぬ宝」は対のものとして在ります。

30年の間にウチナンチュはどれほど変わったでしょうか。