教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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きょうは何の日 4月28日

4月28日 サンフランシスコ平和条約発効記念日

 

サンフランシスコ平和条約は、第二次世界大戦後、日本国と連合国各国の間で結ばれた平和条約です。

1951年9月8日のサンフランシスコ講和会議で調印され、1952年4月28日に発効しました。この条約の発効により、連合国による占領は終わり、日本国は主権を回復しました。「主権回復の日」とも言われます。

また、この日は日米安全保障条約(正式には「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」。略称「日米安保条約」)が発効した日でもあります。

※平和条約と安保条約をめぐる問題は、9月8日の項で取り上げます。

 

「主権回復の日」をめぐって、国会で取り上げられたことがあります。

 

照屋寛徳衆院議員の質問書(2013.3.26)です。

平成二十五年三月二十六日提出
質問第三九号

いわゆる4.28「主権回復の日」政府式典に関する質問主意書
                       提出者  照屋寛徳

 

いわゆる4.28「主権回復の日」政府式典に関する質問主意書


 平成二十五年三月二十一日、私の議員会館居室の郵便箱に一通の式典案内状が投函されていた。
 式典案内状には、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典委員長 内閣総理大臣 安倍晋三」名下で、「平和条約の発効による我が国の完全な主権回復及び国際社会復帰六十年の節目を記念し、主権回復・国際社会復帰を記念する式典を左記により挙行いたします」と書かれていた。式典の日時は、平成二十五年四月二十八日、場所は憲政記念館である。いわゆる4.28「主権回復の日」政府式典の案内状だ。
 右案内状には、式典への出欠を問う返信用ハガキが同封されていた。私は、同年三月二十二日、次のような文言を添えて「欠席」の通知を行った。
 「サンフランシスコ講和条約により、沖縄はアメリカの施政権下に売り渡され、苦難を強いられ、人間としての尊厳を奪われた。『我が国の完全な主権回復』は嘘だ。沖縄にとって『屈辱の日』だ」同時に「式典に抗議し、中止を要求する」とも書き添えた。
 今、沖縄では、四月二十八日に挙行されようとしている「主権回復の日」政府式典に対し、多くの県民から違和感が表明され、式典開催に対する抗議の声が挙がっている。
 具体的には、「式典を開催することは国家のエゴイズムにほかならない」(比屋根照夫・琉球大学名誉教授)、「式典開催は国民への歴史の偽造にほかならない」(照屋寛之・沖縄国際大学教授)との学識者らの指摘(二〇一三年三月二十五日付・沖縄タイムス)だ。また、式典開催そのものが、政府による沖縄への差別、無視、迫害であるとの強い意見が県民の多数から出ている。
 以下、質問する。
一 いわゆる4.28「主権回復の日」政府式典の案内状には、「平和条約発効による我が国の完全な主権回復」との記述があるが、サンフランシスコ講和条約第三条によって、沖縄、奄美、小笠原は米国の施政権下に置かれたのが歴史の真実だ。にもかかわらず、政府は、サンフランシスコ講和条約発効によって「我が国の完全な主権回復」がなされたとの認識なのか。また、政府のいう「完全な主権回復」とは、いかなる状態を指すのか、見解を明らかにされたい。
二 政府は、主権国家における「主権」の概念、国家権力の属性としての「主権」の意味及び用法についてどのように考えるか、見解を示されたい。
三 サンフランシスコ講和条約が発効した一九五二年四月二十八日は、沖縄にとって「屈辱の日」である。以後、同条約第三条により、沖縄、奄美、小笠原は米国の施政権下に置かれ、一九七二年五月十五日の「本土復帰」が実現するまで沖縄には日本国憲法が適用されず、我が国の警察権、司法権も及ばない治外法権、「半主権状態」にあった。
 それでも政府は、「我が国の完全な主権回復」が実現したとして、政府式典を挙行するつもりか。式典挙行は、歴史の真実に対する「国家の嘘」ではないか、見解を示されたい。
四 来る四月二十八日の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」への招待者の範囲を特定したうえで、係る招待の範囲に至った理由を明らかにされたい。
五 右式典には、予てより報道されている天皇、皇后両陛下も招待するのか、明らかにされたい。
 また、天皇、皇后両陛下の式典出席は、日本国憲法第七条が定める「天皇の国事行為」の範疇を超えた「天皇の政治利用」に該当するとの疑念もあるが、政府の見解を示されたい。なお、「天皇の政治利用」に該当しないとの見解であれば、その理由を明らかにされたい。
六 政府は、大日本帝国憲法下における「天皇主権」から、日本国憲法下における「国民主権」へと変わった意義について、いかように考え、評価しているか、見解を示されたい。
七 平成二十四年十二月十六日執行の第四十六回衆議院議員総選挙における自由民主党政権公約「J-ファイル2012」には、「政府主催で、二月十一日の建国記念の日、そして二月二十二日を『竹島の日』、四月二十八日を『主権回復の日』として祝う式典を開催します」とある。
 政府が、来る四月二十八日の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」から「祝う」の文言を除外し、政権公約に反して「祝う」式典としなかった理由を明らかにされたい。
 右質問する。

 

この質問状に対する安倍晋三内閣総理大臣(当時)の答弁書(2013.4.5)です。

平成二十五年四月五日受領
答弁第三九号

  内閣衆質一八三第三九号
  平成二十五年四月五日
                      内閣総理大臣 安倍晋三

       衆議院議長 伊吹文明 殿
衆議院議員照屋寛徳君提出いわゆる4.28「主権回復の日」政府式典に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

 

衆議院議員照屋寛徳君提出いわゆる4.28「主権回復の日」政府式典に関する質問に対する答弁書

 

一、三及び七について
 お尋ねの「完全な主権回復」の文言は、地理的なことを意味するものではなく、連合軍の占領中は、我が国の主権が制限されていたところ、日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号)の発効により、同条約第一条(b)の「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。」との規定に基づき、かかる制限を受けない主権を回復したことを意味するものである。
 政府としては、同条約の発効による我が国の完全な主権回復及び国際社会復帰六十年の節目を記念し、我が国による国際社会の平和と繁栄への責任ある貢献の意義を確認するとともに、これまでの経験と教訓をいかし、我が国の未来を切り拓いていく決意を確固としたものにするという趣旨で、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」(以下「本式典」という。)を挙行することとしたところである。
 本式典に当たっては、沖縄が先の大戦において悲惨な地上戦を経験したこと、また、同条約の発効以降も一定期間、奄美群島小笠原諸島及び沖縄が、我が国の施政権の外に置かれたという苦難の歴史を忘れてはならず、苦難を耐え抜かれた先人の心情に思いを致し、沖縄の方々が抱える基地負担の軽減に取り組むとともに、奄美群島小笠原諸島及び沖縄を含めた我が国の未来を切り拓いていく決意を新たにすることが重要であると考えている。
二について
 一般に、国際法上、主権とは、国家が自国の領域において有する他の権力に従属することのない最高の統治権のことをいい、国家の基本的地位を表す権利を意味すると承知している。
四について
 政府としては、一、三及び七についてで述べたような本式典の趣旨及び過去の政府主催による式典の例に鑑み、参列者の範囲を衆議院議長参議院議長、衆議院議員参議院議員国務大臣最高裁判所長官最高裁判所判事、都道府県知事、民間各界代表、各府省幹部等としたものである。
五について
 御指摘の「天皇の政治利用」の意味するところが必ずしも明らかではないが、政府としては、一、三及び七についてで述べたような趣旨で、政府主催により本式典を挙行し、天皇皇后両陛下の御臨席を賜るものであり、日本国憲法上の問題は生じないものと考えている。
六について
 大日本帝国憲法の下においては、天皇が国の統治権を総攬する地位にあったが、戦後はこれが否定され、日本国憲法では、その前文で「ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と国民主権をうたっている。この国民主権の原理は、人類普遍のものであり、現在、世界の多くの国の憲法において採用されているものである。

 

もはや当然のこととして、この種の質問に対する政府答弁は質問主旨と噛み合いません。

「『完全な主権回復』の文言は、地理的なことを意味するものではなく、…制限を受けない主権を回復したことを意味するものである。」と政府は言います。

照屋氏は、その「完全な主権回復」には沖縄、奄美、小笠原が含まれておらず、そうした地理的な位置にある者として、政府が「主権回復の日」として式典を催すことへの疑義を呈しているのです。

 

国民の一人ひとりが考えなければならない、そしていまにつながる「問い」です。