教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

(投稿№300)日本人に足りない批判的思考~デービッド・アトキンソン氏に学ぶ~

本日、投稿数が300の節目を迎えました。

 

先日(2月23日)の「朝日新聞」に、東京五輪パラリンピック大会組織委員会有識者懇談会メンバーであるデービッド・アトキンソンのインタビュー記事が掲載されました。

記事は、森喜朗さんの女性蔑視発言を受けて企画されたものです。

 

 

2021.2.23 朝日新聞

 日本人には決定的に欠けているものがある――。東京五輪パラリンピック大会組織委員会有識者懇談会メンバーとして、大会コンセプト作りなどに関わった小西美術工藝社のデービッド・アトキンソン社長(55)は、そう感じてきたという。組織委にみた日本の問題とは何かを聞いた。

 

組織委・有識者懇談会メンバー
デービッド・アトキンソン

 

「世界一寛容な日本」願望に近い

 組織委で大会コンセプトを作っているときに、一番難しかったのは、日本人が考える「日本」はほとんど理想論だったことです。 こうあってほしい、という願望に近い。日本のベストだけみればそうかもしれないということを、一般化しようとする。
 「多様性と調和」というコンセプトについて、会議では「日本は世界一寛容な国」という人がいた。 日本はどんな文化でも取り入れて、日本は多神教で海外は一神教だとか。
 これは学問的には正しくない俗説です。
 寛容な面もたくさんありますが、夫婦別姓も認めないし、移民にかなり厳しいし、難民は受け入れない。「寛容」と言えるのだろうか、と議論になりました。
 日本は、いろんな人の意見を排除はしないが、多くの場合取り入れもしない。米国みたいに人種によって暴力を振るうことはないが、途上国の人などに対し、人によっては相当な差別をしている。 海外みたいにLGBTを刑務所に入れることはないが、結婚を認めるところまではいかない。

 

思い込みや俗説、検証しない…足りない批判的思考
 日本人は思い込みや俗説が多い。 専門家に確認しない、検証しない。厳しく言えば、プロ意識が低い面があることは共通しています。 それは寛容の一環かも知れませんが。
 例えば、東京五輪が日本経済の起爆剤になるというのも、俗説。エビを食べて長寿にあやかるのと同じ。数週間のイベントがGDP550兆円の日本経済に大きな影響を与えるはずがありません。
 五輪で観光客が増えるというのも、何の根拠もない思い込み。インバウンドが増えたのは5年前からですが、リオデジャネイロで五輪があるからと、開催の5年前にブラジルに行った日本人が多くなった事実はないです。 自分たちがやらないのに、なぜ外国人がやると思うのか。
 過去の大会では、その年には海外からの需要が増えるが、ほとんどがマスコミ関係。翌年はよくない。 2012年に開催したロンドンだけ増えましたが、これは五輪に合わせて観光対策をしたから。五輪だけの影響ではありません。
 日本の決定的な問題は、クリティカルシンキング(批判的思考法)が十分にできていないこと。これは、仮説を立てて、ロジックを分解し、データで検証し、結論を導き出すもの。大学の問題が大きい。 クリティカルシンキングができるようになるのは大学生の年齢。人間というものは勝手な思い込みをする生き物なので、それをなくすため大学教育が発達した。
 大学の4年間、先生とのやりとりで、思い込みで発言したら、根拠はなんですか? 評価に客観性はありますか?と聞いて答えさせる。日本の大学はそれが十分できていない。
 だから日本は事後対応しかできず、いつも後手に回る。 事前に仮説をたてて議論しても、受け入れられないのです。 予想はできるのに、何も手を打たない。
 重ねていいますが、東京五輪はやっても、やらなくても、日本経済には中長期的にはさしたる影響はありません。

 

「話長くてもいい」の観点
 森(喜朗)さんの発言による騒動が始まったころ、「森さんの代わりはいない」という意見があった。 これは情けない話。1億2千万人も国民がいるというのに。
 確かに、森会長がいると組織委は楽ですよ。森さんの人脈はすごい。 これは事実。しかし、人脈がなければ東京大会ができないというのは、事実じゃない。
 森さんの発言には、いくつか問題点があります。一つ目は、女性が話が長いというのは、何をもって言っているのか。 周りの人に聞いたエピソードベースの話で、何ら検証されていないものを、押しつけた。
 そしてそれに評価を持ち込んだこと。話が長いのはいいことですか、悪いことですか。しかも基準は男性の価値観ではないですか。
 ただ、日本国内の議論には違和感があります。
 女性の話が長いか、長くないか、女性蔑視か、蔑視じゃないか、ではなくて、仮に話が長いのであれば、それはそれとして受け入れないといけない、違っていいんじゃないのか、という。
 観点が抜けている。違いを受け入れていないことが問題なのです。男女に限らず、障害者、外国人、いろんな意見を出し合って、平等に考えていく。それが多様性。男女の問題だけに落とし込むのはおかしい。
 森会長の発言は、失礼ながら厳しく言えば、あまり深く考えていない発言です。海外は複雑になって、日本に比べて考えて話さないといけない世の中に変わりました。
 私がゴールドマン・サックスの役員になったとき、たくさんの研修を受けました。 前後に言ったことを全部はずして一語だけを切り取られて新聞の1面トップに出ることを恐れなさい、と教わる。 ゴールドマン・サックスの社長の発言は一文字一文字、チェックして文章は政治的なものになっている。 こうなってくると比較的おおざっぱな日本が一概に悪いとも言えない。ただ、あのような場面では少し考えて発言するべきでした。
(聞き手・塩谷翔吾)

 

 

「日本人には決定的に欠けているものがある」という指摘は、教育のありようへの重要な示唆でもあります。

 

日本の決定的な問題は、クリティカルシンキング(批判的思考法)が十分にできていないこと。

クリティカルシンキングができるようになるのは大学生の年齢」だとしても、そこにつながる論理的なものの見方、考え方は小学生のころからの課題です。

 

違いを受け入れていないことが問題なのです。

「違いを豊かさに」というのは、人権教育の大きな柱です。

 

 

日本で生活する異国生まれの人の視線は、冷静であり客観的です。

「森問題」に終わらせることなく、日本の教育に欠けているものへの警鐘として深く学びたいと思います。