教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

難解、文科語。たとえば「生きる力」②

「生きる力」の誕生

 

文部省用語として「生きる力」という言葉が登場するのは、1998年12月14日に告示された「学習指導要領」です。

※文部省が文部科学省になるのは2001年1月6日。

 

小学校学習指導要領(平成10年12月)

第1章 総則
第1 教育課程編成の一般方針
1 各学校においては、法令及びこの章以下に示すところに従い、児童の人間として調和のとれた育成を目指し、地域や学校の実態及び児童の心身の発達段階や特性を十分考慮して、適切な教育課程を編成するものとする。
 学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、児童に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で、自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに、基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り個性を生かす教育の充実に努めなければならない。

 

前の稿の「抽象語」「具体語」ということで言えば、「生きる力」は典型的な「抽象語」です。字義の解釈となれば十人十色、何でもありの世界になりそうです。

教育の方針とするには、「生きる力」をはぐくむとはどうすることかを定義することが必要です。

それが、「自ら学び自ら考える力の育成」「基礎的・基本的な内容の確実な定着」「個性を生かす教育の充実」という部分になります。抽象的な表現ながらも、これらが「生きる力」を構成する具体です。

 

1998年学習指導要領における「生きる力」(以下、1998「生きる力」)が最も注力したのが、「自ら学び自ら考える力の育成」です。

その具体的な育成フィールドとして創設されたのが、「総合的な学習の時間」です。「総合」のねらいの1つ目には、「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること」と書かれています。

 

ここまでの整理をします。

1998「生きる力」は、「自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに、基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り個性を生かす教育の充実に努め」てはぐくむことを目指しました。

自ら学び自ら考える力の育成」はその中核を為し、その育成フィールドとして「総合的な学習の時間」が創設されました。

 

 

「生きる力」誕生の背景

抽象語を理解するには、そのもののトリセツ(今の場合は1998年学習指導要領)を読むだけでなく、その言葉が誕生した背景を読むことが必要です。

1998「生きる力」の場合は、中央教育審議会答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」(平成8年7月19日、以下「1996中教審答申」)がそれです。

 

「1996中教審答申」は、目次ページの冒頭に「-子供に[生きる力]と[ゆとり]を-」と記されており、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方」は「生きる力]と[ゆとり]」であると表明しています。

 

そして、「生きる力」について、次のように述べています。

「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」

 

我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと(引用者注:この段落の前に教育の「不易」と「流行」について触れたくだりがあります。文脈からすると、以下に述べることは「不易」にあたるということです)、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。


[生きる力]は、全人的な力であり、幅広く様々な観点から敷衍することができる。
まず、[生きる力]は、これからの変化の激しい社会において、いかなる場面でも他人と協調しつつ自律的に社会生活を送っていくために必要となる、人間としての実践的な力である。それは、紙の上だけの知識でなく、生きていくための「知恵」とも言うべきものであり、我々の文化や社会についての知識を基礎にしつつ、社会生活において実際に生かされるものでなければならない。


[生きる力]は、単に過去の知識を記憶しているということではなく、初めて遭遇するような場面でも、自分で課題を見つけ、自ら考え、自ら問題を解決していく資質や能力である。これからの情報化の進展に伴ってますます必要になる、あふれる情報の中から、自分に本当に必要な情報を選択し、主体的に自らの考えを築き上げていく力などは、この[生きる力]の重要な要素である。


また、[生きる力]は、理性的な判断力や合理的な精神だけでなく、美しいものや自然に感動する心といった柔らかな感性を含むものである。さらに、よい行いに感銘し、間違った行いを憎むといった正義感や公正さを重んじる心、生命を大切にし、人権を尊重する心などの基本的な倫理観や、他人を思いやる心や優しさ、相手の立場になって考えたり、共感することのできる温かい心、ボランティアなど社会貢献の精神も、[生きる力]を形作る大切な柱である。


そして、健康や体力は、こうした資質や能力などを支える基盤として不可欠である。
このような[生きる力]を育てていくことが、これからの教育の在り方の基本的な方向とならなければならない。[生きる力]をはぐくむということは、社会の変化に適切に対応することが求められるとともに、自己実現のための学習ニーズが増大していく、いわゆる生涯学習社会において、特に重要な課題であるということができよう。
また、教育は、子供たちの「自分さがしの旅」を扶ける営みとも言える。教育において一人一人の個性をかけがえのないものとして尊重し、その伸長を図ることの重要性はこれまでも強調されてきたことであるが、今後、[生きる力]をはぐくんでいくためにも、こうした個性尊重の考え方は、一層推し進めていかなければならない。そして、その子ならではの個性的な資質を見いだし、創造性等を積極的に伸ばしていく必要がある。こうした個性尊重の考え方に内在する自立心、自己抑制力、自己責任や自助の精神、さらには、他者との共生、異質なものへの寛容、社会との調和といった理念は、一層重視されなければならない。


今後、国際化がますます進展し、国際的な相互依存関係が一層深まっていく中で、子供たちにしっかりと[生きる力]をはぐくむためには、世界から信頼される、「国際社会に生きる日本人」を育てるということや、過去から連綿として受け継がれてきた我が国の文化や伝統を尊重する態度を育成していくことが、これまでにも増して重要になってくると考えられる。


我々は、[生きる力]をこのようなものとして考えたところである。そして、[生きる力]をはぐくむに当たっては、特に次のような視点が重要と考える。 

 

(a) 学校・家庭・地域社会の連携と家庭や地域社会における教育の充実

(b) 子供たちの生活体験・自然体験等の機会の増加

(c) 生きる力の育成を重視した学校教育の展開

(d) 子供と社会全体の[ゆとり]の確保

……、我々は、[生きる力]をはぐくんでいくために、これらに共通のものとして、子供たちにも、学校にも、家庭や地域社会を含めた社会全体にも[ゆとり]が重要であると考える。今、子供たちは多忙な生活を送っている。そうした中で[生きる力]を培うことは困難である。子供たちに[ゆとり]を持たせることによって、はじめて子供たちは、自分を見つめ、自分で考え、また、家庭や地域社会で様々な生活体験や社会体験を豊富に積み重ねることが可能となるのである。そのためには、子供たちに家庭や地域社会で過ごす時間、すなわち、子供たちが主体的、自発的に使える時間をできるだけ多く確保することが必要である。そうした[ゆとり]の中で子供たちは、心の[ゆとり]を持つことができるようになるのである。


また、子供たちに[生きる力]をはぐくんでいくためには、子供たちに[ゆとり]を持たせるだけでなく、社会全体が時間的にも精神的にも[ゆとり]を持つことが必要である。社会全体が[ゆとり]を持つことにより、はじめて、学校でも家庭や地域社会でも、教員や親や地域の大人たちが[ゆとり]を持って子供たちと過ごし、子供たちの成長を見守り、子供たち一人一人と接することが可能となる。こうした社会全体の[ゆとり]の中で、子供たちに[生きる力]をはぐくんでいくことができるのである。


ここで[ゆとり]と言うとき、もちろん時間的な[ゆとり]を確保することも重要であるが、心の[ゆとり]や考える[ゆとり]を確保することがさらに重要である。こうした心の[ゆとり]を社会全体が持つためには、実は我が国社会全体の意識を改革していくということが必要となってくる。なぜなら、我々が心の[ゆとり]を持つことを妨げているものとして、例えば、他人がしているから自分もするといった横並び的な意識があったり、高等学校や大学で学ぶのは、ある一定の年齢層でなければならないというような過度に年齢を意識した「年齢主義」的な価値観があるのではなかろうか。こうした意味で、我々は、自分の生き方を自ら主体的に決めていくという価値観に立って、真の意味で個を確立していくことが必要だと考えるのである。

 

こうした方向性が出てくる背景には、中教審の現状認識があります。

現状認識は「答申」の冒頭で、「子供たちの生活と家庭や地域社会の現状」として述べています。

その中で「子供たちの生活の現状」として、「ゆとりのない生活」を第一に取り上げ、倫理観の欠如や自立の遅れを指摘し、いじめや不登校の問題を憂慮しています。

 

そうした現状認識のもとで、「生きる力」が生まれたのです。

 

「1996中教審答申」を整理します。

1996中教審生きる力は、次の3つの柱で構成され、それは教育の「不易」に属するものである。

自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力

豊かな人間性

たくましく生きるための健康や体力

[生きる力]をはぐくんでいくために、子供たちにも、学校にも[ゆとり]が重要である。子供たちに[ゆとり]を持たせることによって、はじめて子供たちは、自分を見つめ、自分で考えることが可能となるのである。

 

つまり、[生きる力][ゆとり]は不即不離、一体のものです。

 

 

1996中教審生きる力の「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」は、1998年学習指導要領の「生きる力」で「自ら学び自ら考える力の育成を図る」という文言で生かされました。

そして、具体的な育成フィールドとして創設された「総合的な学習の時間」では、「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること」と、1996中教審生きる力の「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」がそのまま取り入れられました。

 

 

「生きる力」誕生と背景のまとめ

 

・「生きる力」は、ゆとりのない生活、倫理観の欠如や自立の遅れ、いじめや不登校の問題を背景として生まれました。

 

・1996中教審[生きる力]は、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」「豊かな人間性」「たくましく生きるための健康や体力」の3つの柱で構成されます。

 

[生きる力]をはぐくんでいくためには[ゆとり]が重要です。

 

・「生きる力」をはぐくむ具体的なフィールドとして「総合的な学習の時間」が新設されました。