教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

難解、文科語。たとえば「生きる力」③

さらに深掘り、「生きる力」誕生の背景の背景

 

中央教育審議会中教審)というのは、文部科学大臣の諮問機関です。

まず、文科大臣が審議会に対してあるテーマについて諮問します。

諮問の趣旨説明を大臣が行い、文部科学省の官僚が補足説明をします。以後、文科官僚が事務局を担い、会議案件や大部分の討議資料(委員から資料が提出されることもあります)を用意します。

審議会の委員は、文科省が選任します。つまり、委員の人選は、諮問する側に一任されています。そこに恣意的なものがあっても、何ら不思議ではありません。

審議会委員は、官僚が用意した骨組みにほぼ沿った形で肉付けする役割を果たします。いわゆるちゃぶ台をひっくり返す事態は、通常はありません。

審議内容は官僚がまとめ、答申の原案を作成します。

最後に委員が答申案について審議し、正式な答申となります。

 

つまり、「生きる力」という言葉そのものをどの段階で意識したかはともかく、「生きる力」(自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てる)が示している方向性は、文部官僚が諮問時に想定していただろうと思われます。

 

与謝野馨文部大臣が中教審に「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」諮問したのは、1995年4月26日です。

諮問文には、「国際化,情報化,科学技術の発展,高齢化,少子化や経済構造の変化」「受験競争の過熱化,いじめや登校拒否の問題」などのキーワードが散りばめられています。

 

現在、この時期の議事録が公開されていません。三重大学の佐藤年明氏が書かれた「『生きる力』論批判ノート」をもとに、審議過程を追ってみたいと思います。

 

1995年9月8日、第 15期中央教育審議会の第1回第1小委員会が開催され、座長選出のあと自由討議が行われています。

末吉裕郎専門委員(社団法人全国子ども会連合会相談役)から「生きる力と知恵」についての提案が出されており、これが第 1小委員会、総会を通じて最初の「生きる力」という語の登場であった。これは小委員会冒頭の有馬朗人会長による小委員会の設置趣旨説明と、辻村文部省総務審議官による配付資料(「総会におけるこれまでの主な意見」を含む)の紹介があった後で、初参加の専門委員 8名が広く今後の教育の在り方について順次意見を述べるという場面で出された個人意見である。議事録には文部省側から提出された資料は(会議での読み上げを除いて)掲載されていないが、末吉の提案からは、それが文部省やそれ以前の審議会総会での議論を受けてのものであるというということは読み取れず、単独の個人意見であったと思われる

                    佐藤年明「『生きる力』論批判ノート」

 

末吉氏には『学習と遊びの中の基礎体力づくり』という著書があり、全国子ども会連合会の事務局長、常務理事、相談役を歴任した人です。発言の「生きる力と知恵」の具体的内容は分かりませんが、活動領域から考えると「自分の持てる力を動員してなんとかする知恵とワザ」といった類いのものではないでしょうか。

ただそれは、「文部省やそれ以前の審議会総会での議論を受けてのものであるというということは読み取れず、単独の個人意見であったと思われる」と、佐藤氏は指摘しています。

 

1995年9月26日、第2回第1小委員会では「今後における教育の在り方及び学校・家庭・地域社会の役割と連携の在り方」について自由討議が行われました。

冒頭に辻村総務審議官がこのテーマに関してそれまでに総会で出された意見を整理して報告したが、その中に「変化の激しい社会の中での「生き方」の指導の重要性」があった。これについて、蓮見音彦委員(東京学芸大学長)から賛同意見が出された。
河野重男座長(東京家政学院大学長)は、「生きる力と知恵」の議論と「生き方」の議論を結びつけながら、最近の学校関係の研究テーマとして「生きる力」が増えてきたと指摘して「生きる力」をクローズアップした。

 

1995年11月6日、第5回第1小委員会。

「これからの学校教育といじめ・登校拒否、心と体の健康の問題」に関するヒアリングを受けての討議の中で、薩日内信一専門委員(東京都渋谷区立大向小学校長)が、子どもが学校生活の行き詰まりを打開、克服できるような「生きる力」をつけなければならないと述べた。

 

1995年12月19日、第8回第1小委員会。

事務局が「これまでの主な意見(総会、第 2小委員会、一日中教審、学校現場視察での意見を含む)と主な論点」を提案した。その中の「1 今後の教育の在り方 (基本的方向)」全 20項目中 14番目に、「これからの社会は、変化の激しい社会であり、変化の激しい社会を生き抜く生きる力が必要」と記載された。審議会総会・委員会内での文部省側からの配付資料に「生きる力」という語が記載されたことを確認できるのはこれが最初である
議論の中では薩日内専門委員が、「どうしてもこれから社会に主体的あるいは創造的に生きていく子供たちが持つべきカ、生きる力、そういったものが基礎・基本になるのではないか」と述べている。これは第 15期中央教育審議会の議論以前に「生きる力」の語を用いた最初の公的政策文書と思われる『小学校教育課程一般指導資料 新しい学力観に立つ教育課程の創造と展開』(1993年)の論調と類似している。つまり、学力の「基礎・基本」として「生きる力」を位置づけているのである。

 

1996年1月31日、第10回第1小委員会。
事務局から、第一委員会の報告書である「今後の教育の在り方及び学校・家庭・地域社会の役割と連携の在り方について」の「まとめ構成案」と「まとめ骨子案」が提案された。「まとめ骨子案」では、副題(子供に〔生きる力〕と〔ゆとり〕を)に始まり、「1.今後の教育の在り方」に 3箇所、「2.これからの学校の在り方」に 2箇所、「生きる力」の語が登場する。
河野座長も述べるように、「生きる力」は、報告案の「全体を貫くキャッチフレーズ」としての位置を占めるに到った

 

ただ、この時点では「生きる力」の内容が共有されていません。

その後の議論においても捉え方は委員によりさまざまで、反対意見も絶えませんでした。(第16回第1小委員会までの詳細は割愛します)

 

1996年5月24日に第192回中教審総会が開かれます。

河野第 1小委員会座長による第 1小委員会の審議状況報告の中で、「『審議のまとめ』の総会への報告の骨子」が読み上げられた。
河野は「生きる力」に「二つの大きな視点」があるとする。「第 1には、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」であり、これは「いわば、これは新しい知的な力」である。第 2は、「自らを律しつつ、他人と協調し、他人を尽いやる心や、正義感や公正さ、さらに感動する心など、またボランティア精神といった社会貢献の心、そういった豊かな人間性とたくましく生きるための健康や体力」である。この「生きる力」の二側面的構成は、1996中教審答申の最終文面では必ずしも明確ではない。

 

ここにおいて、「生きる力」とは「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」であるというフレーズが登場します。

しかし、なぜそうなったのかということは、佐藤氏の詳細な検証を見ても分からず終いでした。結局は、文部官僚が作文したということなのでしょう。

 

 

私が注目しているのは、経済界の動きです。

 

1995年5月、日経連(日本経営者団体連盟)が「新時代の『日本的経営』」を発表します。

そこには、製造拠点は人件費の安い海外へ移し、国内に残った仕事は3つの階層に分けると書かれています。

(1) 長期能力蓄積型 → エリート社員 

(2 )高度専門能力活用型  →  専門能力のあるスペシャリスト

(3) 雇用柔軟型  →  非正規雇用

つまり、いわゆる終身雇用慣行、年功賃金制度という日本的経営の終焉です。

 

「新時代の『日本的経営』」を発表されたのは、与謝野馨文部大臣が中教審に「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」諮問(1995年4月26日)した直後のことでした。

 

さらに日経連は1996年3月26日、「創造的な人材の育成に向けて」と題する教育改革提言を発表します。これは、「新時代の『日本的経営』」と対をなすものです。

その時期は、中教審第1小委員会で「生きる力」が議論され、文部官僚がまとめ文案を書いていたタイミングです。

 

創造的な人材の育成に向けて
~求められる教育改革と企業の行動~

創造的な人材育成のための『5つの提言、7つのアクション』

 

2.創造的な人材の要件と望ましい人材育成システムの基本的方向

  1. 創造的な人材の要件

今後のわが国社会において求められる、創造的な人材とは、自己の責任の下に、主体的に行動する人材であり、こうした人々の能力を最大限伸ばすことができるような環境を整えていくことが求められる。さらに、独創性を持つ人材をいかに見いだし育成していくかも重要である。

  • 主体性

創造性の根本は、個人の主体性にある。これは、他者の定めた基準に頼らず、自分自身の目標・意思に基づいて、進むべき道を自ら選択して行動することである。

いろいろな問題への対応に際しても、知識として与えられた解決策を機械的に適用するのでなく、既存の知識にとらわれない自由な発想により自力で解決する能力が求められる。

  • 自己責任の観念

その一方、個人の自由で主体的な選択が、野放図とならずに、社会的意義、価値を持つものとするためには、個人一人ひとりが選択に伴う責任を引き受けることが必要である。選択とは、もう一つのものを捨て去ることであり、自己責任とはいくつかの選択肢の中から自分の判断で選びとることである。
個人が主体性と自己責任を確立することは、他者の主体性を尊重する社会性の涵養や、社会規範・倫理に関する意識を高めることにもつながる。

  • 独創性

それぞれの人材が持っている創造性を引き出すことに併せて、科学・技術や、芸術・文化などさまざまな分野で世界をリードできる高い独創性をもった人材を発掘、育成していくことも重要である。
各界で真に独創的で卓越した人材たりうるか否かは、潜在的な素質や才能に左右される面も大きいものと考えられる。そこで、このようなとくに優れた素質や才能を持った人材を早期に見出し、これを集中的に育成していくことも、今後の課題として求められる。

 

3.教育界などへの期待~教育改革の推進


創造的な人材育成のため、教育界・行政・家庭においては、

  • 教育機関の多様化、オープン化による多様な選択機会の確立、
  • 大学入試の改革、
  • 大学教育の充実、
  • 思考力と体験を重視した学校教育の推進
  • ゆとりある教育環境の実現
  • 優れた素質・才能を伸ばすための教育の試み、
  • 家庭の教育力の回復、
  • 子供に社会体験をさせる地域教育

 など、一層の改革に取り組むことを期待したい。


 

 

 

1.思考力と体験を重視した学校教育の推進

 

 1.考える力の涵養


自分で目標・課題を設定し、主体的に行動することのできる人間を育てていくために、初等・中等教育では、思考力と体験を重視した授業を行う必要がある。

•子供が自らの人格を形成し、主体的に人生を生きていくために必要となる知識や知恵、すなわち基礎・基本の教育を徹底するとともに、自ら考え、かつ、それを発表できる力を養う。


2.そのために、子供に一方向的に知識を与えるだけではなく、討論や、自由研究、フィールドワークなど、思考力と体験を重視した授業を取り入れる。
とくに、与えられた問題に対する解答を絶対のものと決めつけず、物事には多様な解答方法があることを教える。


3.身近な生活体験や活動を通して、社会や経済の仕組みを教え、子供に職業観を育てる。生きた経済社会の実情や仕組みを正しく理解させ、適正な職業観を育てるには、初等・中等教育など、人生の早い段階から取り組むことが望ましい。

 

※「創造的な人材の育成に向けて」の詳細は、「アクティブ・ラーニングに至る道③ 生きる力・総合学習」(2020.3.25)を参照ください。

 

 

 

1995年12月12日に第189回中教審総会が開催され、「今後の教育の在り方等について」ヒアリング及び討議が行われました。

ヒヤリングは11団体から行われ、日経連(日本経営者団体連盟)もその1つです。

この時に日経連が提出した文書の内容は不明ですが、「今後の教育の在り方等について」と「一次答申」の見事なまでの理念・文言の一致に、関係性を求めるのは自然なことだと思います。

さらに、非公式な調整ともなれば、知るよしもありません。

 

検証できていないことゆえ断定はしません。

しかし、

「生きる力」の背景に、経済界が求める新時代の「日本的経営」を実現するための「創造的な人材育成」プランがあったと考えられます。

少なくとも私自身は、創造的な人材育成のための『5つの提言、7つのアクション』」に掲げられた他の項目から類推して、そう確信しています。