教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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日本語探訪(その37) 故事成語「朝三暮四」

小学校3・4年生の教科書に登場する故事成語の第11回は「朝三暮四」です。

 

 

朝三暮四

 

「朝三暮四」の読み方

 ちょうさんぼし

 

「朝三暮四」の意味

①目前の違いにばかりこだわって、同じ結果となるのに気がつかないこと。朝四暮三。
②口先でうまく人をだますこと。
③生計。くらし。「―の資たすけ」

                                (広辞苑

 

「朝三暮四」の使い方

「しかも(争議の調停案の)第三項は、別途協議を進めよとあるが、如何なる別途協議の方法があるのか、朝三暮四、同じことである」(高橋和巳『我が心は石にあらず』1964~66)

 

「 古来、政治家の朝三暮四的スリカエの方法には、自分たちにとってあまり触れられたくない事があると、その週の別の事件を大きくみせてそれに民衆の関心をそらすというやり方がある」(遠藤周作『勇気ある言葉』1976)

 

「 “進歩”だろうと“保守”だろうと、根源的な思考ができない限り、朝三暮四に怒り、朝四暮三に喜ぶサルと同じなのだ」(呉智英『サルの正義』1993)

 

「朝三暮四」の語源・由来

「朝三暮四」の出典は、『荘子』の「斉物論」と『列子』の「黄帝篇」です。

 

荘子』「斉物論」

勞神明為一、而不知其同也、謂之朝三。
何謂朝三?
狙公賦?、曰
朝三而暮四。」
衆狙皆怒。
曰「然則朝四而暮三。」
衆狙皆悦。
名實未虧、而喜怒為用、亦因是也。
是以聖人和之以是非、而休乎天鈞、是之謂兩行。

 

(書き下し文)

神明(しんめい)を労して一(いつ)と為(な)さんとし、
而(しか)も其の同じきを知らず。
之を朝三(ちょうさん)と謂(い)う。
何をか朝三と謂うや。
曰く、狙公(そこう)は?(とち)を賦(わか)ちて曰く
「朝に三にして莫(くれ)は四にせん」と。
衆狙(しゅうそ)皆怒る。
曰く「然(しか)らば則(すなわ)ち、朝は四にして莫に三にせん」と。
衆狙、皆悦(よろこ)ぶ。
名実(めいじつ)未だ虧(か)けざるに、而も喜怒は用を為す。亦(また)是に因(よ)ればなり。
是(ここ)を以て聖人は、之を和するに是非(ぜひ)を以てし、天鈞(てんきん)に休(いこ)う。是を両行(りょうこう)と謂う。

 

(口語訳)

精神を議論や分別に使い果たし、本質の一たることを見抜けない。
これを「朝三」という。
なぜ「朝三」というのだろう?
それには、こんな話がある。
猿回しの男が猿たちの前で「朝にはトチの実を三つ、夕方にはトチの実を四つあげよう」と言ったところ、猿たちは怒り出した。
そこで猿回しの男は猿たちに「ならば、朝は四つ、夕方には3つでどうだ?」というと猿たちは喜んだ。
数字と内容をもてあそび、猿回しの男は猿たちの喜怒を利用してる。これは、猿の本性を見抜いてそうするのである。
さればこそ、聖人と言われる人は、事物に囚われず、是非の調和につとめ、自然の成り行きに任せるが、これを両行という。

 

列子』「黄帝篇」

宋有狙公者。
愛狙、養之成群。
能解狙之意、狙亦得公之心。
損其家口、充狙之欲。
俄而匱焉。
将限其食。
恐衆狙之不馴於己也、先誑之曰、
与若芧、朝三而暮四、足乎。
衆狙皆起而怒。
俄而曰、
与若芧、朝四而暮三、足乎。
衆狙皆伏而喜。

 

(書き下し文)

宋(そう)に狙公(そこう)なる者有り。
狙(そ)を愛し之(これ)を養いて群を成す。
能(よ)く狙(そ)の意を解し、狙も亦(また)公(こう)の心を得たり。
其(そ)の家口(かこう)を損(そん)して、狙(そ)の欲を充たせり。
俄(にわ)かにして匱(とぼ)し。
将(まさ)に其(そ)の食(しょく)を限らんとす。
衆狙(しゅうそ)の己(おのれ)に馴(な)れざらんことを恐るるや、先(ま)ず之(これ)を誑(あざむ)きて曰(いわ)く、
若(なんじ)に芧(とち)を与うるに、朝に三にして暮(くれ)に四にせん、足るか、と。
衆狙(しゅうそ)皆(みな)起(た)ちて怒(いか)る。
俄(にわ)かにして曰(いわ)く、若(なんじ)に芧(とち)を与うるに、朝に四にして暮(くれ)に三にせん、足るか、と。
衆狙(しゅうそ)皆(みな)伏(ふ)して喜ぶ。

 

(口語訳)

宋に狙公という者がいた。
猿を愛し、これ養っており、その数は群れをなすほどだった。
猿の気持ちを理解することができ、猿もまた彼の心をつかんでいた。
自分の家族の食料を減らして、猿の食欲を満たしてやっていた。
ところが急に貧しくなってしまった。
そこで猿のエサを減らそうとした。
エサを減らすことで猿たちが自分になつかなくなるのではと心配たのか、初めにこれをだまして言うことには、
「お前たちにどんぐりを与えるのを、朝に3つ夕方に4つにしようと思うが、足りるか。」と。
すると、猿は皆立ちあがって怒った。
そこで彼が急に言うことには、
「お前たちにどんぐりを与えるのを、朝に4つ夕方に3つにしようと思うが、足りるか。」と。
猿たちは皆ひれ伏して喜んだ。

 

※どちらも同じ逸話ですが、『荘子』の方は本質は同じなのに言葉によって感情が変わる例として使われており、『列子』の話の眼目は、言葉に踊らされて騙す、あるいは騙されるというところにあります。

 

「朝三暮四」の蘊蓄

「朝○暮○」つながりの「朝令暮改

朝令暮改」とは、「朝に政令を下して夕方それを改めかえること。命令や方針がたえず改められてあてにならないこと。朝改暮変。」(広辞苑)です。

同義語には、「朝改暮変」「朝出暮改」「朝立暮廃」があります。

 

朝令暮改」の出典は、『漢書』の「食貨志(しょっかし)」です。

 

勤苦如此、尚復水旱之災、急政暴賦、賦斂不時、朝令而暮改

 

(書き下し)
勤苦此(かく)の如くなるに、尚(な)ほ復(ま)た水旱(すいかん)の災(わざはひ)あり、急政暴賦(ふ)、賦斂(ふれん)時ならず、朝(あした)に令して而(しか)も暮に改む。

 

(口語訳)
(農民たちの生活は)このように苦しいものであるうえに、水害や干害にも見舞われ、必要以上の租税を臨時に取り立てられ、朝出された法令が、夜には改められているといった有様です。