教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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日本語探訪(その38) 故事成語「背水の陣」

小学校3・4年生の教科書に登場する故事成語の第12回は「背水の陣」です。

 

 

背水の陣

 

「背水の陣」の読み方

はいすいのじん 

 

「背水の陣」の意味

一歩も退くことのできない絶体絶命の立場。失敗すれば再起はできないことを覚悟して全力を尽くして事に当たること。(広辞苑

 

「背水の陣」の使い方

上陸を完了するとただちに、軍船ことごとくを元就が本土に回送させ、いわゆる背水の陣を布しいたのは、「勝たずば帰らじ」との覚悟を、さらにはっきり、全軍に形で示したわけだろう。(杉本苑子『決断のとき』) 

 

「背水の陣」の語源・由来

「背水の陣」の出典は、司馬遷史記』の「淮陰侯(わいいんこう)列伝」です。(漢の韓信が趙を攻めた時、わざと川を背にして陣どり、味方に決死の覚悟をさせ、大いに敵を破った故事)

 

未至井陘口三十里止舎。
夜半伝発、選軽騎二千人、人持一赤幟、従間道萆山而望趙軍。
誡曰、
「趙見我走、必空壁逐我。
若疾入趙壁、抜趙幟、立漢赤幟。」
令其裨将伝飧曰、
「今日破趙会食。」
諸将皆莫信、詳応曰、
「諾。」
謂軍吏曰、
「趙已先拠便地為壁。
且彼未見吾大将旗鼓、未肯撃前行。
恐吾至阻険而還。」
信乃使万人先行、出背水陳
趙軍望見而大笑。
平旦、信建大将之旗鼓、鼓行出井陘口。
趙開壁撃之、大戦良久。
於是信・張耳、詳棄鼓旗、走水上軍。
水上軍開入之、復疾戦。
趙果空壁争漢鼓旗、逐韓信・張耳。
韓信・張耳、已入水上軍、軍皆殊死戦、不可敗。
信所出奇兵二千騎、共候趙空壁逐利、則馳入趙壁、皆抜趙旗、立漢赤幟二千。
趙軍已不勝、不能得信等。
欲還-帰壁。
壁皆漢赤幟而大驚、以-為、漢皆已得趙王将矣。
兵遂乱遁走。
趙将雖斬之、不能禁也。
於是漢兵夾撃、大破虜趙軍、斬成安君泜水上、禽趙王歇。


(書き下し文)

未だ井陘(せいけい)の口に至らざること三十里にして止まり舎(やど)す。
夜半に伝発(でんぱつ)し、軽騎(けいき)二千人を選び、人ごとに一赤幟(いちせきし)を持ち、間道より山に萆(かく)れて趙(ちょう)の軍を望ましむ。
誡(いまし)めて曰く、
「趙我が走(に)ぐるを見るや、必ず壁(へき)を空しくして我を逐(お)はん。
若(なんじ)疾(すみ)やかに趙の壁に入り、趙の幟を抜き、漢の赤幟を立てよ。」と。
其の裨将(ひしょう)をして飧(そん)を伝へしめて曰く、
「今日趙を破りて会食せん。」と。
諸将皆信ずる莫(な)けれど、詳(いつは)り応へて曰く、
「諾(だく)。」と。
軍吏に謂(い)ひて曰く、
「趙已(すで)に先(ま)づ便地(べんち)に拠り壁を為(つく)る。
且つ彼未だ吾が大将の旗鼓(きこ)を見ざれば、未だ前の行を撃つことを肯(がへ)んぜざらん。
吾阻険(そけん)に至りて還(かへ)らんことを恐るればなり。」と。
信(しん)乃(すなわ)ち万人をして先行し、出でて水を背にして陳(じん)せしむ。(引用者注:水=川、=陣を敷く)
趙の軍望み見て大いに笑ふ。
平旦、信大将の旗鼓を建て、鼓行(ここう)して井陘(せいけい)の口を出づ。
趙壁を開きて之を撃ち、大いに戦ふこと良(やや)久し。
是に於いて信・張耳、詳(いつは)りて鼓旗を棄て、水の上(ほとり)の軍に走(に)ぐ。
水の上の軍開きて之を入れ、復た疾く戦ふ。
趙果たして壁を空しくして漢の鼓旗を争ひ、韓信・張耳を逐(お)ふ。
韓信・張耳、已に水の上の軍に入り、軍皆死を殊(き)めて戦ひ、敗るべからず。
信の出だす所の奇兵二千騎、共に趙の壁を空しくして利を逐ふを候(うかが)ひ、則ち馳せて趙の壁に入り、皆趙の旗を抜きて、漢の赤幟二千を立つ。
趙軍已に勝たず、信等を得ること能はず。
壁に還帰せんと欲す。
壁皆漢の赤幟にして大いに驚き、以為へらく、漢皆已に趙の王将を得たるならんと。
兵遂に乱れて遁走(とんそう)す。
趙の将之を斬ると雖(いえど)も、禁ずること能(あた)はざるなり。
是に於いて漢の兵夾(はさ)み撃ち、大いに破りて趙軍を虜にし、成安君を泜水(ちすい)の上に斬り、趙王の歇を禽(とりこ)にす。

 

(現代語訳)
まだ井陘の入り口に至る手前三十里のところで宿営しました。
韓信は)夜中に伝令をして、軽騎兵二千人を選んで、どの兵にもひとつ赤いのぼり旗を持たせて、抜け道を通って山に隠れて趙の軍を遠くから伺わせました。
韓信が)兵に戒めて言いました。
「趙の軍は、我々が敗走するのを見たら、必ず砦を空にして我々を追ってくるだろう。
お前たちは素早く趙の砦に入って、趙の旗を抜いて、(かわりに)漢の赤いのぼり旗を立てろ。」と。
韓信は)副将軍に軽い食事を配らせて言いました。
「今日、趙を打ち破って会食することとしよう。」と。
どの将軍も皆(この言葉を)信じる者はいませんでしたが、偽って答えて言いました。
「承知しました。」と。
韓信は)軍吏に伝えて言いました。
「趙はすでに、先に戦いに有利な土地を占拠して砦を築いている。
そのうえ、彼らは我が軍の大将の旗や太鼓を見ていないので、まだ(我々の)先行した軍を攻撃することを良しとしないだろう。
私が険しい所にきて逃げ帰ることを恐れているからである。」と。
そして韓信は、一万の兵を先行させて、(井陘の入り口を)出て、川を背にして陣をしかせた
趙の軍はこれを遠くから伺って多いに笑った。(引用者注:兵法では、川を背に陣取ると負けたときに逃げ道がなくなるのでよくないとされていたが、漢の軍はこれがわかっていない素人であるとあざけり笑った)

夜明け頃に、韓信は大将ののぼり旗を立て、太鼓を打ち鳴らしながら井陘の入り口を出ました。
趙の軍は砦を開放してこれを迎撃し、激しく戦ってしばらく時間がたちました。
ここで韓信と張耳は、負けたふりをして旗や太鼓を捨てて、川岸に陣取った軍へと逃げました。
川岸の軍は陣を開いてこれ(韓信・張耳ら)を迎え入れて、また激しく戦いました。
趙軍は思ったとおり砦を空にして漢軍の旗と太鼓を争奪し、韓信と張耳を追ってきました。
韓信と張耳はすでに川岸の軍に入り、(漢)軍は皆死を覚悟して戦い、打ち破ることができないでいます。
韓信が先行させた兵二千騎は、そろって趙軍が砦を空にして戦利品を追い求めているのをうかがって、馬を走らせて趙軍の砦に入り、趙軍の旗をすべて抜いて、漢の赤いのぼり旗二千枚を立てました。
趙軍はすでに勝つことはできず、韓信らを捉えることができません。
趙軍は(砦に)帰還しようとしました。
(趙軍は)砦が漢の赤いのぼり旗ばかりだったので大変驚いて、(そこで)漢軍がすでに趙軍の王や将軍を捉えてしまったと思ったのです。
(趙軍の)兵はとうとう乱れて逃げ出しました。
趙の将軍はこれ(逃走する者)を斬ったのですが、(逃げることを)禁ずることはできませんでした。
こうして漢の兵士たちは(趙軍を)挟み撃ちにし、大いに打ち破って趙軍を捕虜とし、成安君を泜水のほとりで斬首して、趙王の歇を捕虜にしたのです。

 

「背水の陣」の蘊蓄

「背水の陣」の類義語

井を塞ぎ竈を平らぐ(いをふさぎかまどをたいらぐ)
糧を捨てて船を沈む
釜を破り船を沈む
川を渡り船を焼く
船を沈め釜を破る