教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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日本語探訪(その133) 故事成語「百発百中」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第55回は「百発百中」です。

 

百発百中

 

「百発百中」の読み方

ひゃっぱつひゃくちゅう

 

「百発百中」の意味

①矢や弾丸が放つごとにすべて命中すること。
②転じて、計画・考案・予想などの、すべて適当で時宜にあたること。(広辞苑

 

「百発百中」の使い方

百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人だそうである。(中島敦名人伝」1942年)
 

「百発百中」の語源・由来

「百発百中」の出典は、『戦国策』と『史記』です。

 

蘇厲(それい)が周王に、白起(はっき)の攻撃を阻止する対策を講じるべきであることを言上した際に持ち出したのが弓の名人養由基(ようゆうき)の故事です。

 

蘇厲謂周君曰、敗韓魏殺犀武、攻趙取犀武藺離石祁者皆白起。
是攻用兵、又有天命也。
今攻梁、梁必破破周危。
君不若止之。
謂白起曰、楚有養由基者、善射。
去柳葉者、百步而射之百發百中
左右皆曰、善。
有一人過曰、善射、可敎医也矣。
養由基曰、人皆善、子乃曰可敎射。
子何不代我射之也。
客曰、我不能敎子支左屈右。
夫射柳葉者、百發百中、而不己善息、少焉氣力倦、弓撥矢鉤。

 

【読み下し文】
蘇厲(それい)周君(しゅうくん)に謂(い)って曰(い)はく、韓(かん)魏(ぎ)を敗(やぶ)り犀武(さいぶ)を殺(ころ)し、趙(ちょう)を攻(せ)めて藺(りん)・離石(りせき)・祁(き)を取(と)りしは皆(みな)白起(はくき)なり。
是(これ)を攻(たくみ)に兵(へい)を用(もち)いて、又(ま)た天命(てんめい)有(あ)りなり。
今(いま)梁(りょう)を攻(せ)む。梁(りょう)必(かなら)ず破(やぶ)れん。破(やぶ)れば即(すなわ)ち周(しゅう)危(あや)うからん。
君(きみ)之(これ)を止(や)めしめんに若(し)かず。
白起(はくき)に謂(い)って曰(い)へ、楚(そ)に養由基(ようゆうき)といふ者(もの)有(あ)り。射(しゃ)を善(よ)くし、
柳葉(りょうよう)を去(さ)ること百步(ひゃっぽ)にして之(これ)を射(い)、百發百中(ひゃっぱつひゃくちゅう)す
左右(さゆう)皆(みな)善(よ)し、と曰(い)ふ。
一人(いちにん)有(あ)り、過(よぎ)りて曰(い)はく、善(よ)く射(い)る、射(しゃ)を教(おしう)ふ可(べ)しなり、と。
養由基(ようゆうき)曰(い)はく、人(ひと)皆(みな)善(よ)しとす。子(し)乃(すなわ)ち射(しゃ)を教(おし)ふべしなりと曰(い)ふ。
子(し)何(なん)ぞ我(われ)に代(か)はって之(これ)を射(い)ざるや、と。
客(かく)曰(い)はく、我(われ)子(し)に左(ひだり)を支(ささ)へ右(みぎ)に屈(かが)むることを教(おし)ふることを能(あた)わず。
夫(そ)れ柳葉(りょうよう)を射(い)る者(もの)、百発百中(ひゃっぱつひゃくちゅう)するも、而(しか)も善(ぜん)を以(もっ)て息(いき)はずんば、少焉(しばら)くにして氣力きりょく)倦(う)み、弓(ゆみ)撥(そ)り拘(かが)むらん。

 

【現代語訳】

蘇厲(それい)が周君(しゅうくん)に言(い)った。「韓(かん)と魏(ぎ)を打(う)ち破(やぶ)り、魏(ぎ)の将(しょう)犀武(さいぶ)を殺(ころ)し、趙(ちょう)を攻(せ)めて藺(りん)・離石(りせき)・祁(き)の地(ち)を取(と)ったのは、みな秦(しん)の将(しょう)白起(はくき)です。
まったく用兵(ようへい)をの妙(みょう)を尽(つ)くしたものですが、そのうえに天(てん)の助(たす)けであってのことでございます。
今(いま)その白起(はくき)が魏(ぎ)の都(みやこ)の梁(りょう)を攻(せ)めております。梁(りょう)はきっと敗(やぶ)れましょう。梁(りょう)が敗(やぶ)れば、周(しゅう)は危険(きけん)です。
君(きみ)には、これをやめさせることが上策(じょうさく)です。
それで、白起(はくき)におっしゃることです。『楚(そ)に養由基(ようゆうき)という者(もの)がおり、弓(ゆみ)の名人(めいじん)でした。
百歩(ひゃっぽ)の距(きょり)から、あの細(ほそ)い柳葉(やなぎば)を的(まと)にして射(い)て、百発百中(ひゃっぱつひゃくちゅう)いたしました
周(まわ)りの人(ひと)たちがみな、「うまいものだ。」と言(い)った。
そこへ、通(とお)りすがりの人が来(き)て、「なかなかできる。これなら弓術(ゆみじゅつ)が教(おし)えられるわい。」と申しました。
養由基(ようゆうき)が、皆(みな)さん口(くち)をそろえてうまいと言(い)われるのに、「あなたさんは弓術(ゆみじゅつ)が教(おし)えられるとおっしゃる。
私(わたし)に代(か)はって射(い)てごらんなさい。」、と言(い)いますと、
その旅人(たびびと)が言(い)いますには、「私(わたし)はあなたに左手(ひだりて)を支(ささ)え、右手(みぎ)でかがむる、といった射法(いほう)の極意(ごくい)を教(お)えることはできません。
射い)の心得(こころえ)を申(もう)すならば柳葉(やなぎば)を射(い)て百発百中(ひゃっぱつひゃくちゅう)しても、うまくいるうちにやめないと、しばらくすると、気力(きりょく)は減退(げんたい)するし、弓(ゆみ)は反(そ)り返(かえ)り矢(や)じりは丸(まる)くなってくる。

「百発百中」の蘊蓄

「百発百中」の類義語

一発必中(いっぱつひっちゅう)
打つ弾が必ず目標に命中し、外れないこと。