教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

日本語探訪(その105) 故事成語「完璧」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第29回は「完璧」です。

 

完璧

 

「完璧」の読み方

かんぺき 

 

「完璧」の意味

欠点がなく、すぐれてよいこと。完全無欠。(広辞苑

 

「完璧」の使い方

その言葉は全く意味不明だった。日本語を完璧に話せるはずの父でさえ、一言も理解できなかった。(島田雅彦『彗星の住人』2000年)
 

「完璧」の語源・由来

「完璧」の由来は、『史記』「廉頗(れんぱ)・藺相如(りんしょうじょ)列伝」に出てくる中国の戦国時代の出来事で、「和氏(かし)の璧(へき)」と呼ばれる趙の国の宝物にまつわる故事です。 

「中国語スクリプト」から引きます。

「完璧」の故事
完璧の由来となった物語の時代は中国の戦国時代です。中国の戦国時代と言えば紀元前403年から紀元前221年まで。秦の始皇帝が中国を統一することで戦国時代は終わりを告げます。

場所は趙国。戦国七雄の一つでしたが最後は秦に滅ぼされてしまいます。この趙国の王がある時「和氏(かし)の璧(へき)」と呼ばれるすばらしい玉(ぎょく)を手に入れます。「玉」というのは半透明の薄い石のことで装飾品です。璧も玉の一種ですがこちらはドーナツのような形をしています。

趙の王が和氏の璧を手に入れたという噂を聞きつけ、秦の王はそれが欲しくてしかたがなくなります。そこでその玉を譲ってくれないかと趙王に頼みます。代わりに「15の城」をやろうと言うのです。この「城」は日本のような城ではありません。町のことです。城壁で囲まれた町を15もくれると言うのです。この玉、よほど魅力があったのでしょう。

趙王は悩みました。趙と秦を比べれば趙は小国、秦は大国です。うっかり断れば攻め滅ぼされるかもしれません。といって玉を渡してしまえば、町を15もくれるなんていう話は反故(ほご)にされるかもしれません。そこで王は大将軍の廉頗やそのほか多くの大臣と相談をしました。しかしなかなか結論が出ません。誰を使者にするかさえ決まりません。すると一人の大臣が「うちの食客にすごい男がいるのですが、この男をやるのはどうでしょうか?」と言い出しました。食客というのは居候(いそうろう)、つまり他人のうちに寄食してぶらぶらしている人間のことです。日本では軽蔑の的となりますが、昔の中国では地位や勢力のある人の家にはこういう男がごろごろいました。ふだんはただ飯を食べさせてもらっているのですが、いざという時には知恵やら力などを出して主人を助けるのです。

この食客の名前を藺相如と言います。昔この食客の主である大臣が何かミスをやらかして趙国から燕国に逃げようとした時この食客に止められます。「あなた様は燕王があなたに優しいから頼っていくとおっしゃるが、なぜ燕王があなたに優しいか?あなたが好きだからか?まさか!それは燕より趙の方が強大で、その趙の王にあなたが可愛がられているからです。その趙王を裏切るあなたなど燕王にとって一文の価値もありません。頼っていけばすぐ縛り上げられそのまま趙に送り返されることでしょう。ここは趙王にひたすら詫びを入れることです」こう諄々と説得され、大臣は趙王に詫びて赦してもらいます。藺相如、なるほどデキル男です。人間心理を読みぬいていますね。二千年以上も前の話です。人間心理はほとんど変わっていないのですね。

さて趙王は藺相如に会うことにしました。この男の話を聞くと噂にたがわぬ切れ者。「私にお任せいただければ、秦王が約束を違えた時にはあの玉、傷一つ付けず大王様の元にお戻しいたします」とキッパリ言ってのけます。こうして趙王は藺相如に和氏璧を持たせて秦に送り込みました。

ところがこの秦王、やっぱり狙いはただで玉を手に入れること。町を15もやるなんて口先だけの嘘でした。藺相如はそこを見抜きます。そこでいったん渡した玉を「この玉には少々傷がついておりまして、そこをお見せしたいと思いますのでちょっと貸してください」と偽って自分の手に戻すとやにわに宮殿の柱に向かい、それを背に秦王をにらみつけます。「ええい、この無礼千万な秦王め、嘘八百を言いやがって、ただで和氏の璧を手にいれようたってそうは問屋がおろすか!わしを殺す気か?やるならやってみろ。この玉もろとも柱にぶつかってド頭も玉もこなごなに砕いて見せるわ!」と激怒して叫びます。この時、藺相如の髪の毛は怒りのあまり逆立ち、帽子をかぶっているかのようだったと言います。この様が後に「怒髪天を衝く」という故事成語になりました。

この気迫に秦王はびっくり仰天。玉を粉々にされないよう藺相如の指示に従うふりをします。このすきに藺相如は玉を家来に持たせて趙に戻してしまいました。こうして玉は趙王に約束した通り、一点の傷もなく元のままの美しい姿で趙王の手に戻りました。

この物語から中国語では「完璧帰趙」(元のままの璧が趙に帰る)と言えば、「壊すことなく元の姿のまま持ち主に返すこと」という意味を表すようになったのです。

ところでその後藺相如はどうなったのでしょうか?

藺相如は無事生き延びました。殺してしまいましょうという臣下の声に対し秦王は「いやいや今更藺相如を殺しても玉は返ってこない。それよりここは趙に恩を売っておこう」と彼を帰すことにするのです。藺相如は帰国したのちその勇気と智謀ゆえに大出世を果たしました。

この物語から中国語では「完璧帰趙」(元のままの璧が趙に帰る)と言えば、「壊すことなく元の姿のまま持ち主に返すこと」という意味を表すようになったのです。

 

於是、王召見、問藺相如曰、「秦王、十五城請易寡人之璧。可予不。」
相如曰、「秦彊而趙弱。不可不許。」
王曰、「取吾璧、不予我城、奈何。」
相如曰、「秦以城求璧、而趙不許、曲在趙。趙予璧、而秦不予趙城、曲在秦。均之二策、寧許以負秦曲。」
王曰、「誰可使者。」
相如曰、「王必無人、臣願奉璧往使。城入趙而璧留秦。城不入、臣請完璧帰趙。」
趙王於是、遂遣相如奉璧西入秦。
秦王坐章台、見相如。
相如奉璧奏秦王。
秦王大喜、伝以示美人及左右。
左右皆呼万歳。
相如視秦王無意償趙城、乃前曰、「璧有瑕。請指示王。」
王授璧。
相如因持璧、卻立倚柱、怒髪上衝冠。
謂秦王曰、「大王欲得璧、使人発書至趙王。趙王悉召群臣議。皆曰、『秦貪負其彊、以空言求璧。償城恐不可得。』議不欲予秦璧。臣以為、布衣之交、尚不相欺。況大国乎。且以一璧之故、逆彊秦之驩、不可。於是、趙王乃斎戒五日、使臣奉璧、拝-送書於庭。何者、厳大国之威、以修敬也。今臣至、大王見臣列観、礼節甚倨。得璧伝之美人、以戯弄臣。臣観大王無意償趙王城邑。故臣復取璧。大王必欲急臣、臣頭、今与璧俱砕於柱矣。」
相如持其璧、睨柱、欲以撃柱。
【読み下し文】
是(ここ)に於いて、王召見し、藺相如に問ひて曰はく、「秦王、十五城を以て寡人の璧に易(か)へんことを請ふ。予(あた)ふべきや不(いな)や。」と。
相如曰はく、「秦は彊(つよ)くして趙は弱し。許さざるべからず。」と。
王曰はく、「吾が璧を取りて、我に城を予へずんば、奈何(いかん)せん。」と。
相如曰はく、「秦城を以て璧を求むるに、趙許さずんば、曲は趙に在り。趙璧を予ふるに、秦趙に城を予へずんば、曲は秦に在り。之の二策を均(はか)るに、寧(むし)ろ許して以て秦に曲を負はしめん。」と。
王曰はく、「誰か使ひすべき者ぞ。」と。
相如曰はく、「王必ず人無くんば、臣願はくは璧を奉じて往きて使ひせん。城趙に入らば璧は秦に留めん。城入らずんば、臣請ふ璧を完(まっと)うして趙に帰らん。」と。
趙王是に於いて、遂に相如をして璧を奉じて西して秦に入らしむ。
秦王章台に坐して、相如を見る。
相如璧を奉じて秦王に奏(すす)む。
秦王大いに喜び、伝へて以て美人及び左右に示す。
左右皆万歳と呼ぶ。
相如秦王の趙に城を償ふの意無きを視(み)て、乃ち前(すす)みて曰はく、「璧に瑕(きず)有り。請ふ王に指示せん。」と。
王璧を授く。
相如因りて璧を持ち、卻立(きやくりつ)して柱に倚(よ)り、怒髪上りて冠を衝く。
秦王に謂ひて曰はく、「大王璧を得んと欲し、人をして書を発して趙王に至らしむ。
趙王悉(ことごと)く群臣を召して議せしむ。皆曰はく、『秦は貪(たん)にして其の彊きを負(たの)み、空言を以て璧を求む。償城恐らくは得べからざらん。』と。議秦に璧を予ふるを欲せず。臣以為(おもへ)らく、布衣(ふい)の交はりすら、尚ほ相欺かず。況(いは)んや大国をや。且つ一璧の故を以て、彊(きょう)秦の驩(かん)に逆らふは、不可なりと。是に於ひて、趙王乃ち斎戒すること五日、臣をして璧を奉ぜしめ、書を庭に拝送す。何となれば、大国の威を厳れて、以て敬を修むればなり。今臣至るに、大王臣を列観に見て、礼節甚だ倨(おご)る。璧を得るや之を美人に伝へ、以て臣を戯弄(ぎろう)す。臣大王の趙王に城邑を償ふに意無きを観る。故に臣復た璧を取る。大王必ず臣に急にせんと欲せば、臣の頭(こうべ)は、今璧と俱に柱に砕けん。」と。
相如其の璧を持ちて、柱を睨(にら)み、以て柱に撃たんと欲す。
【現代語訳】
そこで趙の王は、(藺相如を)召して出会い、藺相如に尋ねて言うことには、「秦王は、十五の都市と私の壁とを交換することを望んでいる。与えるべきか否か。」と。
藺相如が言うことには、「秦は強国で趙は弱国です。(要求を聞き入れないことは)許されないでしょう。」と。
趙の王が言うことには、「私の壁を取って、十五の都市を私に与えなければ、どうしたらよいだろうか。」と。
藺相如が言いました。「秦は都市と壁との交換を求めていますが、(要請を)受け入れなければ、誤りは趙にあります。趙が壁を与えたのに、秦が趙に都市を与えなければ、誤りは秦にあります。この二つのことを公平に比べてみると、(秦に壁を与えることを)許して、(都市を与えない)秦に誤りを負わせる方がよいでしょう。」と。
王が言いました。「誰を使者とすべきだろうか。」と。
藺相如が言いました。「王様、どうしても使者に適任な者がいなければ、どうか私を壁を捧げ持って(秦に)行く使者としてください。都市が趙に手に入れば、壁を秦に置いてきましょう。都市が手に入らなければ、どうか私に、壁を無傷のままで趙に持ち帰らせていただきたく存じます。」と。
趙の王はそこで、そのまま藺相如に壁を捧げ持って西へと向かわせ秦に入国させたのでした。
秦王は章台に座って藺相如と会いました。
藺相如は壁を捧げ持って秦王に献上しました。
秦王は大変喜んで、(壁が手に入ったことを)伝えて、寵愛する女性や側近たちに見せました。
側近たちはみな万歳と叫びました。
藺相如は、秦王が趙に代償として都市を与える意思がないとみてとり、そこで(秦王の前に)進んで言いました。「壁に傷があります。(傷がある場所を)王様にお教えさせてください。」と。
秦王は(藺相如に)壁を渡しました。
藺相如はそのまま壁を持って、後ろに退いて柱によりかかり(ましたがその姿は怒りで)髪が逆立って冠を突き上げるほどでした。
秦王に言いました。「王様は壁を得ようとお思いになり、使者に書状を書いて趙王に届けさせました。趙王はすべての家臣を招集して(書状の内容について)議論をさせたのです。家臣皆が言いました。『秦はどん欲でその国力が強いのをいいことに、嘘を言って壁を要求している。(その)代償としての都市は、おそらく得ることができないだろう。』と。議論の内容は、壁を秦に与えることを望むものはありませんでした。私は思うのです、庶民同士ですら、相手を欺くことはありません。まして大国ならばなおさら(相手を欺くことはしない)でしょうと。加えて壁一つ(を与えないこと)で、強国の秦の友好の気持ちに逆らうことはできません。そこで趙王は、斎戒を五日行い、私に壁を捧げ持たせて、書状を秦の朝廷に届けさせたのです。その理由は、大国の威厳を畏れて、敬意を払うためです。いま私が参上してみると、王様は(正式な使者である)私と(正式な客間ではなく)ありきたりな建物でお会いになり、その礼節は大変おごっていらっしゃいます。壁を手にするやいなや、これを愛人に伝えて、私を愚弄されました。(これによって)私は、王様が趙王に代償として都市をお与えになる意思がないとみました。それゆえに再び壁を取り戻したのです。王様がどうしても私に危害をくわえようとお思いならば、私の頭は、壁とともに柱(に打ち付けて)で粉々になるでしょう。」と。
藺相如は壁を持って、柱をにらみ、今にも柱に打ち付けようとしました。 

 

「完璧」の蘊蓄

「完璧」=「perfect」

perfect」…完全であること。完璧(かんぺき)であること。また、そのさま。

「perfect」の語源は、「完全に(per-)作られた(fectus)」。

完璧なデザート

「完璧なデザート」とはなんでしょう。

答えは、「パフェ」です。

なぜ、「パフェ」は「完璧なデザート」なの?

「パフェ」の語源は、フランス語の「パルフェ(Parfait)」です。「パルフェ(parfait)」は、フランス語ではパーフェクト、完璧という意味の言葉です。元々は、フルコースの後にだされた完成度の高いデザートであったようです。
ちなみに、よく似たものにサンデーがあります。こちらはアメリカが発祥のようです。諸説ありますが、元々は安息日(日曜日)に食べたことに名前の由来があり、日曜日にクリームソーダを売ることを禁じられ、その変わりに食べられたスイーツのようです。