教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

森と湖と実りの大地から ~北海道キャンプ旅行の記録~ ⑦

北海道キャンプ旅行 出発から8日目

1991年8月1日(木)

 
 朝7時30分ころに民宿を出て、知床五湖へ向かう。五湖めぐりは早朝に限る。観光バスが乗り込んでくれば、景観が半減する。それに何よりも朝は空気が澄んでいて知床の山並みがくっきりと湖面に影を映す。加えて空気がおいしい。俗化されない自然がここにはある。羅臼岳まではっきりと見えているとは幸運なことだ。写真を撮りながらゆっくりと1周していると、早くも羅臼岳にガスがかかり始めた。

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知床五湖と知床連山①

半島の先に近い(五胡から見ると左側)の山々

黄山(いおうざん)標高1562m

知円別岳(ちえんべつだけ)標高1544m

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知床五湖と知床連山②

①の写真の右に見える山々

サシルイ岳 1564m

三ツ峰 1509m

羅臼岳(らうすだけ)標高1661m

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知床五湖と知床連山③

②の写真のさらに右に見える山々

天頂山(てんちょうざん)標高1,046m

西別岳(ちにしべつだけ)標高1,317m

※(補足)知床五湖をめぐる環境は大きく変わりました。ヒグマです。

1991年当時も、五胡の入り口にヒグマ注意の看板はありました。しかし、注意喚起程度で自由に散策できるレベルだったのだと思います。

2011年からは高架木道を利用して一湖まで行くのが一般的で、夏季に散策路を単独で歩くことは制限されています。

※(補足)羅臼は、アイヌ語の「ら+うシ+イ」(魚の肝臓+群在する+所)で、「獣の骨のある所」の意が転化したものです。つまり、羅臼港周辺の地理を言っています。

羅臼岳は、知床半島の最高峰です。この山名は、アイヌ地名の分からない和人が、羅臼川や羅臼集落の名称から「ラウスダケ」と名付けたものです。元々の山名は、「チャチャヌプリ」(「ちゃチャ(じじい)+ヌぷリ(山)」)で、大昔から崇拝して親しんできた山を指します。国後島のチャチャヌプリと同じです。この山の持つ歴史に思いを馳せ、元の山名に戻してもらいたいものです。

 知床自然センターへ立ち寄って、知床横断道路を知床峠へと向かう。残念ながら深い霧に包まれていて視界がまったくきかない。風も強く寒い。峠から羅臼へ下る途中、山並みの彼方に海が見え、そこにかすかに国後の島影が浮かんでいた。熊の湯露天風呂は山の中にポツンと風呂があるといった風情だ。息子が足をつけてみただけでおしまいにした。露天風呂と道を隔てた山中にキャンプ場があり、そこにテントを張る計画でいたが、すでに一杯になっていたし、今一つ気乗りもしなかったのでやめにした。

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知床峠から羅臼へ下る道中にて

山並みの向こうに薄く国後島が見える


 羅臼の町は寂しいというイメージがあった。以前訪れた時が冷たい雨の降る日だったせいかもしれない。町のスーパーで大きなホッケを買った。港の近くのしおかぜ公園でオホーツク老人の像(森繁さん)を見て、マッカウスの洞窟へ行った。ここには天然記念物のヒカリゴケがある。岩の隙間から水しずくの落ちる洞窟の奥をのぞくと、黄色っぽく光るコケが見える。ところでこの海岸沿いの家並みはどれもみな立派だ。「ニシン御殿」と言われた町の姿を見た思いがする。


 羅臼から知床半島の先端に向かって20kmあまり、道路が行き止まりになるあたりに2つの温泉がある。その1つ、セセキ温泉を訪れてみた。道路の左は山、右は海、駐車スペースさえほとんどない海中に温泉が湧いている。わずかなスペースに車を停め、昼食の準備にかかる。炭火をおこしてさっき買ってきたホッケを焼いた。これが実においしい。海没していた温泉が、干潮時が近づくにつれて姿を見せてくる。沖合をコンブ漁の船が通っていく。そのずっと向こうに国後島がはっきりと見えている。食事のあとで海岸へ下り、露天風呂まで行ってみた。囲いの石に腰を下ろしているのは、どうやら地元の漁師さんらしい。あのホッケいくらで買ったのと聞かれたので、580円と答えると、「高いね」と一言。安いと思って買ったんだけどね。さて、娘と息子が膝まで浸かってみたが、ずいぶん熱い。波が入ってきてうめてくれるとちょうどいい湯加減になる。この上なくダイナミックだ。

※(補足)セセキ(瀬石)温泉の「セセキ」はアイヌ語の「せセキ」で、「熱い、温泉」の意を表します。まさに熱い熱い温泉です。

基本的に無料ですが、今も脱衣場があまりせん。「北の国から2002遺言」で、純とトドが入った露天風呂として使われました。

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セセキ温泉

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沖合をコンブ漁の船が行く


 羅臼から標津へ向かう。途中から雨降りになる。野付半島のドライブも諦めるしかない。尾岱沼青少年旅行村で常設テントを借りてキャンプすることにした。