教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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日本語探訪(その106) 故事成語「疑心暗鬼」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第30回は「疑心暗鬼」です。

 

疑心暗鬼

 

「疑心暗鬼」の読み方

ぎしんあんき 

 

「疑心暗鬼」の意味

「疑心暗鬼を生ず」の略。
「疑心暗鬼を生ず」(ぎしんあんきをしょうず)
疑心が起こると、ありもしない恐ろしい鬼の形が見えるように、何でもないことまでも疑わしく恐ろしく感ずる。疑心暗鬼。(広辞苑

 

「疑心暗鬼」の使い方

疑心暗鬼ということがございますね。貴君(あなた)のは、それですよ。妾(わたし)を疑ってかかるから、妾の笑顔までが、夜叉(やしゃ)の面(おもて)か何かのように見えるのでございますよ。(菊池寛真珠夫人1920年
 

「疑心暗鬼」の語源・由来

「疑心暗鬼」の出典は、『列子』「説符」の注解(林希逸『沖虚至徳真経鬳斎口義』)
です。

 

列子』「説符」

人有亡鈇者、意其鄰之子、視其行歩、竊鈇也。

顏色竊鈇也。

言語竊鈇也。

動作態度、無爲而不竊鈇也。

俄而抇其谷、而得其鈇、他日復見其鄰人之子、動作態度、無似竊鈇者。

【読み下し文】

人(ひと)に鈇(ふ)を亡(うしな)える者(もの)有(あ)り、其(そ)の隣(となり)の子(こ)を意(うたが)う。

其(そ)の行歩(こうほ)を視(み)るに、鈇(ふ)を窃(ぬす)めるなり。

顔色(がんしょく)も鈇(ふ)を窃(ぬす)めるなり。

言語(げんご)も鈇(ふ)を窃(ぬす)めるなり。

作動さくどう)・態度(たいど)、為(な)すとして鈇(ふ)を窃(ぬす)まざるは無(な)し。

俄(にわ)かにして其(そ)の谷(たに)を抇(ほ)りて、其(そ)の鈇(ふ)を得(え)たり、他日(たじつ)復(また)其(そ)の隣人(りんじん)の子(こ)を見(み)るに、動作(どうさ)・態度(たいど)、鈇(ふ)を窃(ぬす)めるに似(に)たる者(もの)無(な)し。

【現代語訳】

ある男が斧(おの)をなくしました。男は、隣の息子が盗んだのではないかと疑いました。
歩きかたを見ると、いかにも斧を盗んだように見えます。
顔色も、いかにも斧を盗んだように見えます。
物の言い方も、いかにも斧を盗んだように見えます。
その他の動作・物腰、することは一つとして、斧を盗んだ人のしぐさでないものはありません。しばらくしてから谷間を掘り返したところ、その斧が出て来ました。後日、また隣の息子を見ると、動作や態度に斧を窃(かす)めた人物と疑うような、怪しい点はなくなっていました。

 

ここでは「疑心暗鬼」の言葉は出て来ません。「窃鈇之疑(せっぷのぎ)」が知られています。
 

林希逸(りんきいつ、1193年~1271年)『沖虚至徳真経鬳斎口義』(ちゅうきょしとくしんきょうけんさいくぎ) ……『列子』の「窃鈇之疑」について注釈

此章猶諺言。

諺曰、疑心生暗鬼也。

心有所疑、其人雖不竊鈇、而我以疑心視之、則其件件皆可疑。

【読み下し文】

此(こ)の章(しょう)は猶(な)お諺言(げんげん)のごとし。

諺(ことわざ)に曰(いわ)く、疑心(ぎしん)、暗鬼(あんき)を生(しょう)ず、と。

心(こころ)疑(うたが)う所(ところ)有(あ)れば、其(そ)の人(ひと)鈇(ふ)を窃(ぬす)まずと雖(いえど)も、我(われ)疑心(ぎしん)を以(もっ)て之(これ)を(視)みれば、則(すなわ)ち其(そ)の件件(けんけん)皆(みな)疑(うたが)うべし。

【現代語訳】

この章はことわざのようなものです。

ことわざで「疑心暗鬼を生ず」と言います。

疑う心があれば、たとえその人が斧など盗んでいなくとも、自分が疑う心を持って見ることで、その一々すべてがみな疑わしくなります。

 

「疑心暗鬼」の蘊蓄

「疑心暗鬼」の類義語
呉牛喘月(ごぎゅうぜんげつ)
過度におびえ恐れることのたとえ。また、疑いの心があると、何でもないものにまで恐れや疑いの気持ちをもつたとえ。「呉牛ごぎゅう、月つきに喘あえぐ」と訓読する。


窃鈇之疑(せっぷのぎ)
確かな証拠もないのに疑いをかけること。
疑いの目で人を見ると、その人のすべてが疑わしく見えること。


草木皆兵(そうもくかいへい)
相手の勢いなどに恐れおののくあまり、何でもないものに対しても、自分の敵であるかのように錯覚しておびえること。草や木を見てすべて敵兵と思い、恐れおののく意。


杯中蛇影(はいちゅうのだえい)
ひとたび疑い始めると、何でもないことにも怯おびえ、疑い深くなり、苦しむ結果になるというたとえ。また、病は気から起きるものだからあまり心配しないほうがいいということ。


風声鶴唳(ふうせいかくれい)

おじけづいて、わずかなことにも恐れおののくことのたとえ。「鶴唳風声」ともいう。

 

「疑心暗鬼」の対義語

虚心坦懐(きょしんたんかい)
心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと。また、そうしたさま。「虚心」は心に先入観やわだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れることのできる心の状態。「坦懐」はわだかまりがなく、さっぱりとした心。平静な心境。


光風霽月(こうふうせいげつ)
心がさっぱりと澄み切ってわだかまりがなく、さわやかなことの形容。日の光の中を吹き渡るさわやかな風と、雨上がりの澄み切った空の月の意から。また、世の中がよく治まっていることの形容に用いられることもある。「霽」は晴れる意。


明鏡止水(めいきょうしすい)
邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。「止水」は止まって、静かにたたえている水のこと。