教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

教員免許更新制廃止、そして… ②新たな研修制度

教員免許更新制廃止、そして…

② 新たな研修制度

 

「『令和の日本型学校教育』を担う新たな教師の学びの姿の実現に向けて 審議まとめ(案) 」は言います。

 

「新たな教師の学びの姿」の実現に向けて、教員免許更新制を発展的に解消することを文部科学省において検討することが適当であると考える

 

つまり、教員免許更新制を廃止(実質廃止のものを「解消」と言っていますが)する理由は、さまざまな不都合を解消するのためではなく、「「新たな教師の学びの姿」の実現」のためだと言うのです。

 

「新たな教師の学びの姿」って何でしょう。

 

「『令和の日本型学校教育』を担う新たな教師の学びの姿の実現に向けて 審議まとめ(案) 」に、「Ⅳ.「令和の日本型学校教育」を担う教師の学び」という章があります。

 

そもそも、「令和の日本型学校教育」とは何でしょう。

それは、中央教育審議会が2021年1月26日に出した「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して ~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)」に示されています。

 

「3.2020 年代を通じて実現すべき『令和の日本型学校教育』の姿」の概要を表したのが次の図です。

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まとめて言えば、「目指すべき『令和の日本型学校教育』の姿を『全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現』とする。」ということです。

 

「答申」は、つづいてそれを実現するための「教職員の姿」について述べます。

(2)教職員の姿


○ 教師が技術の発達や新たなニーズなど学校教育を取り巻く環境の変化を前向きに受
け止め,教職生涯を通じて探究心を持ちつつ自律的かつ継続的に新しい知識・技能を学び続け,子供一人一人の学びを最大限に引き出す教師としての役割を果たしている。その際,子供の主体的な学びを支援する伴走者としての能力も備えている。


○ 教員養成,採用,免許制度も含めた方策を通じ,多様な人材の教育界内外からの確保や教師の資質・能力の向上により,質の高い教職員集団が実現されるとともに,教師と,総務・財務等に通じる専門職である事務職員,それぞれの分野や組織運営等に専門性を有する多様な外部人材や専門スタッフ等とがチームとなり,個々の教職員がチームの一員として組織的・協働的に取り組む力を発揮しつつ,校長のリーダーシップの下,家庭や地域社会と連携しながら,共通の学校教育目標に向かって学校が運営されている。


○ さらに,学校における働き方改革の実現や教職の魅力発信,新時代の学びを支える環境整備により,教師が創造的で魅力ある仕事であることが再認識され,教師を目指そうとする者が増加し,教師自身も志気を高め,誇りを持って働くことができている。

 

「答申」の「教職員の姿」に呼応するものが、「審議まとめ(案) 」に「新たな教師の学びの姿」として示されています。項目・見出しを抜粋して紹介します。

 

1.「令和の日本型学校教育」を担う新たな教師の学びの姿 

 

(学び続ける教師) 
・教師はそもそも学び続ける存在であることが強く期待されている
・時代の変化が大きくなる中で常に学び続けなければならない
・主体的に学び続ける教師の姿は、児童生徒にとっても重要なロールモデル

 

(教師の継続的な学びを支える主体的な姿勢) 
・教師の主体的な姿勢
・一人一人の教師が安心して学びに打ち込める環境の構築

 

(個別最適な教師の学び) 
・個別最適な教師の学び

 

(適切な目標設定・現状把握、積極的な「対話」) 
・具体的な目標の達成に向けた体系的・計画的な実施
・適切な目標設定(「将来の姿」)と現状(「現在の姿」)の適切な把握
・任命権者や服務監督権者・学校管理職等と教師の積極的な「対話」

 

(質の高い有意義な学習コンテンツ) 
・明確な到達目標と適切な内容を備えていること
・体系性をもって位置付けられ、レベルも整理されていること
・質の高い学習コンテンツが豊富に提供されていること
・質保証の仕組みが適切に機能していること
・各学習コンテンツをワンストップ的に集約・提供するプラットフォームが存在していること
・教員免許状を保有するものの、教職には就いていない者が学ぶ上で必要な学習コンテンツが存在していること
・知識伝達型の学習コンテンツに留まらない自らの経験や他者から学ぶといった「現場の経験」も含む学びが提供されていること

 

(学びの成果の可視化と組織的共有) 
・学びの成果が可視化され、個人の学ぶ意欲を喚起できていること
・学びの成果が組織において積極的に活用されていること
・教師の学びを全国的な観点から質が保証されたものとして証明する仕組みが構築されていること

 

(デジタル技術の活用)

 

「審議まとめ(案) 」の「Ⅳ.「令和の日本型学校教育」を担う教師の学び」は、「1.「令和の日本型学校教育」を担う新たな教師の学びの姿」を受けて次につづきます。

 

2.「新たな教師の学びの姿」の実現に向けて講ずべき当面の方策


ⅰ)公立学校教師に対する学びの契機と機会の確実な提供(研修受講履歴の記録管理、履歴を活用した受講の奨励の義務づけ) 


(仕組みの概要)

一人ひとりの教師が、客観的に「現在の姿」を自覚するとともに、当該教師が任命権者や服務監督権者・学校管理職等のニーズも踏まえて「将来の姿」を適切に設定することができるようにするためには、①任命権者や服務監督権者・学校管理職等が個々の教師の学びを把握し、教師の研修受講履歴を記録・管理していくこと②教師と任命権者や服務監督権者・学校管理職等が、教員育成指標や、研修受講履歴等を手がかりとして、積極的な対話を行うとともに、任命権者や服務監督権者・学校管理職等が、キャリアアップの段階を適切に踏まえるなど、教師本人のモチベーションとなるような形で、適切な研修を奨励することが必要である

 

教育委員会や管理職が各教師の研修(文科省教育委員会が主催するものを指します。自主的なものは対象外です。)受講履歴を管理し、積極的に対話を行って適切な研修を推奨するーーという構想です。

 

これにはすでに先行事例があります。「教員免許更新制小委員会」の会議において、京都と大分の事例が紹介されていました。今回の構想のひな形です。詳しくはウェブで検索してください。

 

これは教師個々人の内面をも管理するシステムになる、と私は感じています。

管理されてたまるかなどと構えているとどうなるか。「審議まとめ(案) 」のつづきです。

(必ずしも主体性を有しない教師に対する対応)

 
任命権者等は当該履歴を記録管理する過程で、特定の教師が任命権者や服務監督権者・学校管理職等の期待する水準の研修を受けているとは到底認められない場合は、服務監督権者又は学校管理職等の職務命令に基づき研修を受講させることが必要となることもありえる。万が一職務命令に従わないような事例が生じた場合は、地方公務員法第 29 条第1項第2号に規定する懲戒処分の要件、「職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合」に当たり得ることから、事案に応じて、任命権者は適切な人事上又は指導上の措置を講じることが考えられる。

さらに、文部科学省において、任命権者が適切な対応を図ることができるように、ガイドラインを策定し、
 ①上記の研修を受けているとは到底認められない場合の基本的考え方(例:勤務実績等に照らして、研修を受講できる状況であったにもかかわらず、一切の研修を受講していないなど)
 ②そのような者に対しては、個別の研修計画書を作成するとともに、その者が合理的な理由なく従わないと認められる場合は、事案に応じて、職務命令違反による懲戒処分の対象となり得ること
 ③研修受講の職務命令に従わない者が、教育公務員特例法第 25 条の規定により児童等への指導が不適切であると認定された場合には、指導改善研修の対象となること
などを明らかにすることも今後検討するべきである。

 

主体性を有しない教師」の「主体性」とは、「任命権者や服務監督権者・学校管理職等の期待する水準の研修を受けている」ということです。受講内容を決める主体は教師個々ではなく、教育委員会や管理職にあることになります。

教育委員会や管理職が「期待する水準の研修を受けているとは到底認められない」と判断すれば、「職務命令に基づき研修を受講させる」と言います。

職務命令に従わなければ「懲戒処分」「人事上又は指導上の措置」が待っています。

 

教育公務員特例法には、「絶えず研究と修養に努めなければならない」と規定されています。法規定の有無に関わらず、研修の必要性には異存ありません。

しかし、研修履歴の管理は内面の自由を侵しかねないですし、処分をちらつかせての受講義務化は個々の主体性を損なうものです。これでは免許更新制の「発展的解消」措置ではなく、免許更新制の廃止に乗じた「発展的管理強化」措置と言わざるを得ません。

 

現職の先生たちはどう考えているのでしょう。

朝日新聞の「声」蘭に、2つの投書がありました。(氏名はイニシャルにしています)

 

2021.7.21
「教師力」養う機会も失われる
中学校教員 Iさん (栃木県 42)
教員をめざす大学生の投稿 (1日) を読んだ。「子どもたちのために熱心になれる素敵な先生を侮らないでほしい」という声は身に染みた。
一方、文部科学省は教員免許更新制を廃止する方向で検討しているという。 約3万円を自己負担し、計30時間以上の講習を受ける義務はなくなりそうだ。廃止の理由として、8割を超す教員が負担を感じ、講習内容が役に立っていると考える教員も人に1人にとどまると言われている。
一教員として意見を述べたい。 私は費用を自己負担してでも学びたい。大学で講義を受けたことが日頃の教育活動に直結しなかったとしても、「学び」に無駄はない。昨今は教育の在り方が急変し、新しい教科書は情報量が多くて網羅するのに苦労している。 だからこそ学びたい。
たしかに教員の勤務実態は悪化の一途だ。 仕事を家に持ち帰ったり、出退勤時刻を打刻しないで休日出勤したりする状況で、夏休みは部活動の大会や三者懇談、たまった校務の処理などに追われる。 しかし、だからと言って、教員が本気で学び、教師力を養う絶好の機会が失われてよいのか。 悪循環である。

 

2021.9.25

教師には「自主的」研修が必要
高校教員 Mさん (北海道 47)
教員免許更新制廃止を文部科学相が表明した。一方で、一部の報道によると、新たな研修制度では各教員の研修履歴をデータベース化して管理、受講状況が不十分な場合は「人事上の措置」が発動されることもあり得るという。これでは、講義内容が学校で実際に役に立たないなどと、教員たちに不評だった現行制度の本質的問題は解消されないのではないか。そもそも「人格の完成を目指す」教育に携わる教師としての能力は、行政など他者からの指示を受けて身につくものなのだろうか。
教師自ら必要な課題を追究するのが有用な研修である。その最適な方法も、例えば図書館や博物館へ行くのか、専門家の話を聞くのか、自分で実際に現場へ足を運ぶのか、体験してみるのかなど、多様な選択肢から自分で見つけるしかないはずである。
免許更新など指示された「研修」が強化されるのと反比例するように、自主的な研修への参加者は減少傾向にあるという。本当に必要なのは、「やらされる研修」の強化ではなく、子どものお手本となるような、教師たちの自主的な研修である。

 

I氏のように考えるならば、更新制が廃止された後に新たな研修システムが構築されることは大歓迎でしょう。前回の稿で、更新制廃止の理由に「教員免許更新制は、「新たな教師の学びの姿」を実現する上で、阻害要因となると考えざるを得ない」とありました。これは、「時代の変化が大きくなる中で常に学び続けなければならない」のに、10年に1度の更新講習では学びを阻害することになるという意味です。

一方、M氏の意見は私のものと重なります。

I氏は研修の意義や重要性を述べ、M氏は研修のあり方を論じます。両者は、論じる土俵そのものが違います。それも含めて、考え方は各人の自由ですから、いずれも否定はしません。

ただ、「木を見て森を見る」習慣をつけていかないと、ことの本質を見誤りかねないと付言しておきます。

そのあたりのことは次回に…