「日本語探訪(番外)」では、元教員として気になっていることのいくつかを「教育のことば」として取り上げます。
今回は、「手当て」です。
手当て
「手当て」の読み方
てあて
「手当て」の意味
(1)ある物事を予測して用意しておくこと。準備。「資金の―がつく」
(2)病気やけがの処置を施すこと。また、その処置。「病院で―を受ける」「傷口を―する」
(3)労働の報酬として支払われる金銭。「看護人の一か月の―」
(4)基本の賃金のほかに諸費用として支払われる金銭。「単身赴任に―がつく」「家族―」
(5)心付け。祝儀。チップ。「―をはずむ」
(6)犯人・罪人のめしとり。捕縛。(大辞泉)
※この稿で取り上げているのは、(1)および(2)の意味です。
「手当て」の語源・由来
「由来・語源辞典」より
本来、この「手」は仕事をする人、いわゆる人手のこと。室町時代には、何かをするときの要員の意味で用いられ、その要員を配置することを「手当てを置く」のようにいった。
江戸時代になって、労働の報酬、賃金、心付け、もてなしなど意味となり、さらには病気や怪我の処置をいうようになった。
俗説として、患部に手を当てるところからという説があるが、あとからの意味づけとされる。
「語源由来辞典」より
手当ての「手」は、「手が足りない」という際の「人手」のこと。
「当て」は「充当」の意味で、何か事をなすときに人手を当てることから、手当ては「準備」や「処置」の意味で用いられるようになった。
手当ての語源には、病気やけがをした際、患部に手を当てて治療したことからといった俗説が通説となっている。
しかし、この語に「処置」の意味があるから、病気やけがの治療の意味でも用いられるようになったのであり、手を当てる治療法を語源とするのは間違いである。
報酬やチップなど金品の意味で「手当」が用いられるのも、労働などの対価として処置するという意味からで、この意味では江戸後期から使われている。
共通して言えることは、
・「手当て」の語源は、人手を充てることである。
・「手を当てる治療法」が「手当て」の語源というのは俗説である。
ということです。
「手当て」の蘊蓄
「手を当てる治療法」が「手当て」の語源というのは俗説とはいうものの、通説として浸透しているのにはそれなりのわけがあるはずです。
幼い頃からの実体験です。
おでこに手を当て熱を測ってもらったときの手の温もり……
擦り傷に手を当て「いたいの、いたいの、とんでいけー」と言ってもらったときの安心感、安堵感……
肩に手を当て「大丈夫、大丈夫」と言われたときの安息……
「それなりのわけ」を科学した、おもしろい記事を見つけました。
「サワイ健康推進課」という沢井製薬がつくっているページに、桜美林大学リベラルアーツ学群教授・山口創さんの話が紹介されています。
心を癒やし、絆を深める「手当て」の不思議な力!
「手当て」が生み出す‟絆ホルモン”
お腹が痛いときに手で腹部をなでる、不安や緊張を感じるときに手で頬に触れて気持ちを落ち着かせる……。このように何気なく体のどこかに手を当てて、自分自身を癒やしていることは多いもの。あるいは信頼関係を築いている人に手で触れたり、その人からやさしく触れられたりすることでリラックスしたり、幸福感に包まれたりした経験がある人も少なくないことでしょう。
ケガや病気などの処置をする医療行為を「手当て」といいます。言葉の由来は諸説ありますが、私たちが普段から自然に行っている「手を当てる」ことによって得られる癒やし効果が原点という説もあります。
なぜ手で肌や体に触れると痛みが和らいだり、心が穏やかになったりするのでしょうか。その理由の一つとして挙げられるのが「絆ホルモン」「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンの存在です。
オキシトシンは人の脳で合成され、分泌される物質で、主にホルモンや神経伝達物質としての働きがあります。脳から分泌されるオキシトシンの量は、親しい人と触れ合うなどのスキンシップによって増大することがさまざまな研究から分かっています。
愛情がこもった皮膚刺激は安らぎを与え、ストレスを緩和する、人との信頼関係を築く、母子の絆を深めるなど、さまざまな社会的行動と関わっていると考えられています。オキシトシンが「絆ホルモン」「幸せホルモン」と呼ばれるのはこの働きがあるためです。
オキシトシンの分泌を促す触れ合いのコツ
オキシトシンの分泌を促し、癒やし効果を得るためには次の3つのポイントが重要です。1 お互いに触れ合うことが快適だと思える相手とスキンシップを図る
触れたい、触れてもらいたいという気持ちをお互いに共有することが不可欠です。触れたくない、触れてほしくないと思う相手とスキンシップを図ってもオキシトシンの分泌量アップはあまり期待できません。2 自分自身がリラックスした状態で、愛情をもって触れる
オキシトシンには相手の感情と同調する作用があるといわれています。自分自身がリラックスした状態で人に触れることで相手もより安心でき、相手が喜んでくれることで自分もまたハッピーになり、オキシトシンの分泌が促進される効果が期待できます。「面倒くさい」などと思わずに愛情や思いやりをもって触れることで、自分自身を癒やすことにもつながります。なお、相手が緊張や不安を感じていたり、興奮したりしているときにはぎゅっと圧をかけて抱きしめたり、包み込むように手を握ってあげたりすると自律神経の副交感神経が優位になり、心を落ち着かせる効果が高まります。
3 ゆっくりしたスピードで5~10分触れ続ける
英国の神経心理学者らによって行われた研究(※1)で、1秒に5cm前後の速度でなでたときに最も気持ちよく感じるという結果が出ています。触れる速度によって神経線維の反応が違い、1秒に5cm前後のスピードで触れたときに反応する神経線維(C触覚線維)から、脳内の感情に関わる部位である扁桃体や自律神経、ホルモンの調節を司る視床下部など、さまざまな部位にゆっくりした速度で触覚情報が届きます。
このように触れることにより体温を一定に保ったり、食欲を抑制することから肥満を防ぎ血糖を一定に保ったり、ストレスを緩和したりするなどの働きが見られることが分かっています。
(※1)Essick,G.K.et al.Neuroreport Jul 13;10(10):2083-2087.1999.
また、スウェーデンのカロリンスカ研究所で行われた、人間が筆でラットに触れたときのオキシトシンの分泌量についての研究では、触れてすぐの段階ではオキシトシンは分泌されないものの、5分ほど続けると分泌されるようになり、触れるのをやめてからも10分程度は分泌され続けることが分かっています。
家族など人にマッサージをしたりするときはもちろん、セルフマッサージを行うときにもゆっくりしたスピードで5~10分程度続けるのがおすすめです。
(以下略)
語源はともかく、現代の医療においても診察の第一歩は胸に手を当てることから始まります。もっとも当てるのは手そのものでなく、聴診器という道具ですが。
胸に手を当て体の不調を聴き、治癒のための手当てが施されるのです。
「手当て」して「手当て」する
胸に手を当て体の不調を聴き、治癒のための手当てが施される……。まさに、医療は「手当て」して「手当て」することなのです。
しかしそれは、医療に限ったことなのでしょうか。
教育にも同じことが言えるのではないでしょうか。
「『手当て』して『手当て』する」というとき、
『手当て』には、「ある物事を予測して用意しておくこと。準備。」
『手当て』には、「病気やけがの処置を施すこと。また、その処置。」
の含意があります。
『手当て』して
まず、一人ひとりの子どもに手を当てます。
必ずしも物理的接触を伴う必要はありません。40人を集団としてではなく、個々の子どもの困りごとを聴き取りましょう、診(み)取りましょうということです。(医療における聴診器の部分です)
個々の子どもの困りごとは「カルテ」に記録し、可能な限りの「処方箋」を用意します。
『手当て』する
具体的な教育活動においては、その時に最も適していると思われる「処方箋」を選び出し、実践します。
それは、医療の現場で、患者の容態にあわせて取り得る最善の措置を選択し、施されることと同じです。
「『手当て』して『手当て』する」というのは、そうした一連の教育活動を指しています。