「日本語探訪(番外)」では、元教員として気になっていることのいくつかを「教育のことば」として取り上げます。
今回は、「矜持」です。
矜持
「矜持」の読み方
きょうじ
※「きんじ」は慣用読みですが、厳密には誤読です。
「矜持」の意味
自分の能力を信じていだく誇り。自負。プライド。(広辞苑)
「矜持」の使い方
教師としての矜持を胸に仕事に勤しむ。
「矜持」の語源・由来
「WuRK(ワーク)」の記事を引用紹介します。
「矜持」は「矜恃」との混同が由来
「矜持」が「自分の能力に誇りを持つこと」という意味になったのは、「矜恃」と混同されたのが理由です。「矜持」という言葉はもともと「自分をおさえつつしむ」という意味でした。
「矜」は「つつしむ」、「持」は「ただす」という意味があり、「自分をただして、つつしむ」という意味です。一方、「矜恃」は「自分の能力に自信をもつ」という意味です。
この場合の「矜」は「ほこる」、「恃」は「たよる」という意味で、「自分の誇りを頼りにする」=「自分の能力に誇りを持つこと」です。「矜持」と「矜恃」はもともと全く別の意味の語でしたが、読み方が同じ、漢字が似ている、「恃」が常用外漢字などの条件が揃い、混同されて使用されるようになりました。
現在では「矜持」も「矜恃」の意で使うのが正しいとされています。
「矜持」の蘊蓄
「政治家としての矜持」「官僚としての矜持」など、どちらかというと公的な立場にある人、社会的責任の重い人の発言で耳にすることが多い言葉です。
近くは、高級官僚の政治家に対する「忖度」ぶりの中で、政治家としてのあるいは官僚としての「矜持」が問われる場面が多々ありました。
それでは、「教師としての矜持」というのはどうでしょう。
辞書的に解釈すると、「教師としての自分の能力を信じていだく誇り。教師としての自負。教師としてのプライド。」ということになります。
「誇り」「自負」「プライド」という言葉には、どことなく尊大な匂いがします。しかし、これではなんだか違う気がします。もっと抑制したトーンのものでなければならないと、私は思っています。
「WuRK(ワーク)」の記事に、矜持というのは「自分をただして、つつしむ」というのがもともとの意味だとあります。これは、「襟を正す」というのに近い語感かと思います。私には、こちらの方がしっくりきます。
「誇り・自負・プライド」というと、外に向かうエネルギーを感じます。「教師としての矜持」という言葉は、子どもを教え育てる営みに携わる「誇り・自負・プライド」を言い表しています。
一方、「自分をただして、つつしむ」というと、内に向かうエネルギーを感じます。ここでの「教師としての矜持」という言葉は、子どもを教え育てる営みに携わる使命がゆえに「自分をただして、つつしむ」という身の処し方を言い表しています。
一見両者は対立しているように見えますが、そうではありません。
教師として子どもを教え育てる営みに携わる「誇り・自負・プライド」は、その使命がゆえに「自分をただして、つつしむ」という内省に支えられていなければなりません。
別の言い方をすると、子どもを教え育てる営みに携わる使命がゆえに「自分をただして、つつしむ」という身の処し方こそが、教師としての「誇り・自負・プライド」でもあるのです。
とかくブラック職場などと言われている学校ではありますが、「教師としての矜持」にやりがいを覚える先生が増えてくれることを願います。