ちょっとおもしろい(関心を引くという意味です)ニュースがありました。
NHKの報道記事から紹介します。
大阪府議会 ”議員を「先生」と呼ばないで” 特別と勘違い助長
2022年9月28日 17時01分大阪府議会では、長年の慣例により議員に対して使われてきた「先生」という呼び方をやめるよう求めていくことになりました。
長年の慣例により議員に対して使われてきた「先生」という呼び方について、大阪府議会では、先週、森和臣議長らが「議員が特別であるとの勘違いを助長することにつながりかねない」などとして、「先生」という呼称を使わないことを提案しました。
これについて、28日の議会運営委員会で委員会に所属するすべての会派が賛成したことから、議長と副議長が、府議会の議員に対して「先生」と呼び合うことをやめるよう求める文書を出しました。
また、府の職員に対しても「先生」と呼ばないよう求めており、今後は、名前に「議員」や「さん」などを付けて呼ぶことになる見通しです。
さらに、28日の議会運営委員会では、本会議などで議員の名前を呼ぶ際に従来の「君」ではなく、「議員」を付けて呼ぶことも確認しました。
府議会が「議員が特別であるとの勘違いを助長することにつながりかねない」から「先生」という呼称を使わないというのは、非常にユニークな提案です。しかし、指摘は的を射ています。日本の人権教育をリードしてきた大阪からこのニュースが報じられたのは、ある意味納得の出来事です。
ふと、私の古いブログ記事を思い出しました。
同僚を呼ぶ時は「先生」、それとも「さん」
職員室で同僚を呼ぶときは「○○先生」ですか? それとも「○○さん」ですか?
大抵の職場ではお互いを「先生」と呼び合っていて、そのことになんら疑問も違和感も持っていないのでしょうね。
青年教師だったころ、別の職業の人たちと交流する機会がありました。そのとき、たしか郵便局に勤めている人から、職員室はお互いを先生と呼び合う異様な空間だと言われました。そして、働いている者同士の敬称は「さん」であるべきだと指摘されました。
それと同じころ、ある研究大会で学校用務員の男性からこんな発言がありました。
学校では教師も事務員も用務員も子どものために働いている。ところが、教師には「○○先生」、事務員には「事務の先生」と子どもたちに呼ばせているのに、用務員には「○○さん」と呼ばせている。おかしいじゃないか。
男性の発言は、用務員も先生と呼ばせるべきだという問題提起でした。
研究大会のあと、聞き及ぶ範囲では2つの反応がありました。
ある学校では、「○○先生」「事務の先生」「用務員の先生」「給食(調理員)の先生」といった具合に、学校で働く大人をすべて「先生」と呼ばせることになりました。
別の学校では、子どもに直接指導を行う教師を「先生」と呼ばせ、それ以外の間接的に子どもを支えている人たちを「○○さん」と呼ばせることになりました。
呼ばせかた改革は真逆の方向に進んだことになります。もとより正解などありません。
私のいた職場は後者の道を選びました。それに加えて、教員同士も子どものいないところでは「さん」付けで呼び合うように努めました。
もっともこれは若い仲間内にとどまり、年配者には波及しませんでした。
学校の常識は世間の非常識なんていうのは結構あるものですが、この「先生」呼称もその1つなのかもしれません。一律に「さん」付けにしましょうなどと言うつもりはありませんが、学校の外からの目で学校を見る視点は大事にしたいものです。
大阪府議会の話題もわが職員室の話題も、同僚を「先生」と呼び合うことへの問題意識という点では共通しています。
あらためて、「先生」という呼称について考えます。
「広辞苑」
せん‐せい【先生】
①先に生まれた人。↔後生こうせい。②学徳のすぐれた人。自分が師事する人。また、その人に対する敬称。「徂徠―」「お花の―」
③学校の教師。「担任の―」
④医師・弁護士など、指導的立場にある人に対する敬称。「―に診てもらう」
⑤他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称。
⇒先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし(先生とおだてているつもりの者を制する言葉。)
「大辞林」
せん-せい【先生】
〔(5)が原義〕
(1)学問・技芸などを教える人。また,自分が教えを受けている人。師。師匠。また,特に,学校の教員。「お花の―」「書道の―」
(2)学芸に長じた人。「駿台―(=室鳩巣)」
(3)師匠・教師・医師・弁護士・国会議員などを敬って呼ぶ語。代名詞的にも用いる。また,人名のあとに付けて敬称としても用いる。「―,いろいろお世話になりました」「中村―」
(4)親しみやからかいの気持ちを込めて,他人をさす語。「大将」「やっこさん」に似た意で用いる。「―ご執心のようだな」
(5)自分より先に生まれた人。年長者。
⇔後生(コウセイ)
「Yahoo!知恵袋」(2011.5.20)に、「大辞林」をもとにした記事があります。
「先生」は、元々は(5)の意味です。自分より先に生まれたヒト(=年長者)に対する敬称です。「教える人・指導する人」の意味はなかったのです。
現代の日本語で「教える人」を「先生」と呼ぶ(1)の用法は、敬称としての(3)から生まれた新しい用法です。明治時代以降にできた新しい意味です。それまでの日本語で「教える人」は「師、師匠、師範」といいました。
戦前は、小学校の先生を養成する学校は「師範学校」といっていました。明治から昭和の時代の卒業式の定番『仰げば尊し』も先生を「我が師」と呼んでいます。
「学校の先生」も元々は(3)の「先生」だったのです。でも学校の先生が「教師」であるところから、「教師=先生」という(1)の意味が生まれたのです。
なるほど、「師範学校」「我が師の恩」などから勘案すると、「教師=先生」というのは新しいようです。
子どもや保護者が「教える人」を「先生」と呼ぶのは、この範疇と考えられます。
職員室で同僚を「先生」と呼ぶのはどうでしょう。
(3)師匠・教師・医師・弁護士・国会議員などを敬って呼ぶ語。代名詞的にも用いる。また,人名のあとに付けて敬称としても用いる。
「敬って呼ぶ語」あるいは「代名詞的」というのが該当するようです。
ここまで来て、思考が立ち止まります。
「先生」は敬称ですが、「さん」も敬称です。
どちらにしても敬称なら、取り立てて問題にすることもないじゃないか。
では、わが若き日の問題意識は何だったのか。
私の出発点は、他の職業の人から職員室で同僚を「先生」と呼び合う光景は異様だと言われたことでした。学校で働く他の職種の人からの自分たちが「先生」とよばれないのはおかしいという提起もありました。
そうしたことを受けて、同僚を「さん」付けで呼ぼうと私は考えました。
その時は、私自身の思考の過程を深く意識することはありませんでした。
大阪府議会の「議員が特別であるとの勘違いを助長することにつながりかねない」から「先生」という呼称を使わないという問題意識は、わが若き日の問題意識を鮮明にしてくれたように思います。
他の職業の人から職員室で同僚を「先生」と呼び合う光景は異様だと言われたのは、「さん」にはない「先生」が含意する「特別な人たち」の臭いへの違和感だったのだと思います。
学校で働く他の職種の人からの提起も、上の場合とは逆向きのアプローチですが、やはり「先生」が含意する「特別な人たち」の臭いへの違和感だったのだと思います。
大阪府議会は、「特別であるとの勘違い」が特権的な意識・行為、権力的傲慢さ、上から目線などにつながっていると認識しているのでしょう。
お互いを「先生」と呼び合うことは、「勘違いを助長する」ことになるのだというのです。
そうであるならば、職員室の問題も同じです。
「教える人」を「先生」と呼ぶことは別として、同僚を呼ぶ敬称は「先生」ではなく「さん」であるべきです。
決して天狗にならず、子どもに対して謙虚であるためにも……。