教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

歴史教育の周辺(その7) 歴史を消しゴムで消すことはできない

歴史を消しゴムで消すことはできない

 

今回は「硬派」です。

 

歴史を消しゴムで消すがごとき事態が進行しています。

教科書検定です。

 

中学社会や高校の地理歴史、公民の教科書にあった「従軍慰安婦」と「強制連行」の記述が消えました。

 

たとえば山川出版社「中学歴史 日本と世界」では、

「『慰安施設』には、朝鮮・中国・フィリピンなどから女性が集められた(いわゆる従軍慰安婦)」

となっていた記述が、

「『慰安施設』には、日本・朝鮮・中国・フィリピンなどから女性が集められた」

と訂正されました。

 

東京書籍「新選日本史B」では、

「強制連行された労働者」

となっていた記述が、

「強制的に動員された労働者」

と訂正されました。

 

戦争加害の歴史が教科書から消えていく動きは、今に始まったことではありません。それでも何とか検定をパスして、上の例で言えば訂正前の記述になっていました。それが、完全に消えたわけです。

 

何があったのでしょう。

 

2014年、第2次安倍政権のときのことです。

教科書検定の基準について、「政府見解がある場合はそれに基づいた記述」をすることが定められました。

そして、2021年4月27日、菅内閣慰安婦問題と強制労働をめぐる馬場伸幸衆議院議員の質問に対する答弁書閣議決定します。

衆議院議員馬場伸幸君提出「従軍慰安婦」等の表現に関する質問に対する答弁書

 

一について

(注 一 政府として、平成五年八月四日の河野官房長官を継承するのか、改めて政府の基本的立場を示されたい。)

 政府の基本的立場は、平成五年八月四日の内閣官房長官談話(以下「談話」という。)を継承しているというものである。

(注 平成五年八月四日の内閣官房長官談話  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。)

 

二から四までについて

(注 質問書の二から四は次のとおり 

二 政府はなぜ平成五年八月四日の河野官房長官談話において、「従軍慰安婦」という用語を使用したか。
三 「従軍慰安婦」という用語に、軍より「強制連行」されたかのようなイメージが染みついてしまっていると考えるが、近年、政府としてこのような「従軍慰安婦」という用語を使用していない理由は如何。
四 今後、政府として、「従軍慰安婦」や「いわゆる従軍慰安婦」との表現を用いることは、不適切であると考えるが、政府の見解は如何。従軍慰安婦という用語を使用しない場合であっても、例えば、軍や軍からの要請を受けた業者との関係を明らかにせずに、単に女性たちが「慰安婦として従軍させられた」といった表現を用いる等、「従軍」と「慰安婦」を組み合わせた表現を使用することも不適切であると考えるが、政府の見解は如何。)

 平成四年七月六日及び平成五年八月四日の二度にわたり公表された政府による慰安婦問題に関する調査において、調査対象としたその当時の公文書等の資料の中には、「慰安婦」又は「特殊慰安婦」との用語は用いられているものの、「従軍慰安婦」という用語は用いられていないことが確認されている。もっとも、談話発表当時は、「従軍慰安婦」という用語が広く社会一般に用いられている状況にあったことから、談話においては、「いわゆる」という言葉を付した表現が使用されたものと認識している。
 その上で、政府としては、慰安婦が御指摘の「軍より「強制連行」された」という見方が広く流布された原因は、吉田清治氏(故人)が、昭和五十八年に「日本軍の命令で、韓国の済州島において、大勢の女性狩りをした」旨の虚偽の事実を発表し、当該虚偽の事実が、大手新聞社により、事実であるかのように大きく報道されたことにあると考えているところ、その後、当該新聞社は、平成二十六年に「「従軍慰安婦」用語メモを訂正」し、「『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』という表現は誤り」であって、「吉田清治氏の証言は虚偽だと判断した」こと等を発表し、当該報道に係る事実関係の誤りを認めたものと承知している。
 このような経緯を踏まえ、政府としては、従軍慰安婦」という用語を用いることは誤解を招くおそれがあることから、「従軍慰安婦」又は「いわゆる従軍慰安婦」ではなく、単に「慰安婦」という用語を用いることが適切であると考えており、近年、これを用いているところである。また、御指摘のように「従軍」と「慰安婦」の用語を組み合わせて用いるなど、同様の誤解を招き得る表現についても使用していないところである。引き続き、政府としては、国際社会において、客観的事実に基づく正しい歴史認識が形成され、我が国の基本的立場や取組に対して正当な評価を受けるべく、これまで以上に対外発信を強化していく考えである。

 ※注は引用者

 

衆議院議員馬場伸幸君提出「強制連行」「強制労働」という表現に関する質問に対する答弁書


一について

 御指摘のように朝鮮半島から内地に移入した人々の移入の経緯は様々であり、これらの人々について、「強制連行された」若しくは「強制的に連行された」又は「連行された」と一括りに表現することは、適切ではないと考えている。
 また、旧国家総動員法(昭和十三年法律第五十五号)第四条の規定に基づく国民徴用令(昭和十四年勅令第四百五十一号)により徴用された朝鮮半島からの労働者の移入については、これらの法令により実施されたものであることが明確になるよう、「強制連行」又は「連行」ではなく「徴用」を用いることが適切であると考えている。

二について

 強制労働ニ関スル条約(昭和七年条約第十号)第二条において、「強制労働」については、「本条約ニ於テ「強制労働」ト称スルハ或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ」と規定されており、また、「緊急ノ場合即チ戦争ノ場合・・・ニ於テ強要セラルル労務」を包含しないものとされていることから、いずれにせよ、御指摘のような「募集」、「官斡旋」及び「徴用」による労務については、いずれも同条約上の「強制労働」には該当しないものと考えており、これらを「強制労働」と表現することは、適切ではないと考えている。

 

その結果が、今回の「訂正」です。

 

従軍慰安婦」に関しては、私自身も吉田清治氏の証言に翻弄されたひとりです。しかし、証言が虚偽であったことが「従軍慰安婦」が存在しなかった証拠にはなりません。

同様に、政府の調査で当時の公文書に「従軍慰安婦」の文字がなかったことも、「従軍慰安婦」が存在しなかった証拠にはなりません。むしろ、不都合な事実が公文書として残されていないことの方が自然です。「特殊慰安婦」とは何を指すのでしょう。

1937年7月から1939年12月の1年5カ月の間に、強姦致死罪によって軍法会議で裁かれ有罪判決を受けた日本軍将兵が732人います。強姦自体を罰する規定はありませんでしたので、性犯罪の総数からすれば732人は氷山の一角です。

だから「従軍慰安婦」があったとは言えませんが、日本軍の慰安所に自らの意思で身を置いた朝鮮人女性、中国人女性が多数いたとは思えません。強制力が働いたという朝鮮人女性の証言も、一方的に無視することはできません。

 

「強制連行」ではなくて「徴用」だった。「徴用」による労務は「強制労働」には該当しない。

広辞苑で「徴用」を引くと、「国家権力により国民を強制的に動員し、一定の業務に従事させること。」とあります。「強制的に動員する」というのは、「強制的に連れて行く」というのと同義です。でも、「強制連行」ではないのです。

朝鮮半島から内地に移入した人々(最大で約200万人)の移入の経緯は様々で」す。したがって、「一括りに表現することは、適切ではない」のです。当然、積極的に渡日した人も仕方なく渡日した人もいるでしょう。徴用もあったでしょう。(「徴用」はする側の用語で、される側からすれば「強制連行」であったかもしれません)

 

いずれの問題も、日本側の証言や資料と朝鮮・中国側の証言や資料を擦り合わせていかないと本当のところは見えてきません。それができるまでの間は、グレーです。グレーの問題は、双方の言い分を紹介して、研究者や学習者に委ねるべきです。歴史に向き合うとは、そういう姿勢を言うのだと思います。

 

今回の「訂正」で、歴史に向き合うための材料が抹殺されました。政治の力によって、歴史を消しゴムで消したのです。

 

 

都合の悪い歴史を消しゴムで消す。

これを、歴史修正主義と言います。

 

2021年12月10日の朝日新聞「耕論」で、「論破すればよし?」というテーマについて3人の意見が載っていました。

その中に、倉橋耕平さん(社会学者)の「『歴史修正』議論を単純化」という文章がありました。紹介します。

 SNSなどで顕著に見られる「論破」のカルチャーは、ネットによって新たに生まれたものではありません。
 その兆しは1980年代末から始まった討論系のテレビ番組に見られます。討論番組では、専門家ではないコメンテーターなどが議論に参加します。視聴者は、出演者が政治家や専門家をたじろがせる様子を面白がりました。 同じ時期、ディベートや説得力を重視した自己啓発本がブームになりました。
 こうした流れの中で「歴史をディベートする」ことがはやり、歴史修正主義運動の潮流となっていったのです。
 そもそも歴史とは、史料をもとに専門家が論じるものです。ところが、ディベートの土俵にのると、研究者が歯牙にもかけない歴史観が、対抗する言説であるかのように格上げされます。長年かけて培われた先行研究の蓄積がゼロにされてしまうのです。日本でも、海外でも、歴史を否定したがる人たちが議論を好む理由は、ここにあります。
 こうしたディベートの特性を利用している一人が、橋下徹さんでしょう。「○○か、それとも○○か」という二択をつくるのがとてもうまい。物事を捨象して議論のフレームを単純化します。 十分な議論ができる方法ではないですが、発言を短く切り取るテレビやネットとは相性がいい。
 多くの人が、この図式を無意識に受け入れがちです。学生と話していると、たとえば、「女性専用車両があるのに男性専用がないのはよくない」と言ってくる。「男性専用車両」の発想は、性被害から守るための女性専用車両とは、全く次元の異なるものです。 女性専用車両の背後に存在する差別や権力の不均衡をゼロにして議論することが、平等だと勘違いしているんです。そこにはびこっているのは「偽の等価性」です。
 前提をゼロにしたディベートでは、専門家は弱い立場に置かれがちです。 非専門家はいまここにある一般人の感覚を重視した持論を述べ、感情に訴えることもできる。 専門家が慎重に断言を避けていると、大きな声で述べた方が共感され、論破したかのように見えてしまうことがあります。
 歴史の探求では、史料から分かることの限界や二項対立にはならないことがある。 それなのに、歴史修正主義者が議論を単純化するのは、歴史の探求が目的ではないからです。「日本に不都合な歴史を認めない」という目的のために論じているのです。
 必要なのは歴史学者の反論だけでなく、社会の人権意識の向上です。歴史を否定することと差別とは、密接な関係があります。 歴史修正主義の本や歴史をネタに「論破」したい欲望、それ自体を問い直さなければなりません。
(聞き手・田中聡子)

 

このたびの教科書問題も、同軸延長線上の問題に思えてなりません。

歴史の事実は、消しゴムで消すことはできません。