教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

受験シーズンに思う

もう38年も前のことになりますが、受験シーズンになると思い出す子どもたちがいます。

 

私が勤務していた小学校は、ある意味で特徴的でした。

それは、クラスの大半の子が中学受験を目指す東京都心のような状況でもなく、受験する子など滅多にいない最後の勤務校のような状況でもなく……。クラスの3分の1から半数が受験するという、近隣にはない小学校でした。

 

私が担任していたクラスには40人余の子どもがいて、その3分の1ほどの子が校区内にある私立中学を受験しました。そして、大半の子が合格しました。

 

2学期の後半になると、教室の空気が変わっていきます。それまで1年半かけて育ててきた学級集団は音もなく崩れていきました。

この変化に最も敏感に反応するのは、いわゆる「しんどい子」たちです。彼らは二分された一方を「受験組」と呼びました。AくんやBくんは、それまでになかった荒れた姿を見せるようになりました。

 

クラスの3分の1から半数が受験する、しかもその大半が校区内の同一校というのは、想像以上に繊細な問題を内包しています。

 

受験した子たちは塾に通い、それぞれに努力してきました。

合格した子のひとりにCさんがいました。

Cさんは優等生でしたが、それでも試験が終わって「学校へ来たとき、みんながはげましてくれたことはとってもうれしかった。どうなったとしても私のクラスのなかまはいつまでも消えないでほしいと、不安のつのる中で思う」と記しています。合格発表の後には、「合格発表も終わった。なんとなくほっとした。合格したからだろうか。でもやっぱり自分だけは見失いたくない、とそう思った。」と、日記に書きました。

私は赤ペンでこう返しました。

 合格おめでとう。よかったねと大きな声で言える心境ではないけれど、おめでとうというのも一方の本音です。なぜなら、大切なクラスのなかまのひとりの喜びだもの。だけど、もう一方で、入試だ、発表だのと言ってみんながばらばらになっていけばいくほど、どうしようもなくあばれ、自分をだめにしていくA君やB君のことが、片時も頭をはなれません。きみの喜びの反対側にA君たちの姿があるのです。きみが悪いとは言いません。だけど悲しい思いがします。
 さらに、きみと同じように受験勉強をしてきたなかまの中にも、不合格だった子がいる。落ちた悲しさとともに、まわりの者の心ない言葉によって、その人たちはどれほどつらい思いをしていることだろう。Dさんは6年生になって日記をやめてしまった。受験勉強のためだった。きのう出された作文ノートの中に、この1年間はきみにとって何だったのかと問いかけた。そして、もう一度日記を書けとも書いた。そして今日、本当に久しぶりにDさんの日記が出された。発表の日のことが、7ページに書かれていた。涙が出てきた。胸がつぶれる思いがした。先生はやっぱり、A君やDさんのような立場にある人の心を大事にしていきたいと思う。今きみはこの人たちの中で何ができるだろうか。少なくともDさんは親友であったはずだ。
 受験した子としなかった子、受験して合格した子と不合格だった子、‥‥表面的にはたしかに違う。違うがゆえに、もう一度まとまることなんてできるのだろうかという不安はある。しかし、いつかの日記に、試験は人間性や心をはがるものではないのだと書いた。それならばきっとひとつになれるはずだ。あの長なわとびをする中で363回というすばらしい記録を生み出していったときのように。もう一度やってみよう。

私は合格した子や保護者に「おめでとう」の言葉をかけず終いだったようです。Cさんの卒業前の日記に、「お母さんが隣のクラスの先生から『おめでとう』といってもらった。yosh-k先生は冷たいと言っていた」と書いていました。私は冷たいというより、クラスに受験した子としなかった子、受験して合格した子と不合格だった子がいる状況のなかでうまく使い分けができないのです。

 

受験して不合格になった子は複雑でした。

トイレに「死ね」と落書きされていると、Eさんが訴えてきました。調べてみると、それはEさんによる自作自演の「事件」でした。

Eさんも「受験組」のひとりで、不合格になった直後の出来事でした。

 

さて、Dさんの7ページにわたる日記。(一部抜粋)

 今日から日記を再び書くことにした。先生に作文ノートに書かれて書こうと決めたのではむなしすぎる。しかし今まで自分の心をゆるしてきた私がやっぱりわるいんだと思う。先生の机の上にいつもいっしょにだしていたCさんが毎日続けているのを見て、書こうとは思うのだが、やっぱり受験勉強、じゅくの勉強の強さのあまり、私のその思いはいつのまにかきえてしまっているのである。
 今日の日記にはきのうの日にちが書いてある。それは、きのう生まれてはじめて最高の思いをしたから、そのことを日記に書こうと思ってだ。
 きのうの朝、学校へ来たときからなんか頭の中にもやもやがあった。合格発表のせいだった。今までしたいことも思うぞんぶんできず、寒い日も自転車でじゅくに通っていた。私のすべてを試験日にだしてきた。

……もやもやがあったのは周りの人の目を気にしていたのだ。落ちるのは分かっている。校区の中学校へ行こう、とも思っている。だのに周りの人の目が私はこわかった。こんな思いをしたくないから、本当のこといって受けたくなかった。でもうけなければならなかったのだ。

……4時間目がおわって、……公衆電話のところでは、もう人がたくさんならんでいた。Fさんが泣いてかえってきた。笑いながら泣いて、「ありがとう」といっていたので、受かったんだと思った。

……いつのまにか手は10円玉を公衆電話の中にいれていた。リリリーン リリリーン。「もしもし」「もしもし、私、どうやった?」手はふるえていた。「あかんかった。何回もさがして……」「もうわかった。」ガチャン。ああやっばり。お母さんの声はいつもとちがっていた。泣いていた。泣いていた声だった。やっぱり希望もってたん。もう、あかんて分かってんのに。あほ。最低や。もう、なみだがあふれてきた。それをこらえてろうかを走った。

……「Dさん、どうやった?」「まだ聞いてない。」うそをついてしまった。……もう、気にしないことにしようと思っていても、やっぱり気になる。私一人だけなかまからとりのこされてしまったような気がした。もう、この世の中、どうしてこんなに不公平なことがあるのかなあと思った。……

 家に帰っても、だれ一人笑うものはいなかった。いつもより無口でいやーな空気がはりつめていた。「もうおわったことや。しかたないやんか。どこの中学校へいったって、がんばればいいねん。な。」お母さんが泣いていった。おばあちゃんは、「こんななさけないことはじめてや。」おじいちやんは、とっさに、「なにいうねん。おまえは。Dをぶじょくするのか。いっ……」もう、なみだがとまらなかった。足は2かいへといき、自分の部屋でおもいっきり今までの思いをこめて泣いた。お母さんが上がってきた。入ってきた。「Dちゃん、もう泣きな。泣いたって同じやろ。今まで長女やからいうて、やっぱりいっしょうけんめいやったんや。おばあちゃんだって。」お母さんのなみだは目のところへあふれていた。つらかった。お母さんにはこんな思いさせたくなかったのに。なんかお母さんの気持ち分かるような気がした。何回も何回も見ていたんだろう。ごめんなさい。きっと、きっと、どこの中学校でも、絶対このお母さんのあたたかい心を忘れずに努力する、と思ったのだった。みんなにこんなつらい思いをさせるのなら、はじめからうけなかったらよかったのに、と思うばかりだ。……

私の赤ペンはこう返しています。

   何度も読みました。涙が出てきました。わすか12才のきみがなんでこんな思いをせんとあかんねやろ……いろんなものに言いがたい腹立ちを感じています。きみは日記の中に「私のすべてを試験日にだしてきた」と書きました。その結果が不合格だったのだろうか。先生はそうではないと思っています。きみは先生の赤ペンにきちんとこたえたじゃないか。もう一度見つめていこう。自分自身も学級も。きみと同じ思いをしているなかまの姿が見えてくるだろう。きみも含めた受験のうねりの中で、あばれざるをえなくなっていったA君やB君の思いも見えてくるだろう。もう一度いっしょにやってみよう。

入試から1カ月以上たっても、教室や近所での会話に苦しみ、「こんななやみみたいなものは、友だちにいいにくい。友だちが(親しい友だち)合格した子が多いからだ。ましてお母さんや家の人になんていえるわけがない。だから、私の気をまぎらわすところは日記しかないのだ。私の今の心の中は黒い、暗い。どんよりとしたうす黒いけむりがそこらじゅうに広がっている。この心の中の色を明るい色にはできないだろうか。きっと今の大人たちが話題を変えるまでそのままだろう。今はもう何もかも忘れて、おもいっきり泣きたい。今のこの思いを聞いてくれる友だちをつくりたい。いっしょに泣ける友だちをつくりたい。」と綴っています。

そのDさんが、「人生」という詩を残しています。

  人生
人はみんな
悲しみを味わいながら生きていく
そのあとに
喜びを味わえることを
人は信じている
人生にはいろんな道や
いろんな川、谷、山がある
人によって川がどこにあり、谷がどこにありと
場所はちがう
自分の生き方、それが人生なんだ
人生をのりこえられる、そんな人間をつくっていきたい。

 

一方の受験しなかった子たちです。

Cさんが、日記のなかでAくんのことを書いています。

A君が、「そらお前はいいわ。とおったから。えらいもんな。」ということを何度も口にする。「そんな言い方しなくても‥‥。」と私はいう。「いや、おれはうらやましいからいってんねん。」と返事がくる。発表の時、「おめでとう」といってくれた。

Aくんの荒れた姿はクラスのできた壁に対する異議申し立て、「うらやましい」というのも一方の本音、「お前はいいわ」には多少の嫌みがあっても「おめでとう」は培ってきた友情の証し。複雑です。

 

心のざわつきは、Aくんに限らずごく普通の子にも起きています。

Gさんは、能力的には「できる子」に属していて、受験はしないで校区の公立中学へ進学する子です。

そんなGさんが、日記にこう書いています。

 私は、中学校は公立中に行くとはじめから決めていた。だけど、みんなは他の中学の試験を受けた。なんだか、一人だけみすてられたようにも思ったが、がまんしていた。「私は公立中に行くんだ」と、がまんしきれないときはいつも思った。合格した人の喜ぶのを見るとなんだかすごくイライラしてきた。合格した人は笑っているけど、私はなきたいような悲しい思いがした。……すごくかなしかったとき、私は(しもやけの治療で)足をみせに病院へ行くとき、しんさつで少しいたかっただけでも、そのかなしさをそのときなみだにだしてないた。いつも病院でかなしさをだしきっていた。

 

 

私は、中学受験を否定も肯定もしません。

しかし、Gさんのようなごく当たり前に生きている子が「一人だけみすてられたよう」に感じ、「病院でかなしさをだしきってい」るような社会は、どこか間違っている気がします。

初夢の日の夜中に目覚め、どうしたことか、ふいにこの子たちが浮かんできました。